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吉田さんとオレ その十二 前編(一~十五)

十二

 九月七日。土曜日。俺は相変わらず無駄に仕事が忙しくて、土曜日も休日出勤している。だから、月曜日から土曜日までは深夜に万屋の風呂に入り、日曜日は昼食後の午後一時頃から万屋の風呂に入るのが、定番のパターンになってしまった。吉田さんも、そのことは良く知っていて、日曜日は昼前に万屋に来て、俺が来るのを長湯して待ってくれるのだ。

 晩夏の日差しが毎日のように、肌を照り付ける。じっとしていても、じわじわと汗が全身から噴き出してくる。大阪の夏は本当に暑い。銭湯にある「水風呂」というのは、初夏の頃に入るのには随分と躊躇したけれど、夏のオアシスであることが最近になってよく分かった。子供たちは、真夏のギンギラギンの太陽の日にかき氷を美味しく食べる。そして、いい歳した大人たちは、ギンギラギンの太陽の日に万屋の水風呂に入り浸るのだ。

 いつものように、脱衣所で服を脱いで全裸になり、脱衣所と浴室とを区切っているガラス戸をガラガラと開けると、吉田さんが熱心に髪の毛を洗っている姿が見えた。早速、かけ湯をして体を洗い、吉田さんの隣の席で俺も体を洗い始めた。

「吉田さん!」

「こうちゃん、やっと来たな!僕、まだタマタマ付いてるで!やっと軍資金の八十万円を工面できたけど、なんかやっぱり、タマ取るのって怖いなぁ・・・。でも、タマタマ早く取ってしまいたいな・・・」

「吉田さん、本当に未練はないんですか?」

「えっ?どういうこと?」

「吉田さんにとって、金玉を切除するのって、人生の一大事件じゃないですか。金玉を取る前と取った後とで、吉田さんの人生、大きく変わりますよね?俺、実は仕事のことで悩んでいるんです。今勤めている会社を辞めようかどうか、真剣に悩んでいるんです。俺みたいなサラリーマン、ぶっちゃけ会社の社畜の俺にとって、会社を辞めるのは人生の大決断であり、清水の舞台から飛び降りるようなものなんです」

「こうちゃん。だったら、迷って迷って迷って、考えて考えて考えてから、結論を出したらええんよ!」

「考えて考えて考えて、ですか?」

「ノイローゼになるぐらい、考えてからな!」

「ノイローゼ・・・。俺の上司、本当に仕事でノイローゼになって、うつ病にもなって会社を辞めました・・・」

「うつ病はあかんね。でも、こうちゃん。別に何でもええけど、物事について本気で死ぬほど考えたことあるか?」

「どういうことですか?」

「僕な、今でこそ、金玉論について語らせると、関西では右に出る者がおらんぐらい凄い人物になってしもたけど、そこに至るまでの道のりには、凄い葛藤があったんよ。今まで、こうちゃんには話したことなかったけど、実はな、友達から稼ぎがええとかで、仕事を紹介されて、アメ村の雑居ビルの四階にあるオカマバーでちょっとの間、バイトしとってん!その時に、金玉とチンコがぶら下がっているのに、なんで超ミニスカートを付けて女性の格好をして、ノーパンで働かなあかんのかと思って、僕、頭がおかしくなりそうやった。体は男。身なりは女。心も女・・・。心と体が不一致過ぎて、生きた心地がせんかったわ。それで、オカマバーのタマタマショーのバイトは、たった十日で辞めてしもてん。で、バイト辞めた日に、タマタマショーのために、顔に白粉と真っ赤な口紅付けたままで金色の紐パンも付けてたけど、タマタマショーが終わったら泣きべそかいて、もう顔が涙でしわくちゃになってしもて・・・。僕、悲しくて、悲しくて・・・。泣きながら、叫びながら、オカマバーを飛び出して、チャリで万屋まで四十分かけてぶっ飛んで来て、脱衣所で全裸になってわけの分からんことを一杯叫びながら風呂に入ったら、こうちゃんに会いました!若いこうちゃんを見た時にな、なんか救われた気持ちがしたなぁ・・・。で、その時から僕はこの摩訶不思議な体と心の不一致の問題について、一日に八時間以上、毎日毎日、真剣に考えてきたんよ!苦しい日々やったわ。でも、その苦しい日々を過ごす中で、ある時、ふと金玉とチンコを切除する考えと勇気が天からふわりふわりと降ってきた!天からふわりふわり、やで!万屋の湯けむりのもくもくと正反対の方角やで?ビックリするやろ?そしたら、今までのくすぶっていた気持ちは嘘のようにスッキリした。考えて考えて考えて・・・。そんな心の格闘の中でしか、本当の答えは出てこんのよ。でも、そんな本当に苦しい思いをしてたら、ある時、風の便りように思いもせん時に、答えは自分のとこにやって来るんやで。こうちゃん、本気で考えてや。答えはこうちゃんの中にあるで!」

 俺はハッとした。先日、小松君が会社を辞めて、俺もこれからのキャリアについて真剣に考えようと決めたばかりなのに、いつもの忙しさに怠けて、それどころではなくなっていたのだ。自分の中に答えは必ずある・・・。吉田さんの言うとおりだ。

 吉田さんは頭を洗い終えると、シャンプーで体を洗い始めた。吉田さんは、なぜか石けんを使わない。髪の毛も体も、シャンプーで洗うのだ。時々、石けんで頭と体の両方を洗う人を見かけるが、シャンプーで髪の毛も体も洗う人を見たのは吉田さんが初めてだ。以前、吉田さんにシャンプーで全身を洗う理由を聞いたのだが、「トップシークレット!」とか言って、わけを教えてくれなかった。

 さあ、頭も体も洗い終わったし、風呂に入ろうと思った瞬間、吉田さんはまた髪の毛を洗い始めた。

「えーい、ゴシゴシ!!!髪の毛、ゴシゴシ!!!」と、とても威勢がいい。

「吉田さん・・・。また髪の毛、洗うんですか?」

「こうちゃん!僕、まだ洗い終わってないで!」

「へっ?」

 次の瞬間、吉田さんはいきなり、パカっとロン毛のカツラを外し、洗い場の鏡の近くにカツラを置いて、今度は頭頂部のスキンヘッドの部分をゴシゴシと洗い出した。

「吉田さん・・・。ヅラだったんですか?」

「アタイ?そうよ、ヅラよ。何か問題でも?」

 吉田さんのトレードマークのロン毛の登頂部分、直径にして約二十センチメートルが不毛の地と化し、湯けむりで円形脱毛症のところは露だくとなり、水滴が滴りながら光り輝いている・・・。吉田さんから分離されたロン毛のカツラは、吉田さんのオリジナルの髪の毛と見まがうほどよくカスタマイズされており、よほど手の込んだ代物と見て取れた。吉田さんはカツラを暫くの間じっと眺めて、やがてさっきと同じようにゴシゴシ、ゴシゴシと威勢よく、カツラの「内側」を洗い始めるのだった。

「ゴシゴシ、ゴシゴシ!!!カツラの外側も内側もゴシゴシ!!!」

「吉田さん、今まで銭湯で一度もカツラを洗いませんでしたよね?俺、初めてですよ。吉田さんがカツラを洗うのを見たのは・・・」

「そうやね!カツラをゴシゴシするのは、いつもなら僕んちのアポートでやってんねん!でも、僕、借金してるやろ?家賃の支払いがずっと滞ってしもて、水道と電気を利用できなくなってしもてん。まあ、家主の僕に対する制裁やな!これでもし、また来月の家賃の支払いができなかったら、次はホンマにアパートを追い出されるで!だから今、僕、ヤバイ状態なんよ!家で満足にカツラをゴシゴシできへんねん!!!」

「吉田さん・・・。本当にお金のことで困っているのなら、とりあえず俺が家賃を立て替えますよ。遠慮なく言ってください」

「こうちゃん、ありがとな。でも、気持ちだけ受け取るわ。僕、お金のことだけは、自分で何とかするから・・・。よそ様には、お金のことで絶対に迷惑かけたくないねん!」

「そうですか。分かりました。でも、本当にどうしようもなくなったら、俺に連絡して下さい。家賃は俺が立て替えます」

「こうちゃん、ありがとう!気持ちだけ受け取っとくな!」

 吉田さんはロン毛のカツラを洗いながら、続けて俺にこんな話をしてきた。

「僕な、ずっと、心と体の問題で悩んできたやん?これって、なった人間にしか分からん凄いストレスなんよ。悩んで悩んで悩んで、悩み抜いて・・・。ずっと悩み続けて、ストレスで頭が禿げました!僕、別に禿げていること、恥ずかしいと思ったことないねん!昔、セ・リーグで阪神ナニガースと鹿島アートネイチャーズとの優勝決定戦の試合の時に、鹿島の代打のアルチンコがサヨナラ逆転満塁ホームランを打ったやろ?覚えてる?あのカッパ頭のメキシコの選手、僕、大好きやってん!!!尊敬もしててん!!!でもな、そうそう、こうちゃん!戦国時代の合戦を描いた屏風とか、美術館で見たことあるか?ないなら、とりあえず大阪市立美術館に一緒に行こう!屏風の特別展覧会とか、やってるかも知れへんで!で、武士の戦やから、はっきりと勝ち負けがつくやん?負けたサムライって、大抵落ち武者になって、僕みたいな髪型してるやろ?でも、戦国時代って、今みたいに医療技術が発達してないから、あの時代の落ち武者は全員、僕と同じ髪型してるけど、金玉とチンコ、間違いなく付いてるはずやねん!!!どういう意味か分かる?僕がこの髪型で、金玉とチンコを切除してしまったら、日本史の有史以来、初めて出現するタイプのサムライになるっちゅうことやで!!!僕、新型の落ち武者になるんやで!!!頭のてっぺん、禿げ散らかしてるけど、金玉とチンコが付いてないサムライになるんやで!!!これって、日本の歴史に僕の名前が残るってことやろ?それって、めっちゃ恥ずかしいやん!!!僕、実は、めっちゃ恥ずかしがり屋やねん!!!だから、今日見たことはみんなに黙っておいてほしいねん!!!こうちゃん、お願い!頼む!おーい、みんな!ここにおるみんなも、黙っといてや!頼むで!!!」

 加えて、

「さて、こうちゃん。質問です!僕の円形脱毛症を治す方法は何でしょうか?正解は、金玉とチンコを切除した時に、股間にチン毛だけ残ってたらみっともないので、全てのチン毛を頭の禿げてるところに毛根ごと完全移植し、円形脱毛症のところだけチン毛の天然パーマのロン毛スタイルに改めることです!!!!!」

「・・・」

 この人は、単なるアホなのだろうか・・・。

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