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吉田さんとオレ その五 前編(一~十五)

 六月二十六日。俺は相変わらず、仕事に追われている。今日も、午前中から社内の購買システムに不具合が出ているとか、経理部や総務部の連中から社内メールが送受信できないとか、俺たちのシステム部にひっきりなしにクレームが入っていた。確かに、メールシステムのトラブルシューティングは、大切な仕事である。会社やそこで働く人たちにとって、メールは今や最重要のコミュニケーションツールだ。でも、この大切な仕事は、俺のこれからのキャリアアップと、一体何の関係があるのだろうかと、ふと考え込んでしまうことがある。社内メールのトラブルシューティングやメンテナンスは、会社の連中から大いに感謝される一方で、よその会社の人たちからすれば、「ふーん」とスルーされるようなちっぽけな仕事に過ぎないのだ。あくまで、その会社でしか通用しない仕事だ。

 IT業界の人材不足のご時勢、俺だってキャリアアップに必要なスキルや経験は欲しいし、ましてや、IT業界でお決まりの転職事情を考慮するなら、この会社でしか通用しない知識やスキル、技術などを沢山もっている「会社の百科事典」のような人材になってしまってはもうおしまいだ。仕事終わりの頭がクーリングしたところで、最近そんな考えが毎日のように頭の中を行ったり来たりしている。でも、俺は毎日、もくもくと仕事をこなすしかないのだ。

 メールシステムの仕事が片付くと、時計は十二時を回っていた。俺の同期や後輩たちは、深夜の残業に備えて昼食もそっちのけ。昼休みの一時間は、仮眠を取ることが多い。俺はというと、この休み時間の間に少しでも仕事を前に進めたいと思い、会社の近くにあるコンビニで、おにぎりを二個買って、職場でおにぎりをサクッと食べ終えると、またパソコンと睨めっこを始める。今日もコンビニでおにぎりを買って職場に戻った。おにぎりを食べようとすると、スマートフォンが鳴った。おや、吉田さんからだ。

「もしもし」

「もしもし?山下です」

「もしもし。こうちゃん?」

「はい。どうかしましたか?」

「こうちゃん、相談したいことあるんやけど。今夜は、何時ごろに万屋に来れんの?」

「あー、すみません。ちょっと、時間は分からないですね。いつものことですけど、仕事が忙しくて」

「そう・・・。ほな、僕、午後十時頃に万屋に行くから、のんびり風呂に浸かって、こうちゃんを待ってるわ」

「分かりました。遅くなるかも知れませんが、必ず、万屋に行きます」

「了解」

 以前、吉田さんが俺に電話番号を聞いてきたが、何のためらいもなく電話番号を教えてしまった。吉田さん、うまく説明できないけれど、自分とは違った魅力を持っているのは確かで、フレンドリーなところもあり、警戒感はすっかりなくなってしまったのだ。

 案の定、今夜も退社は遅くなってしまった。でも、いつものことだ。俺は、他の会社では通用しないスキルを駆使して、社内メールシステムのトラブルシューティングを朝からこなし、その後は経理部の連中から航空券の予約システムにエラー表示が出て、旅行会社の航空券を予約できないとかで、夜遅くまで対応に追われていた。気が付けば、午前様目前・・・。仕事が一段落し、ホッとしたところで吉田さんとの約束を思い出した。仕事はこの辺で切り上げることにした。明日は、早朝から今やっている残りのシステム不具合を永延と修正するのだ。

 会社からてくてくと早歩きで銭湯の万屋まで約十分。吉田さんは、まだ銭湯に浸かっているのだろうか。のぼせてはいないだろうか。

 脱衣所で服を脱いで、いつものもくもくの湯けむりをかき分けながら、銭湯にいるはずの吉田さんを探した。吉田さんは、もう立派なご年配だけれども、年齢に似合わず、もの凄いロン毛なのでよく目立つ。おまけに白髪一本ないのだ。つやつや黒々としたロン毛なのだ。吉田さんを後ろから見ると、ロングヘアーの年若い女性と勘違いしてしまうほどだ。

 もくもくの湯けむりをかき分けて、やっと見つけた吉田さんは、洗い場で忙しそうにバシャバシャと髪を洗っていた。

「すみません。遅くなりました」

「おー、こうちゃん!来たな!」

「すみません。今日は、本当に忙しかったんですよ」

「そんなこと、どうでもええんよ。お疲れ!」

「ずっと銭湯に入ってたんですか?」

「そんわけないやろ!のぼせるから、一旦風呂上がって、脱衣所でウンコしたりとか、コーヒー牛乳飲んだりとか。とにかく、こうちゃんが来るのを待ってたんよ。今日はめっちゃのぼせたから、万屋の外で野糞して夕涼みもしたで!」

「そうですか・・・。本当にすみませんでした」

「まあ、気にせんといて」

「で、相談って何ですか?」

「こうちゃん。聞いて、びっくりせんといてや?」

「はい」

「実はな、僕な、体は男やけど、心は女の子やねん。こうちゃん、トランスジェンダーって聞いたことある?僕、あのトランスジェンダーの当事者なんよ。まあでも、簡単な話やで。金玉とチンコ、取ったらええんよ。そしたら、心と体の不一致は治るわな。おっぱい、ないけどな。こうちゃんと初めてあった時のこと覚えてる?僕、桶で金玉とチンコ、隠してたやろ?あれな、体にコンプレックスがあるから、そうしてたんよ。だって、男の人に金玉とチンコ、ガチで見られるの恥ずかしいやん?恥ずかしくて恥ずかしくて、発狂しそうで隠すしかなかったんよ。僕な、根っからのピュアな乙女やねん。で、あの夜はこうちゃんみたいな若いサラリーマンがわんさかおったから・・・」

「・・・」

 俺は、吉田さんの横で髪と体を洗いながら、俄かには返事のしようがない吉田さんの話を聞いていた。そして時間だけが過ぎていった。俺は覚悟して吉田さんに尋ねた。

「相談したいことって、金玉とチンコのことなんですよね?」

「ポンチョ!待ってました!!!」

「で、相談したいことって、具体的に何ですか?」

「うん。藤井寺の闇業者の話によると、金玉一個切除するのに三十万円。チンコ一本、ちょん切るのに二十万円。普通、男には金玉二個とチンコ一本付いてるから、あいつらを全て切除するのに八十万円もかかる。心と体を合すのに、医者に八十万円払うとか、アホみたいな話やんか?で、タマ取ったら取ったで、ひょっとしたら何ちゅうの・・・。僕、タマ取ったこと、後悔するんとちゃうか思って心配してしもて・・・。やっぱり僕、生まれつき、体は男やから、金玉とチンコの切除手術をやらんかったら良かったなんて、後で後悔するかも知れんのよ。こういう時に登場するのがこうちゃんです!そう、こうちゃんなんよ!!!こうちゃんさあ、システムエンジニアやろ?最近流行りの3Dプリンターとか、詳しいんとちゃうの?僕な、もしタマ切除したこと後悔したら、タマを復活させること考えると思うねん!そんな時な、3Dプリンターでほんまもんと見間違えるほどの金玉の袋の血管一本一本までも、忠実に再現した3D金玉を六個ぐらい股間にまたぶら下げたら、正々堂々と男湯に入れると思うねん!!!だから、こうちゃんにはいざという時に、3D金玉制作の総監督になって欲しいねん!!!」

「・・・」

 俺はまたしても、その場でとっさに返事ができなかった。金玉ビジネスに詳しくないし、そもそも、システムエンジニアと3Dプリンターとは関係がないのだ。でも、

「吉田さんの事情はお察ししました。いざという時は、協力させて頂きます」

「おお!さすがはこうちゃんや!!!」

「俺のできる範囲での協力になってしまいますけどね」

「よっしゃあ!こうなったら、僕のタマタマも千秋楽やで!医者が切除したら、僕のタマタマ、ゴミ箱に捨てられんのかな?金玉の切除記念にタマ一個ぐらい、ホルマリン漬けにして保存したいぐらいやね!こうちゃん、千秋楽やで、千秋楽!!!僕らにはもう残された時間がないんや!だから今から、僕の左の金玉をヤマシタくん、右の金玉をコウジくんと呼ぶことにするわ!往生際が悪い、なんちって!!!」

 この爺さんは、一体、何を考えているのであろうか・・・。

 風呂上りのコーヒー牛乳は、いつもながらに最高に美味い。俺はコーヒー牛乳が大好きだ。でも、今夜ばかりは今頃、意気揚々と家路についている吉田さんの股間に、俺と全く同じ名前の金玉がぶら下がっていることが容易に想像されて、コーヒー牛乳を飲むことはひどく憚れるのであった・・・。

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