丘の上にて
今よりもっと昔のこと。
この世界には、見た目で差別され酷い迫害を受けていた、紅い色の目を持つ白髪の孤児の少年がいた。
少年はやがて人を憎み、怒り、『魔王』と呼ばれる怪物になってしまった。
怪物と化した魔王は酷く暴れ回って、色んな町を滅ぼしたり、自分と同じような怪物を創り出しては人々を殺し回っていた。
そんな魔王を止めようとした男がいて、彼はとうとう魔王の封印に成功した。
その男を、人々は『英雄』と呼んだ。
この町は平和だ。
英雄が魔王を倒した…封印した日から五百年が過ぎた今年も、平和を記念した祭りがあちこちで行われている。それはここ、『イロの町』でも同じだ。
ここは魔王が封印された地であり、俺達の故郷でもある。
「ねぇ、アンタは行かないの?」
町の裏手にある丘の上で剣の素振りをしていた俺に声をかけてきたのは、幼馴染のモモだった。
名前の通り桃色でサラサラの髪に、明るい同系色の目をした、それなりの美人だと思う。
「俺はここでいいんだ。まだ鍛錬を積んでいたいしな。」
「変なのー。せっかくなんだからお祭り楽しめば良いのに。」
「そういうお前だって、『魔法』の練習してるじゃないか。人のこと言えないぞ。」
魔法は大昔に発展したものだ。
自然の中に住む精霊の力を借りて敵から身を守るものと、神聖なる神々から託された力を使うものとあり、前者は『魔法使い』、後者は『司祭』と呼ばれる。
どちらも応用が利くし、攻撃や傷の手当てもできるが、それなりに疲れるらしい。
だから今では狩りの際にしか使われない。
大昔に平和を望んだ英雄は魔王に剣と魔法で立ち向かったらしいが、平和になってからはそのどちらも廃れてしまうとは…皮肉な気もする。
いや、平和になれば平和をもたらすものが不要になってしまうのも当然なのか。
「良いの。魔法は才能ある人しか使えないのよ?わたしにはその才能が溢れているってことでしょ。
だったら磨くしかないじゃない。たとえそれが、狩りの時くらいしか利用されないとしても。」
モモは相変わらずだ。いつも自信に満ち溢れている。
「…そうだな。」
「あーあ、また苦笑いしてるし。もう…行かないの?せっかく誘ってあげたのに。」
「悪い。」
「じゃあ…わたしも行かない。」
何故かモモはその場に座ってしまった。
「どうしたんだ?露店だって並んでるし、行けば良いだろ?」
「アンタが行かないなら、わたしも行かないの。」
モモはいつもよく分からない。
ただ…いつも俺についてくるから、それが当たり前になっているのだろう。可愛い妹分だ。
俺はそのまま剣の素振りを続けた。
ヒュー…ドォン…
そんな破裂音と共に、辺りがパッと明るくなる。
「あ、花火。」
「ここからで良いのか?」
確かにここからでも見えるが、賑わっている広場で見た方が楽しいだろうに。
「良いの!一緒にいたいんだし。」
「何で?」
「何でって…アンタが一人で意味のないことしてる寂しい人になっちゃうでしょ。」
なるほど、俺を気遣ってくれたのか。
「ありがとな、モモ。」
「別に。感謝されるほどのことじゃないから。」
「顔が赤いぞ?」
「花火のせいよ。」
本当は照れたのだろうが、俺はそういうことにしておこうと思った。その代わりというわけではないが、剣の素振りを終わらせて、俺はモモに頼み込む。
「なぁ、久々に魔法を見せてくれないか?」
「何、魔法見たいの?しょうがないなあ…」
そう言いつつ得意げな表情で、モモは手のひらを地面に付ける。
「花を」
そうモモが唱えると、丘の上には急に色とりどりの花が咲き始めた。
「ありがと。」
精霊に感謝の声を伝えるモモに、俺は感嘆する。
「あんまり、伝えるイメージが上手くまとまらなかったけど…。」
「やっぱりすごいな、モモは。似合わない謙遜なんて、しなくて良いぐらいだ。」
「謙遜が似合わないってのは引っかかるけど…ありがと。」
「そうだ、あと精霊は何て言ってるんだ?」
俺には精霊の声は聞こえない。だから、いつもモモの語る精霊の話は興味深いのだ。
「こんなので喜ぶアンタは変わり者だ…って言ってるわよ。」
「そうか?」
普通にすごいし、花は綺麗だ。喜ぶのは当たり前だと思うのだが。
「それに…はあ?」
「どうした?」
「普通、力を貸してもらったらお礼ぐらい言うよね?」
「普通はな。言葉を発する余裕があるなら言うだろう?」
何でそんなことを訊くんだ、と俺が質問する前に、怒ったようにモモは言う。
「花を咲かせてくれた子が、普段こんなことでお礼なんて言われないって言うのよ!」
「それはおかしいな。」
言い合っている俺達をよそに、町の方ではまだ花火が上がっている。
祭りはまだ続いているようだ。
「次は盛り上がっている町の声でも届けてもらおうかなぁ…。」
「やっぱり行きたいんじゃないか。俺のことは気にせず行ってこいよ。」
「お願いねー。」
俺の意見を無視して、モモは精霊と話している。
こいつめ。
「あ、ほらほら。聞こえてきた。」
丘の上にまで、ガヤガヤと町の話し声が聞こえる。露天商、楽しそうな子供とその親、盛り上がっている同年代の少年グループ…様々な声。
「ありがとね。」
「ありがとな。」
感謝の言葉を伝えるモモを見習って、俺も感謝を伝えてみる。
「そっちじゃないし。恥ずかしい…良いよ、わたしがアンタの分もお礼言っとくから。」
やはり精霊が視えないというのは寂しい。
俺はふてくされたフリをして、祭りの声に耳を傾ける事にした。
あれ買って、いらっしゃい、綺麗ね、花火、これいいな、羨ましい、お待ちどうさま、それいくら、ずるい、はぐれるぞ、あいつら、あっち行ってみよう、楽しいね…
目を閉じれば、その光景が浮かぶようだ。
(…ん?)
いくつか気になる言葉が聞こえたような気がする。
もう一度耳をすまして聞いてみる。
あいつらばかり、待って、羨ましい、どこ行ったんだ、我々のことを、なんだこれ、忘れて、的当てに使おうぜ、憎い、早く…
嫌な予感がする。
「どうしたの?」
「モモ、祭りの方に行こう。まずいことが起こるような気がするんだ。」
「どういうこと?」
「さっきの声の中に、気になるものがあって…」
ガシャン!
何かが割れるような大音が響き、俺達は思わず身を竦めた。
何だ、あっちから聞こえたぞ、何をした、ただ遊んでただけで、やっと、どうした、やっと出てこられた、まずい、ようやくだ、逃げろ、五百年ぶりだ…
大量の声の情報が流れ込んでくる。それを聞いた俺の頭の中に、一つ閃いたものがあった。
五百年前、魔王は虹色の結晶に封じ込められた。
そして、その結晶は町の北の方にある祠に安置されているという伝承がある。
かなり前、何となく図書館の歴史書を読んでいた時に見つけた記録。
五百年前の脅威なんて昔すぎて、その伝承や魔王についての正確な内容はモモの両親すら知らなかった。
小さな祠だって、前までは用もなく行く人間もいないし誰も近寄らなかった。
ところが、最近は段々とこの町の住人が増えて、北の方まで家が立ち並ぶようになっている。
(まさかとは思うが…。)
俺は思いついたことをモモに伝える。
「そんな…まさか魔王が復活した、なんて嘘みたいなこと言うの⁉」
「嘘みたいな本当のことだ。町に戻ろう。俺達でもできることがあるかもしれない。」
そう俺が言った直後だった。
ゴオオオオォオ!
叫び声のような音が上がる。恐怖に駆られたモモが魔法を解除しても聞こえるほどの大きな音だ。
町の上空に、黒に近い紫の霧状の雲が集まって人の形を形成する。
「ようやくだ、五百年待ったぞ!人間ども、今度こそ全て滅ぼしてやる!」
白髪に紅色の目。禍々しい角を生やしたその姿は…まごうことなき、魔王と呼ぶにふさわしい存在だった。
怖いのだろう、モモが俺の服の袖を引っ張る。
「俺の後ろに隠れてろ。」
流石に今回は、モモも何も言わずに俺の背中にしがみついた。
俺の足は地面に張り付いたように動いてくれないが、たとえ見つかってもモモだけは守らなくては。
「…手始めに、ここからにするか。」
「!!」
魔王はそう言うと、一瞬でイロの町を…俺達の故郷を、紫の炎で埋め尽くした。
「やだ…やめてよ…!」
隠れていたモモが、耐えかねて町の方へと駆け出す。
魔王は俺やモモに気付かず高らかに笑うと、ずっと北の方角へ飛び去っていった。
あまりのことに硬直していた俺も、足が動き出す。
まだ火の手が上がっている町の入り口に辿り着いた時、そこにはモモが呆然として座り込んでいた。
「どうしよう…みんな、逃げてるよね?」
「…。」
「ねえ、そう言ってよ!みんな逃げてるって、みんな生きてるって!」
答えない俺の胸ぐらを必死に掴んで、モモは泣きながら叫ぶ。
「おかあさあぁん!!おとうさあぁん!!」
血の繋がった家族のいない俺には、泣き喚く妹分を抱きしめて慰め続けることしかできなかった。