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あの子

蝶子は浴室にいた。

温かいお湯に浸かりながらすりガラスごしに見える空の青を見つめる。


「こんなことしてる場合じゃないのに……」


きちんと体を清められるのは久しぶりだが、

気分的にはそれを喜ぶどころではなかった。


「家から出られないんじゃ……何もできないじゃない」


病院に連絡したくらいで隼人を止められるはずがないと蝶子は思っている。

少女はじりじりしていた。


「それになぜ『あの時』だったの……?もし……『あの時』隼人が時雨殿を襲わなければ総理は助けられた……」


その瞬間蝶子ははっと顔を上げ、勢いよく立ち上がった。

浴槽の湯が激しく波立つ。

脱衣所で急いで体の水滴をぬぐい、乱暴に浴衣と羽織をまとった。

バタバタと廊下を走って移動し、茶の間に据え置かれている電話に手をかけた。



その頃、有栖川邸では夜に向けて宴の準備が行われていた。

鬼の村の女たちと火燐・翠蓮が屋敷の中を慌ただしく動き回っている。

大きなしめ縄を編んだ飾りを手に持ち、翠蓮はキョロキョロと部屋を見回した。


「なあ火燐。この飾りってこのへんでいいの?」


翠蓮が通りかかった火燐に尋ねる。


「まあ飾ってあればいいんじゃない?適当で」


翠蓮がはあとため息をついた。


「お前に聞いた俺が馬鹿だった」


火燐はむっとふくれっ面をする。


「じゃあ最初から聞くなよ。なあ、有栖川さんどこか知ってる?」


翠蓮は庭の方を指さした。


「さっきあっちで村のじじいたちと喋ってるの見たぞ」


火燐はそれを聞くと有栖川を探しに庭へ出た。

話は終わったのかちょうど有栖川が一人屋敷に戻ってくるところだった。

火燐は彼に声をかける。


「有栖川さん」


黒い髪が寒風でさらさらとたなびいている。

彼の金色の瞳が近づく火燐の姿をとらえた。


「どうした」


いつも通りの凛とした低い声。

彼こそが若くして北の鬼を束ねる有栖川礼だ。


眉目秀麗で力も兼ね備えた彼には積極的に近づいてくる女鬼も多い。

実際火燐も何度か彼女たちと屋敷で鉢合わせたことはあるが、

あまり有栖川自身が長く本気で付き合うような気配はなかった。

ただ「あの子」にだけは少し違っていたことを火燐は知っている。


「そろそろあいつの術、解いてもいいですか?計画は成功したし、もう必要ないですよね?」


あいつ、というのはもちろん隼人のことだ。

有栖川は少し思案したあと口を開いた。


「いや、時雨はまだ死んでない。今後もいちいちつっかかって来られると迷惑だからな。殺すまでそのままにしておけ」


火燐はえっ、と言葉を詰まらせた。


「自分の力で人間を殺すことに抵抗があるか?」


有栖川は火燐の心を見抜いているかのように問いかけた。

赤毛の少年鬼はびくりと肩を揺らす。


「お前は優しすぎる。あいつらのことはただの食料だと思っていればいい」


有栖川は火燐の肩を軽くたたいた。


「一条時雨は何者なんですか?あれは、人間じゃない」


有栖川は顔をしかめ、少しの間押し黙る。

そしてフンと鼻で笑いながら口を開いた。


「……なんてことはない。あいつは俺の腹違いの兄弟だ」


それを聞いた火燐は明らかに動揺し、たじろぐ。

有栖川は腰に佩いた刀に手をやった。


「これは元々有栖川の刀。それが一条家の祖先に奪われ、永らく奴らの家宝として祀られていた。それを先代が見つけたのだ。詳しいいきさつは知らんがその折に一条の女に手を付けたらしい」


火燐は口をぱくぱくさせ、やっとのことで声を発した。


「えっ……じゃ、じゃあ、あいつやっぱり鬼……?」


有栖川はニヤリと笑みを浮かべる。


「鬼であって人でもある、ともいえるがな……実際あいつの立ち位置は鬼でもなく人でもない。何者にもなれない哀れなやつだ。いっそあの時母親と一緒に殺してやった方がよかったな」


火燐はごくりと唾を飲み込んだ。

その時、屋敷の中で電話のベルが鳴った。


「ちっ……また人間からの連絡か。一体何の用だ」


有栖川は忌々しげに舌打ちをする。

すると誰かが受話器を取ったらしく、ベルがやむ。

しばらくすると翠蓮が玄関から顔を出した。


「有栖川さん……あいつ……あの女から電話が来てますけど……つなぎます?」


鬼の頭領は怪訝な表情を浮かべる。


「あの女?」


翠蓮は渋い顔をしたまましゃべる。


「交換手によると相手は橘蝶子と名乗っているようです」


有栖川は目を見開いた。

火燐は有栖川が一瞬だけ見せた動揺を見逃さなかった。


「……出る。つなげ」


「わかりました」


翠蓮は小走りに屋敷に戻っていく。

そのあとを追うように有栖川も玄関へと歩いて行った。


有栖川は翠蓮から受話器を受け取ると耳に当てる。


「もしもし……あの、有栖川さんですか」


確かに電話から聞こえる声は蝶子のものだった。


「なんの用だ」


有栖川はぶっきらぼうに答えた。


「連絡がとれてよかった……有栖川さんですね。突然電話してすみません、でもこれしか方法が思いつかなくて」


蝶子は有栖川と連絡がついたことに心底安堵しているようだった。


「だから何の用だと聞いている」


有栖川はせかすものの、決して怒っている風ではなかった。


「す、すみません。単刀直入に言います……隼人のことなんですけど、彼に『何か』してないですか?」


鬼は口元に意地悪そうな笑みを浮かべる。


「何かとはなんだ」


少女は慌てる。


「何かが何かはわからないんですけど、彼の様子が変なんです。もしかして妖術みたいなものをかけてるんじゃないかと思って……勘違いだったら申し訳ないんですけど」


有栖川はますます楽しげな様子になる。


「それがどうかしたのか」


彼は内心とは裏腹に冷静な態度を崩さずそう言った。


「やっぱりあなたの仕業なんですね?今すぐ彼を元に戻してください!このままでは隼人が時雨さんを殺してしまいます」


蝶子は鬼の頭領にくってかかる。


「……戻してやってもいい。ただし条件がある」


有栖川は交換条件を出してきた。

受話器を握りしめ少女は一瞬言葉に詰まる。

タダで言うことを聞くわけがないことは、蝶子も薄々わかっていた。


「……私ができることであれば何でもします」


彼女ははっきりと答える。

その言葉を聞いた有栖川は金色の瞳を輝かせ、妖しく嗤った。


「では俺の贄となれ。血を捧げよ」


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