宿命の二人
「お前……その目は……」
火燐と翠蓮は時雨を凝視した。
凍てつく氷のように蒼い輝きを放つ時雨の瞳は、鬼のそれと非常によく似ていた。
時雨の腕の出血はみるみるうちに少なくなり、やがて止まった。
おそらく常人では考えられない速さで傷がふさがったのだろう。
「お前はまさか……しかしそれならなぜ人間の味方なんてしている……?」
翠蓮はわけがわからないという顔をした。
「俺の屋敷の前で騒ぐな。うるさいぞ」
けだるそうな低い声が、響いた。
彼は黒い髪を晩秋の風になびかせながら着流し姿でゆったりと歩いてきた。
そして金色の瞳は二人の来訪者の姿をとらえる。
その内の一人、一条時雨に彼は目をとめた。
鋭い視線が絡み合う。
彼――有栖川は薄い唇をわずかに歪めた。
「お前がよもやこんなところまで追って来るとは思わなんだ。よほどそこの小娘にご執心と見える」
有栖川はからかうようにそう言った。
「それはお前の方だろう。蝶子君だけ特別扱いとは、どういう了見か聞かせてもらおうか、有栖川」
時雨の質問にも有栖川は動揺を見せなかった。
「お前に話す理由などない。特に人間の犬に成り下がった貴様のような者にはな」
有栖川の言葉に時雨は眉間の皺を深くした。
鬼はなおも言葉を続ける。
「しかもお前はあの小娘を利用した。自分の薄汚い目的のために」
時雨は黙ったまま特に反論する様子もない。
(私を利用した……?鬼を捕まえるために?)
でもそれは蝶子も望んだことだ。
それを薄汚いとまでは少女は思えなかったが……。
「お前の目的はわかっている。大方、この刀が目当てなのだろう?」
有栖川は腰にさした刀に手をやった。
骨ばった長い指は挑発するように艶かしく柄をなぞった。
確かに上等そうな刀ではあったが、特段変わったところは見受けられない。
時雨はその言葉にぴくりと反応し、きっと鬼を睨みつける。
そしてやっと重い口を開いた。
「それはお前のものじゃない。俺の母の形見だ」
(時雨殿のお母様の形見を有栖川が持っている……?どういうこと?)
蝶子には――否、その場にいる誰もが二人の関係性がよく飲み込めずにいた。
「お前の父親は刀を奪うために俺の母親に近づいたんだ。薄汚いのはそちらさんだろうよ」
ピリピリとした二人の険悪な雰囲気に周りは静まり返っていた。
有栖川は少しの間のあと薄く嗤いながら時雨に問いかけた。
「それで?お前は今どうしたいんだ。俺から刀を奪い返すか?それともその小娘を守りたいのか」
時雨はその言葉にはっと我に返ったようだった。
そしてちらりと蝶子の方を振り返った。
蝶子はどうしていいかわからず彼の蒼い瞳を見つめ返した。
少女は不思議な色の瞳に思わず時間を忘れてしまいそうになる。
時雨はこの場で有栖川と戦って刀を奪い返したいのが本音のはずだ。
だがそのために蝶子は自身がお荷物になっていることを薄々分かっていた。
しかし。
それ以上に大事なことがあったはずだ――
蝶子はじんとする頭の中でひっかかっていることを必死でたぐりよせた。
「そうだ、時雨さん……!た、大変なんです、鬼たちが、首相の、つまり総理大臣の暗殺を企てているんです……!!」
少女の口をついて出てきた言葉は衝撃的なものだったはずだ。
しかし時雨はあまり驚いた顔をしなかった。
「それで、君はどこまで知っている」
いつもの落ち着いた声音で時雨は蝶子に問いかけた。
逆にそのことに少女は驚き少々怖気づいた。
「私が知っているのは十一月四日、暗殺決行ということだけですが……本当ならもう時間がありません」
時雨は有栖川の方に向き直ると、真っ直ぐその目を見て言った。
「――と彼女は言っているがこれは首相に伝えてもいいことなのか?」
試すような視線にも有栖川は動じない。
「言ってみたらいいさ。あの者は鬼の存在を信じていないからな」
時雨はその言葉に顔をしかめた。
おそらくその通りなのだろう。
「お前と決着をつけるのはまだ先になりそうだ」
時雨がそういうと突然辺りが煙に包まれた。
鬼たちは真っ白な景色に驚き動けずにいた。
蝶子も驚いていたが誰かの大きな手が自分の腕を引いたので、それに従うことにした。
ようやく煙が引く頃鬼たちは遠くに四人の人間の姿を認めた。
その様子に翠蓮は慌てて声をあげた。
「追います!」
しかし焦る翠蓮を有栖川はやんわりと制止した。
「いい。放っておけ」
翠蓮は食い下がった。
「有栖川様!このままみすみす奴らを帰してもいいんですか!?ここで仕留めておかなければ――」
有栖川は余裕の表情を崩さなかった。
「今から駆けつけたところであいつらには止められんよ」
少年はそれ以上言い返すことはできなかった。
翠蓮は苦虫を噛み潰すような表情で四人の侵入者が去っていくのをただ見つめていた。




