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電話

四人は鬼の里をあわただしく後にした。

しかし里の住人たちは追跡をしてくる様子もない。

蝶子にはそれがかえって不気味に感じられた。

自分達は総理大臣の暗殺計画を知っている。

翠蓮の対応から見てもそれは限りなく真実であったはずだ。

なのに有栖川は計画の邪魔をされかねない四人をみすみす逃がした。

蝶子は自分に対する有栖川の、奇妙な甘さのせいなのかと思わなくもなかった。

しかしそれとこれとはまた別のはずだ。

よほど勝算があると考えるのが一番しっくりきた。


「時雨殿……!急いで東京に戻りましょう。総理大臣に危険が迫っています」


蝶子は目線の高い時雨を見上げて訴えた。

先ほどまで蒼く輝いていた時雨の瞳の色は、いつの間にかもとの落ち着きを取り戻していた。

時雨はちらりと蝶子に目をやった。


「そうだな……だが今から下山したとしても暗殺決行日に間に合わん可能性の方が高いぞ」


時雨は渋い顔をした。


「麓に下りたら総理官邸に電話をつないでもらったらどうでしょう。それなら間に合うはず」


そう隼人が進言した。

日の光の下で改めて彼を見ると、髪は伸び肌は日に灼け、全体的に前にも増して引き締まっていた。

随分大人びて見えたので、蝶子は心の中で驚いた。


「確かに、それしか方法はないだろう。しかしさっきも話があった通り、彼は鬼の存在をあまり信じていない。実は以前から鬼が首相を狙っているという話はあったんだ。最近東京での鬼たちの活動が活発になっていたのもおそらくそのためだ。しかも首相は警備をあまり付けたがらない。俺たちの話に耳を貸してくれるかどうか」


どうやらものごとはそう単純ではないことに少女は気付かされた。

しかし、だからといって何もせず手をこまねいているわけにはいかない。


「とにかく、やれることはやりましょう。まずは麓の村に行って、電話を借りるところから」


蝶子は真剣な面持ちで他の三人に向かってこう言った。

四人は休息もそこそこに、急ぎ足で山を下った。



嘉兵衛の家の戸が叩かれたのは翌日の早朝のことだった。

空はまだ夜の気配が抜け切らず、人が訪れるには少々……いや、かなりおかしな時間だ。

嘉兵衛は突然の物音に驚き、体をびくりと震わせ目を覚ました。


「ごめんください。あの、朝早くに申し訳ありません。橘蝶子です。急ぎの用事がありまして、またお伺いしました」


その声と名前には聞き覚えがある――

少しの間霞がかった頭で考えを巡らせた嘉兵衛は、やがて一人の少女のことを思い出した。

決して忘れてはいけない、あの子だ。

それに気付いた嘉兵衛は慌てて飛び起き、玄関へと向かう。

いそいそと扉を開けると、そこには見覚えのある四人が立ち並んでいた。

もっとも、半年前とは少々様子が変わっていたが。


「蝶子さん……皆さんも、一体どうしたんだ?」


嘉兵衛は四人の切羽詰った表情を見比べるようにしながら、そう言った。


「嘉兵衛さん、お久しぶりです。こんな時間に申し訳ありません。実は急いで連絡を取りたい相手がいるんです。このあたりで電話があるお宅を教えてもらえませんか?」


蝶子が早口で事の要点だけ一気に伝える。

嘉兵衛はえーと、と少し考えたあとこう言った。


「ここから一番近いのは役所に勤めてる太郎んちだけども。必要なら案内するよ」


蝶子は感謝を伝え、案内を頼むことにした。



太郎と呼ばれる人の屋敷にたどり着くと、早速嘉兵衛が話を付けてくれた。

四人は玄関先に通される。

そこには台の上に置かれた四角い木の箱の電話機があった。

上には金属製の受話器と送話器が一体になったものが乗っている。

時雨は箱の右側にある取っ手を回し、電話交換手に繋げにかかった。


「そういえば、急ぎの用っていうけど、誰に電話するんだ?おっかさんかい?」


嘉兵衛が蝶子に訪ねる。

蝶子は真顔で問いに答えた。


「いいえ、総理大臣です」


その答えに嘉兵衛は思わず目を丸くし、言葉を詰まらせた。


電話が交換手の手によってつなげられる。

一同は時雨の背中を固唾を呑んで見守った。

電話が相手とつながったのだろう、彼はひとつ大きく息をすると、こう言った。


「医師の田中と言います。原敬殿はいらっしゃいますか。実は、弟君の豊さんが事故でうちの病院に収容されまして」


その場の全員がぎょっとしたのは言うまでもない。

相手は原敬邸の女中だろうか、きっと驚いているに違いない。

こんな嘘が果たして通じるのだろうか。

保留されているらしく、時雨は静かに沈黙している。

蝶子は握り締めた手が汗ばむのを感じた。


「――もしもし」


やがて、時雨の耳には一人の男の声が届いた。

少ししゃがれた、しかししっかりと張りのある声だ。


「……原敬さんですか」


時雨は動揺を見せずにこう尋ねた。

すると電話口の相手は短く答えた。

そうだ、と。


時雨はその途端、低く不気味な声音でこう言ったのだ。


「来る十一月四日、貴殿には天誅が下る。我々は正義の使者なり。もう一度警告する。十一月四日、我々は正義を執行する――」


時雨の耳元でがちゃん、という乱雑な音がした。

電話は原の手により、一方的に切られたのだ。

一同は時雨の発言に驚嘆していた。

彼はよりにもよって、総理大臣に暗殺予告をした。

これをいたずらだと思うか、本気だと思うかはもはや原次第だ。

時雨は普通に電話をかけても本人につないでもらえない可能性が高いこと、

例え運よく本人が出ても取り合ってもらえないことを計算していたらしかった。

少しでも警戒を強めてもらうための、苦肉の策だった。

時雨はゆっくりと受話器をもとに戻した。

静寂を破り、最初に言葉を発したのは蛍だった。


「――最高だよ、時雨さん。やっぱり僕の上司はこうでなくっちゃ」


さも愉快という様子で蛍は笑った。


「でも、今のがばれたら懲戒免職どころじゃ済まないかもしれませんよ……」


隼人は心配そうに言った。


「そのときはそのときだな。とりあえず今できることはやった。ただ、問題は首相が大事と捉えてくれるかわからない点だ」


時雨は顎に手をやって考えるしぐさをした。


「とりあえずなるべく早く東京に戻りましょう。間に合うかはわからないけれど」


蝶子の提案に一同は頷いた。



「旦那様。いかがでしたか」


電話を取り次いだ女中が心配そうに尋ねると、原はああ――と言った。


「いたずら電話だった。まあいつものことだ」


――いたずらと見抜けなかった。

そう思った女中は一気に青ざめた。


「も、申し訳ありません……!私慌てて起こしてしまって」


深く頭を下げて女中は原に謝った。


いい、と手で合図して原は厠へと向かった。


(私の暗殺話など、これが初めてではない。そんなことを気にしていたら政治活動はできない)


原はその言葉を自分に言い聞かせるように、心の中で反芻した。


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