吉田さんとオレ その七 前編(一~十五)
七
七月十七日。万屋での吉田さんとの会話は、相変わらず金玉を切除するかしないかの話で持切りだった。吉田さん、実は、二千万円近い借金があるらしい。さらに金玉とチンコ全てを切除するのに、約八十万円かかる。吉田さんは、どこからそんな大金をかき集めて来るのだろうか。確かに吉田さんは変な人だけど、人望があるように見える。簡単にお金を貸してくれる人がいるのだろうか。というか、吉田さんって、まだ働いているのだろうか。いつも通り、洗い場で頭と体をごしごしと洗いながら、並んで椅子に座っている吉田さんに思い切って尋ねてみた。
「吉田さん。まだお仕事されているんですか?」
「僕?うん、まだ現役で!」
「どんな仕事をされていますか?」
「昔々の話やけど、若い時は、工事現場でよく汗を流したな。それから四十歳ぐらいになって、体力的に工事現場で仕事するのがしんどくなってきて、日雇いの工事の仕事は辞めたんや。で、天王寺の辺りには少ないけど、JR鶴橋駅の辺りとか、焼き肉屋とか呑み屋がめっちゃ多いやん?で、僕、呑み屋の店長にツテがあるから、夜、呑み屋で働くようになってん!バイトやった。僕、ずっと独身やから、とりあえずの呑み屋のバイトの仕事だけでも、十分に食べて来れたんよ。でも、その時は貯金もあったんやけど、呑み屋辞めてからは病気がちになってしもてな。病院の診療代とか薬代とか払ってたら、いつの間にかお金がなくなって、借金も作ってしまいました。でも、自分の食い扶持だけは、何とかして自分で稼ぐのが僕のモットーなので、もうとっくに歳とったけど、今でも細々と週四日ぐらいは、早朝の新聞配達のバイトとかやって、ちょっとでも稼げるように頑張ってるわ」
吉田さんぐらいの年齢になって、早朝の夜が明けぬ時間帯からの新聞配達のアルバイトは体に堪えるだろう。熱帯夜が続く夏は、なおさら辛いに決まっている。
「借金のこととか、八十万円のこととか、こうちゃん、心配せんといてな。僕、大丈夫やからな。それよりも、こうちゃんには僕の人生の岐路になっている金玉とチンコを切除するかどうかのご指示を賜りたい」
「いやー、吉田さん・・・。勘弁して下さいよ。それだけは・・・」
吉田さんは俺の困り切った表情を見て、シャンプーで頭を洗いながら、何やら考え込んでいるようだった。それから髪の毛を桶一杯のぬるま湯で洗い流し、吉田さんが発した第一声は、
「こうちゃん!アタイと綱引きやんない?」
「へっ?」
万屋の風呂場は、いつにも増して、湯けむりの熱気がむんむんと帯びている。俺と吉田さんとを取り囲んで、銭湯客たちは戦闘客と化し大歓声だ。「吉田のおっさん、頑張れ!」とか「山下、負けるなよ!」とか。挙句の果てには、吉田さんが勝つのか、それとも俺が勝つのか、博打を始めるフル勃起の連中まで出てきた。
「こうちゃん、ええか?僕のタマタマ、よう見てな!こうちゃん、顔遠いで!僕のタマタマとこうちゃんの顔との距離、三センチ以内まで近づけてな!よく見てよ!こうやって、金玉の袋の上端のところに、ヒモをぐるぐると巻き付けて。それから、ヒモが絶対に外れないように、もっともっとグルグルと巻き付けて。よっしゃあ、これで完成や!!こうちゃんも、早くやって!キーポイントは、金玉袋の金縛りやで!!!」
吉田さんは、何でもかんでも、男性の睾丸と世の中の現象を結び付けて考える癖がある。吉田さんのいう綱引きとは、二人で同じ一本の頑丈なヒモを使い、ヒモの両端で、互いの金玉の袋にヒモをグルグル巻きにして、金玉とヒモが完全にしっかりと結びつけた状態で、どちらかがギブアップするまで互いにヒモを引っ張り合い勝敗を競うという、金玉が破裂するかも知れない空恐ろしい競技だった。吉田さん曰く、俺が金玉綱引きに勝ったら金玉の切除は中止し、吉田さんが勝ったら思う存分金玉を切除するという、いつもの無茶ぶりだ。ちなみに俺が金玉綱引きに勝っても、俺の睾丸には何の報いもない。
吉田さんは、俺の髪の毛を思いっきり両手でつかんで、吉田さんの股間のブツと俺の顔がスレスレのところで固定し、俺は膝まずいたまま、顔を直角九十度に固定されて、十分近くも金玉を観察させられた。後でその場に居合わせた銭湯客から聞いた話だが、吉田さんはその時ばかりは妙に鼻息が荒く、ドヤ顔だったらしい。会社の三つ年下の後輩に、経理部の畠山というヤツがいる。いや、正確にはいた・・・。畠山は、社内でも有名なSM狂だったのだが、昨年末の会社の忘年会の席で、酔った勢いで「隠し芸」として変態仮面をやらかしてしまい、畠山の隠し芸、いや正確にはあの時、最終的に紐パンが切れてしまい、参加者の目の前で金玉とチンコを開帳してしまった事件を重く見た会社の重役たちから、畠山は女性へのセクハラの疑いをかけられてしまった。後日、人事部長から「厳重注意」も受けた。さらに後日、重役たちが居並ぶ懲罰委員会の席に呼ばれた畠山はあろうことか、
「なめんじゃねぇ!みんなの前で、たまには変態仮面でもやって、開チンしてガス抜きやらねえと、徹夜で決算の仕事なんて、できるわけねぇだろ!!!お前らバカか?金玉、付いてんのか!!!」と重役たちに暴言を吐き、クビになった男だ。
その畠山でさえ、俺と吉田さんの男と男の裸の付き合いだからこそなせるこの体勢を目撃したら、甘美な夢見心地になるに違いない!
やがて、その時が来てしまったのだ。
「こうちゃん!よっしゃあ、いくで!!!」
「よ、よ、吉田さん!ちょっと、待ってくださいよ!」
「よーい、ドン!」
その瞬間、俺の金玉に吉田さんの全体重がのしかかり、俺の金玉は瞬間的な超強烈な激痛に苛まれ、金玉袋が破ける一歩手前で辺り一面が真っ暗になり何も見えなくなってしまった。激痛で気絶したのだ・・・。