吉田さんとオレ その四 前編(一~十五)
四
露天風呂の長老二人は、この変態、いや吉田玉之助さんという方をよくご存じで、銭湯でちょっとしたコミュニティを形成していて、吉田さんはコミュニティの世話人の一人だそうだ。天王寺の下町の銭湯界隈では、ちょっとした有名人らしい。道理でこんな変態にもお二人は動じないわけだ。
俺は、吉田さんと一緒に洗い場で体を洗い始めた。
「自分、名前、何ちゅうの?」
「山下です」
「下の名前は?」
「光司です」
「どんな漢字?」
「光に司で、光司です」
「あ、そう。で、仕事、何してんの?」
「システムエンジニアをやっています。あべのハミダスの近くにある会社で働いています」
「歳、いくつ?」
「今年で34歳です」
「自分、独身?」
「はい」
「彼女、おるの?」
「いや、いないです」
そんな他愛のない話を吉田さんとしながら、俺たちは洗い場で互いに横に座りながら、髪の毛を洗い、顔を洗い、髭を剃り、体を洗い、足の裏も洗ったりしながら、話を続けた。
さっきのご年配二人も、吉田さんの話によれば、この銭湯「万屋」の常連らしい。二人ともとっくに仕事をリタイアしていて、昼間は二人して酒か麻雀かパチンコでやり過ごし、夜は一日の締めとして万屋の銭湯に入るらしい。確かに、こういう老後の生活は最高だと思う。
それにしても、裸の付き合いというのは、こうも簡単に打ち解けるものなのだろうか。年齢こそ聞かなかったが、吉田さんは見た目からして六十歳過ぎだろう。吉田さんと出会ってしまった万屋の初日・・・。そして、風呂上りの楽しみと言えば、古今東西を問わずビン詰めのコーヒー牛乳と決まっている。俺にとって、親と銭湯に行っていた時の楽しみがまさにコーヒー牛乳だった。会社での殺伐とした生活から解放された風呂上りの一時・・・。そして、銭湯のゆかいな仲間たち。銭湯が俺のようなサラリーマンにとって、忘れかけていた人間としての安らぎを与えてくれるリアルな場所であることは、火を見るよりも明らかだった。どこか、救われた気がした。深夜の残業代で銭湯代とタクシー代をまとめて払うだけの価値はありそうだ。それにしても、吉田さんのあの圧倒的な存在感は一体何だろうか。初日の万屋だけで吉田さんの謎に迫るだけの余裕は、俺にはなかった。