吉田さんとオレ その一 前編(一~十五)
一
サラリーマン。毎日、会社の歯車になって、心身ともに疲れ切った自分を癒す術がなければ、到底、長くは続かない今時のサラリーマン。ある人は酒に溺れて、つかの間の安らぎを得る。またある人は女の肉欲を貪り、一瞬の快楽に浸る。そういう行き場のない同僚や友達を嫌と言うほど見てきた。
大阪のJR天王寺駅の近くにあるあべのハミダスに程近い、築五十年ほどの雑居ビルの一角で、俺はシステムエンジニアとして働き、長らく冴えないサラリーマン生活を送っている。新卒以来ずっとシステムエンジニア。九年間も経ってしまった。ほぼ毎日、仕事終わりの終電で堺市にある会社の寮に帰り、翌日はまた始発の電車に乗り込み、会社に出勤するという半分マシーン、半分人間のような会社に入り浸った生活が続いている。三十歳を過ぎて「主任」という肩書きを得たけれど、そんなものは名ばかりで、仕事は主任への昇格前後でほとんど変わらない。変わったこと・・・。それはいつ会社を辞めると言い出すか分からない後輩二人の面倒と、最近、めっきり顔色が悪くなり会社を休みがちな課長の仕事の代行というダブルパンチを浴びることであり、今の終電・始発生活は、ほぼ永久に続くであろうとの絶望的観測を心に抱き続けている。仕事へのモチベーションは、どこに見出せるのだろうか。そんなことを考えながら、家と会社の往復生活を続ける日々だ。
今や大阪南部のランドマークとなった摩天楼あべのハミダスでさえも、深夜になれば、ひっそりと静まり返り鳴りを潜める。人々の往来が途切れ途切れになり始める午後十一時三十分過ぎの天王寺界隈。多くのサラリーマンは、とっくに家に帰ってしまった。
今夜は珍しく仕事が少し早く終わって、終電で帰らなくてもよい。でも、いつもの寮に帰るのも何だか億劫で、気分転換を兼ねて天王寺界隈を少し歩き回りたくなった。俺は大阪にある大学を出て、大阪で働いて、いつの間にかコテコテの大阪人に染まり切ってしまった。でも、奈良県出身ということもあり、天王寺界隈を歩くとちょっとした観光気分になって、気持ちは少しばかり晴れる。さらに、天王寺駅周辺の今時の洗練された場所とは違って、ここから十五分も歩けば、今なお下町の風情だ。いや、実際にここは下町で古臭い店構えをしている中華料理屋やアーケード商店街、生活臭が漏れ出てきそうな部屋を寄せ集めたアパートなどが沢山ある。でも、天王寺の下町生活は、俺のようなサラリーマンとは無縁に感じられる。そんな天王寺の下町にある細い長い路地を歩き続けると、右手の奥にパッと赤く目に染み入る暖簾が現れた。銭湯の暖簾である。