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地図

鷹村と佐藤は港に向かうため馬車に乗り込もうとしていた。


「鷹村さん!」


慌てた様子の警察官が鷹村にかけよって声をかける。


「どうした」


鷹村は馬車の扉を開けて顔を出した。


「関係あるかわからないのですが…近くの農家から馬が4頭盗まれたと連絡がありました」


鷹村は鋭い目を細くする。


「どのあたりだ」


「三丁目の方です」


鷹村はあごを触り考える様子を見せた。


「……港とは反対で山側に向かっているな」


「嘉兵衛の家にまた向かっているのでしょうか?でもあのへんはまだ他の警察官が残っています。戻る理由がわかりません」


佐藤は不思議そうな顔で首をひねる。


「まさか……川を下るつもりか?」


鷹村の言葉に佐藤は目を丸くする。


「佐藤。地図を持ってこい」


鷹村に言われた佐藤は走って地図を持ってきた。

鷹村は素早く地図を広げる。


「見ろ。嘉兵衛の家に行く途中に青奈湖がある。その東側に唯一湖から流出する竹川がある。この川を下れば隣の県まで出られる」


鷹村は節くれだった指で地図を指した。

しかし佐藤は賛同しなかった。


「僕竹川の近くに住んでいたから知っているんですが、あそこは場所によっては川幅も狭く流れも急なところがあるんです。小舟なら通れますが十中八九転覆しますね」


鷹村は落ち着いた様子で言った。


「それはお前が竹川の近くにいたから知っている情報だ。東京から来たあいつらが知ってると思うか?」


佐藤は「あっ」という顔をした。



蝶子たちは四人で馬を駆り田舎道を走っていた。

太陽はすでに傾きはじめ、地上を橙色に染めている。

蝶子も青年たちに混ざり立派に馬を操っている。

昔父にねだって隼人と二人で乗馬を習ったのが今頃になって役に立ったようだ。

彼女たちはあの大きな湖の前まで来ると、馬を降りた。


「お嬢さん、なんでまたここに来たんですか?」


隼人が不思議そうに蝶子に尋ねた。


「実は私の師匠である明星さんから、地図を預かっているの」


地図、と聞いて一同はよけいわからないという顔をする。


「今、地図がどう役に立つんだ?」


時雨は怪訝な表情をしている。


「隼人が私を牢屋から助け出してくれたとき、私はどこにいたか覚えてる?」


隼人は少し考える顔をし、答えた。


「鬼の家の、地下でしたね。それが何か関係があるんですか?」


蝶子はにっこりと笑う。


「そう、地下よ。人は太陽を好むけれど、鬼たちは基本的に夜行性なの。人は地上に住み、鬼は地下を利用することに長けている」


蝶子は湖のほとりに建てられた、古びた祠に近づいた。


「時雨殿、ちょっとこちらへ」


蝶子は手招きし、時雨を呼んだ。

彼はおとなしく蝶子に近づく。


「この祠に触れてみて」


少女に言われるがまま、時雨はゆっくりと祠に手を当てる。

それと同時に閉ざされていたはずの祠の扉がぎいっと軋んだ音を立てながら開いた。


「蝶子ちゃん、どういうこと?」


蛍は蝶子に尋ねた。

当の時雨もぽかんとしている。


「ここは鬼の地下通路の入り口なの。鬼の血を持つ者しか開けられないようになってるそうよ」


蝶子は懐から地図を取り出すと、開いて他の三人に見せた。

描かれた通路はかなり入り組んだ構造をしており、地図がなくては迷ってしまいそうなほどだった。

通路は鬼の里を中心とし、市外、いやそれ以上先まで伸びている。


「なるほど、これを使って市外まで出られれば、交通機関も使えるかもしれない」


そういって、時雨は久しぶりに明るい表情を見せた。


「さあ、人が来ないうちに早く」


少女は青年たちを急かす。

しかし一人、蛍だけが動かない。


「蛍さん?」


蝶子は不思議そうに蛍を見る。


「先に行って。僕たちは囲まれている」


蛍はその本性故、他の者より耳がいい。

どうやら異変をいち早く察知したらしい。


「この秘密を誰かに知られたままでは逃亡が成功する確率が低くなる。だから僕が全員始末しておく」


蛍はいつもの穏やかで柔和な微笑みを見せる。

しかし、その横顔にはまるで凍てつく氷のような決意が垣間見えた。


「蛍さん、でも……」


蝶子が言いかけたとき、藪から警察官らしき男たちがいっせいに飛び出してきた。

二、三十人はいるだろうか。

集められた人数を見ても警察の本気度が目に見えるようだ。


「ほんと言うとさ、僕は会ったこともない総理大臣なんてどうでもいいんだよね。でも、僕の大事な人たちを脅かす奴は許さない」


そう言って蛍は仲間に背を向けると優雅な所作で抜刀する。

次の瞬間から彼は恐ろしいほどの速さで片っ端から警察官をなぎ倒していく。


「……行こう」


時雨は蝶子の肩を押した。

蝶子が口を開こうとしたとき、ものすごい勢いでこちらに突進してくる男が視界に飛び込んでくる。

ーー鷹村だ。

鷹村は迷うことなく時雨にサーベルを振り抜いた。

青年はなんとか紙一重でそれを避ける。

鷹村は彼が抜刀する機会すら与えないほど攻撃の手を全く緩めない。

彼の剣さばきは人間においては相当な腕前と言っていいだろう。

そして殺すことに全くためらいがないのだ。

がっしりとした体躯が繰り出す斬撃は重く、疾い。

大きく打ち込んできた時にようやっと時雨は自身のサーベルを抜刀し、鷹村の刃を弾いた。

しかし鷹村は表情を変える様子はなく、感情は読めない。

すぐに次の一手を打ってくる。

と、時雨の前に蛍が無理矢理体をねじ込み代わりに鷹村の重い斬撃を阻止した。


「あんたの相手は、この僕だ」


にやりと笑う蛍は、この状況を楽しんでさえいるかのようだ。


「蛍。絶対に死ぬな。約束だからな」


時雨はそういうと、蛍に背を向ける。

蝶子は異を唱える暇もなく、祠へ転がり込むように入る他なかった。

まだ動ける警察官が数名、果敢にも攻撃をしかけてきたが、隼人がいともたやすく倒し、最後に祠に飛び込んだ。

時雨が祠の扉を閉める。

中は薄暗く、ひんやりしている。

しかし時雨が祠の奥に近づくと、その先の明かりが次々と灯り、地下へと進む階段が浮かび上がった。


「これが鬼の地下通路か」


時雨は感心したように呟くと、階段を降りてゆく。

蝶子は時雨に近づくと、心配そうに尋ねた。


「本当に蛍さん一人置いていくんですか?」


時雨は前を向いたまま答える。


「あいつは俺が一番信頼している部下であり、相棒だ。簡単にどうにかできるようなタマじゃない」


蝶子は時雨の後ろ姿を見つめる。

声がわずかにうわずったことを彼女は聞き逃さなかった。

蛍は時雨の一番そばにいて、可愛がってきた部下だ。

本当は心配じゃないわけがない。

でも、蛍のことを信じているのも本当なのだろうと、蝶子は思った。


「時雨さんがそう言うなら、私も信じます」


少女は時雨の背中に向かって明るく声をかける。

青年は振り向かなかった。

けれど蝶子の耳には「ありがとう」というかすれた小さな声が届いていた。


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