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吉田さんとオレ その八 前編(一~十五)

「おい山下、起きろ!」

「大丈夫か、山下!」

「山下、山下、山下!」

「山下のお兄ちゃん、死んじゃったよ・・・」

「山下さん、しっかりして下さい!」

 意識を取り戻した俺・・・。脱衣所の天井と、俺を取り囲み、俺を上から見やる大勢の人たちの顔が目に飛び込んできた。みんなの話によれば、俺は二十分近く気絶したままだったらしい。俺は吉田さんに負けた。吉田さんは俺に勝ち、納得して金玉を切除することができるだろう。ただ、俺はその陰でとんでもない醜態をさらしてしまったのだ。二十分間も、脱衣所の長椅子の上で仰向きに寝かされたままの全裸の俺は、とっくに湯冷めして風邪を引きそうなくらいに体が冷えきっていた。しかし、金玉だけは吉田さんとの激闘のせいか、今でも火照り続けている。熱いのだ!銭湯で、爺さんと若者が金玉の綱引きをやって、爺さんが金玉綱引きに勝って、若者が負けて気絶してしまったとか、大阪のタブロイド紙が好きそうな時事ネタではないか・・・。今、俺を取り囲んでいる銭湯客の一人が新聞社に連絡し、新聞のネタと引き換えに、情報料を受け取ることがあっても、何ら不思議ではない。でも今夜、ここに居合わせた人たちは違っていた。脱サラして、今は左官になることを夢見て工事現場で頑張っている木下君。高卒でサラリーマンを始めたけど、すぐに会社を辞めてしまった村上君。村上君は、自分が何者かについて知りたくなり、世界を旅する資金を呑み屋のバイトで貯めている最中なのだ。大阪市役所に勤務している浜中さん。俺と同じ年で、同じ趣味のギターも相まって風呂に浸かりながら、仕事のことやら、職場の人間関係のことやら、色んな話をしてきた。万屋の近くに住んでいて、難関中学合格を目指して、受験勉強を頑張っている中西君。中西君は、俺の知らない面白いスマホゲームを沢山教えてくれた。白髪が似合う袋小路さん。袋小路さんは、吉田さんよりも年上だろう。俺が仕事のことを愚痴っていたら、仕事の本質とは何かについて、風呂の中でのぼせて倒れるまで熱く語ってくれた。袋小路さんの話を聞いて、また明日、仕事を頑張ろうと思えた。そんな一言では語り尽くせない沢山の銭湯の仲間たち・・・。万屋の銭湯仲間の中に、金玉の綱引きのことをタブロイド紙に売りつけてやろうなんて考えるバカなヤツは一人もいないのだ。俺は、何だか泣けてきた。涙があふれた。とても嬉しいのだ。万屋からちょっと離れた職場には、こんなに血の通った人間関係なんて、全くないのだ。俺だけでない。俺の上司や同僚、後輩もみんなそうだ。もくもくと働く。それだけのことだ。もちろん、上司や同僚と一緒に仕事して、楽しいことも沢山ある。たまには一緒に呑みに行くことだってある。だけど、どこかもの寂しい「人間関係」は、常に会社のあちこちでくすぶっているのだ。俺は、新卒からずっとそういう職場で働いてきたのだ。これからも、それはずっと続くだろう。

 金玉の腫れが治まってきた頃、俺は冷静になり思い出した。

「あれ?吉田さん、どうしんたんですか?脱衣所にいないですよね?」

 村上君が

「吉田さん、ずっと脱衣所のトイレの中に閉じこもっていますよ」

 と、教えてくれた。

「えっ!吉田さんが?」

 俺は長椅子から飛び起き、全裸のままトイレまで疾走し、トイレのドアをドンドンと叩いて、

「吉田さん!吉田さん!大丈夫ですか?」

「タマキントキの二乗!へっ?こうちゃん?元気なったか?よかった、よかった!」

「いや、吉田さんこそ、大丈夫ですか?」

「あふ、アフ、あふ、アフ・・・」

「吉田さん!」

「い、い、痛い・・・。痛いよ。タマキントキ、本当に効いたかな?アフフン、アフフン・・・。ポンチョ、ポンチョ・・・。ポンチョの二乗。ポンチョ、本当に来るよ・・・」

 俺は居ても立ってもいられず、トイレのドアノブを強く握りしめると、鍵がかかっていないことが分かり、力任せにドアを開けた。

「吉田さん!」

「お、来たな!こうちゃん!」

 吉田さんは、すこぶる元気だった。ポンチョ・・・。あれは、吉田さんのしつこい大便の気張り声だった。

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