第三章 浅野 遥
浅野 遥 23歳 WAVE社員3年目
店のビジュアルコーディネーター
服の配置や新着のコーディネートを考えて
マネキンに着せたりと店全体の雰囲気は
遥のセンスによって左右することになる
そして
なぜだか分からないけれど
私は遥に嫌われているようだ
同じ事象があったとして
誰もが意図しなくとも
好きな人間に対する言葉と
嫌いな人間に対する言葉は違うだろう
遥の私に対する言葉選びは
あからさまに嫌いな人間向けのチョイスなのだ
遥かに対して嫌なことをした覚えはない
嫌われる原因があるとすれば
もはや声や顔が嫌だというような
生理的に受け付けない
というものしかないだろう
それなら仕方ないし
極力近づかないようにしていた
しかし
全く話さないという訳にはいかなかった
今日もそうだ
「優子ちゃん判子持ってきた?」
ただの一声で
私を青ざめさせる質問が出来るのは
遥ぐらいじゃないだろうか
昨夜、
雇用期間延長の
更新手続きに必要なので
判子を持ってくるようにとメールが来ていた
しかし
判子は常にバッグの中に入れてあるので
それほど重要ではない
脳内BOXに情報処理していた
ところが
今朝の暖かい陽気な空に誘われて
ここ半年ほどフル稼働させていた
黒のトートバッグではなく
淡い桜色のショルダーバッグを
連れ出していたのだ
判子をトートバッグの
内ポケットに残したまま……
「あー、ごめん……休憩のとき
100均で買ってくるから
休憩時間まで待ってもらってもいい?」
とっさにしては
動揺を見せることなく
今日中に書類を完成できるのだから
問題ないだろうと高を括っていたら
遥お馴染みの不機嫌フェイスが出現した
「普通、昨日のうちに
明日の準備しいへんと不安じゃない?
判子みたいにすぐ買える物じゃなかったら
どうするん?
私やったらどんなに遅くなっても
明日の準備してから寝るようにしてる
優子ちゃんそんなんでよう今まで仕事してきたなぁ
前の仕事とか大丈夫やったん?」
と畳み掛けるので
「あーごめんな、気をつけるわ。」
遥の言葉をぶった切るように
ぶっきらぼうに言い放ち話を終わらせた
ごもっともだが
いつもいつも一言も二言も多い
遥に対して嫌な顔を見せたのは
今回が初めてだった
そんな中
なんとか今日も仕事をやり過ごし
まだ薄明るい空の下
桜色のショルダーバッグを揺らし
なるべく人通りの少ない道を選んで歩いた
向こうから騒がしい3人組が
歩いて来るのが見える
大学生くらいだろうか?
流行りのお笑い芸人のネタを
真似てはバカ笑いして通り過ぎていく
皆、同じような髪型と格好をしていて
もはや全員同じ顔に見える
「格好悪……」
心の隅の
さらに隅っこの方に追いやって
すっかり忘れていた
ドス黒い想いにアクセスした
と、同時に
遥の不機嫌フェイスが頭をよぎりハッとした
もしかすると遥は
私がアパレルの仕事に対して持っている
ドス黒い想いを
感じとっているのかもしれない
遥は服のコーディネートを考えるのが大好きで
服や髪型にもこだわりがある
流行りの物も身に付けるが
皆と同じで安心しているというよりは
旬の物を自分のファッションに取り込んで
遊んでいる風に見えた
服が好きだからアパレルの仕事を始め
今では店全体のコーディネートを
任されているのだから大したものだ
ただ仕事を卒なくこなせるだけで
仕事に対して、いや、物事に対して
何のこだわりも持っていないのは
自分の方である
そんな格好つかない自分を
認めたくなくて無意識に他を批判して
蔑んでいたことに気づいた瞬間である
そして自分の想いに反省した途端
そういえば
遥は一生懸命で素直な人だな
なんて思えてきて
そう思ったらなんだか温かい気持ちになり
その温度は遥に対するわだかまりを
溶かしていった
軽くなった足取りで家に着き
ソファにバッグを置いた時
「忘れ物‼︎」
思わず声をあげた
今朝の夢で
忘れ物のマスに止まったことを思い出した
判子を忘れたことは偶然だろうと思いながらも
ソワソワと無駄に小さな部屋を歩き回った
とにかく誰かに言いたくて
携帯を手にしたが
誰に何て伝えようかと
アドレスをひと通り見ているときにちょうど
同僚の明奈から着信が入った
晩ごはんの誘いだ