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正義と求婚

蛍は留置所の檻の中で気を失っていた。

手足は枷で壁に繋がれ、腹部は赤い血で染まっている。

時雨たちを逃した直後、不意を突かれて背後から狙撃されたのだ。

動かないままの蛍の檻に数名の警察官が近づいてきた。

その中には鷹村と佐藤の姿もある。

一人が鉄格子の扉の鍵を開けると、鷹村が一番に入ってきた。

彼は佐藤から水がなみなみと入ったバケツを受け取ると、蛍にむかって勢いよくぶちまける。

水浸しになった蛍は、その衝撃で瞳を開けた。


「起きろ」


鷹村は冷たく言い放つ。


「不思議なことにお前はライフル銃で撃たれたにも関わらず傷はもう塞がっている。果たしてお前は、何者なんだ?」


鷹村に問われても、蛍は答えなかった。


「実はもうひとつ不思議なことがある。お前の仲間が消えたあの祠、どうこじあけようとしても開かなくてな。爆破解体してみたんだが、遺体も抜け道も見当たらなかった。今頃はもう市外に抜けているんだろう。残念ながらうちの管轄ではもうお手上げだ」


蛍は少しだけ唇を吊り上げて微笑んだ。

鷹村は佐藤から書類を受け取ると、それを眺める。


「土屋蛍一郎、と言ったな。お前が提出している経歴書、これ本当か?」


蛍は相変わらず口を開かず、表情は変えない。


「まあ、もうそんなことはどうでもいい。すでに俺たちにとってお前は利用価値がなく抹殺命令も出ているような奴だ。ただ、お前を診た医者がお前には医学的な研究価値があると言っている。つまりお前は今から研究所行きだ」


その言葉を聞いた蛍はさっと青ざめる。

聞き取りづらいが小さい声でぶつぶつと呟き出す。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……」


どうもそう言っているようだった。

今までの余裕が急になくなり、ガタガタと震えだす。

部屋は冷え込んでいるというのに蛍は全身に冷や汗をかいている。


「……せ」


青年は視点の定まらない瞳で何か言っている。


「何だ」


鷹村は蛍に訊ねた。

蛍は目の前に立ちはだかる男をギリっと睨みつける。


「そんなところにやるくらいなら今すぐ殺せ!殺せよ!!」


青年は手鎖をがちゃんがちゃんと乱暴に動かしながら激昂した。

鷹村はわずかに目を見開いたが、動じることはない。

それは土屋蛍一郎という男が、何かにひどく怯えていることに気づいているからだ。

鷹村は膝をつき蛍に顔を近づけると、こう言った。


「申し訳ないが俺はお前を救うことはできない」


続いて佐藤ら部下が持っていた縄で青年の体をきつく何重にも縛る。


「よせ!やめろ!!」


蛍はかなり抵抗したものの、大勢の警察官でどうにか移送用の馬車に閉じ込めることに成功する。

鷹村と佐藤はその馬車が走り出し、だんだんと小さくなっていくのを黙って見送った。

日はすっかり落ち、闇が世界を覆っている。


「……僕は正義の味方に憧れて警察官になりました。僕らが今やったことは、果たして正義だったのでしょうか」


佐藤はぽつりと、しかしはっきりと鷹村に聞こえるように言う。

鷹村はちらりと佐藤を見た。


「お前の正義を貫きたいなら、誰よりも偉くなれ。話はそれからだ」


鷹村は懐から取り出したタバコに火をつけ、白い煙を吐き出す。

佐藤はその煙が夜空に広がり、やがて消えていく様をじっと見つめていた。



一方地下通路を使って脱出できた蝶子たちは、夜間も運行している汽車に乗ることができた。

特に追手が来る様子もなく、三人は汽車に揺られながらひとときの休息を得ていた。

時刻は夜中の十二時をとうに回り、人々は眠りについている。

あいにく寝台車ではないため横にはなれないが、隼人は眠り、蝶子もうとうとしていた。

時雨は日中買っておいた新聞を入念に読んでいる。


「……時雨殿も少し休んだ方がいいのでは?」


蝶子は眠い目をこすりながらそう声をかけた。


「いや、うん、もう少し……あった。これだ」


彼は新聞の中の首相の記事を指差していた。


「十一月五日は京都の立憲政友会近畿大会に出席するとある。遅くとも、総理は今日の夜には東京駅から汽車に乗るはずだ。その時が一番危険かもしれない。間に合うか、微妙なところだが」


蝶子は不思議そうに時雨を眺める。


「時雨殿は今警察官の身分を取り上げられているのだから、本当は首相を守る理由などないはず。それなのに、なぜ……?」


少女は疑問に思っていたことを素直に口にした。

青年は首をひねってみせる。


「さあ……。そういえば何も考えていなかったな。ただ今回の件を野放しにすれば、鬼の勢力がさらに強くなる。それを防ぎたいのかも」


蝶子はくすりと笑った。


「なんだ、何がおかしい」


時雨は解せないという表情で少女を見る。


「それですら、もう特殊捜査課の仕事なのに。仕事が本当にお好きなんですね」


蝶子は屈託のない笑顔を青年に向けた。


「うるさい、俺をからかおうなんて十年はやいんだ。子供は早く寝ろ」


時雨は少女の頭をくしゃくしゃとする。


「もう、子供扱いしないでくださいってば」


蝶子はやっと肩まで伸びた黒髪を撫でつけながら唇をとがらせた。


「君みたいな跳ねっ返りをもらい受ける男を早く見てみたいもんだ」


時雨は意地悪そうににやりと笑う。

蝶子はその言葉に胸の奥がちくりとするのを感じた。

同時に隼人の「告白」を思い出して再び複雑な気持ちになる。

黙り込む少女の反応が予想外だったのか、時雨は慌てて付け加えた。


「えーと、そうだな。でも、逆に君のそういうところがいいっていう男もいると思うぞ」


蝶子はうらめしそうに時雨を見た。


「弁解は結構です。そんなこと言ってほしい訳じゃありませんから」


少女はそう言うとぷいとそっぽを向いた。

自分でもどう言ってほしいのか正直よくわからなかったが、蝶子はそこで話を終わらせようと思った。


(隼人には、東京に帰って落ち着いたらきちんと返事をしよう。それまでにどう伝えるか、考えなければ)


少女はそんなことを考えながら瞳を閉じようとする。

青年は前を向いて何かを考えるようなそぶりを見せていたが、やがて意を決したように口を開く。


「……もしもの話なんだが。もし、俺が君をもらいたいと言ったら、どう思う」


時雨が囁くように、ためらいがちに、蝶子に尋ねたのだ。

少女の心臓は突如として早鐘を打つ。

そんなこと、もしもで聞くなんて、ずるい。

蝶子はそう思った。

時雨も緊張しているのだろうか、こちらを見つめる瞳が揺れ、わずかに蒼い輝きを見せる。

まるで夜空に瞬く星のような光に、少女は自然と魅入られる。

蝶子は頬がかあっと熱くなるのを感じた。


「あの……わた、私は……その……」


少女はしどろもどろになって答えあぐねている。

青年はその様子を見てふっと優しく笑って言った。


「答えはいつか聞かせてもらおう。別に今じゃなくていい」


蝶子は少しほっとして息をつく。

寝ているはずの隼人は、そっと目を開けしばし二人を見つめると、再びまぶたを閉じた。


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