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灰猫

どれほど寝ていたのだろうか。

隼人は重いまぶたを開けた。

あたりは真っ暗だったが、晩秋の山の景色ははっきりと見て取れた。

山中に一人うち捨てられたように倒れている青年の体は、枯れ葉や土にまみれていた。


(確か俺はあの赤い鬼と戦って、そして負けたんだ――)


彼は霞がかった記憶をもう一度呼び起こした。


(しかし、なぜ俺は生きているんだ?あいつはとどめをささなかったのか)


不可解に思いながらもゆっくりと体を起こす。

自身の体を確かめるように軽く体を動かしてみたが、特に痛む場所はなかった。

ふいにかさり、と枯れ葉を踏む小さな音がした。

隼人は音のする方を急いでふりむくと、そこには灰色の猫がいた。


(こんな山の中に野良猫がいるのか)


隼人は不思議に思ったが、なぜかその猫は紅く輝くきらきらした瞳で青年をじっと見つめた。

しばらくすると猫はふいと隼人に背を向けた。

それは去っていくものだと思った隼人はぼんやりと獣のうしろ姿を眺めていた。

しかし、猫はくりっと振り向くと、にゃあ、と小さく鳴いたのだ。


「……付いて来い、と言っているのか」


隼人はしばし悩んだが、念のためついて行ってみることにした。

猫は軽やかな動作で藪を進み、里に下りていく。

その姿を見失わないように隼人はあとを追う。

猫の方もついてきていることを確認するようにたまに振り返る。

そして灰猫は有栖川の屋敷の裏手に回りこむと、高い塀を乗り越えていとも簡単に侵入した。

自分の背丈より高い塀に隼人は一瞬ためらったが、登るしかないと腹を決めた。

地面を蹴り、塀の頂上に手をかける。


「……?」


そのときわずかに違和感を感じた。

いつもより妙に体が軽いのだ。

隼人がするりと塀を乗り越え敷地内に着地すると、少し離れたところで猫は待っていた。


(やはり俺を案内しているのか。しかし、鬼の屋敷に忍び込ませて、何が目的なんだ)


青年がいぶかしんでいるのを尻目に猫はなおも歩みを進める。

その獣はまるで屋敷の勝手を知っているかのように動きに迷いがない。

そうしてひとつの蔵の前でぴたりと足を止めると、猫はその場に座り込んでゆるやかに尻尾を振った。

蔵の扉には大きな錠前がかかっている。


「……これを開けろというのか?」


念のため錠をひっぱってみたがやはりしっかりと鍵はかかっていた。


(鍵は十中八九屋敷の中だろうし、探しにいくのはさすがに危険過ぎる。今だっていつ鬼に見つかるとも知れないのに)


力ずくで開けるしかない、と隼人は頭の隅で思った。

しかし自分の持っている刀や力でなんとかなるものだろうかとしばし悩んだ。

猫は早くしろと言わんばかりにじっと見つめてくる。


「一か八か、やってみるしかないか」


隼人は腰の刀を抜いた。

刀身は月光を反射し鋭く輝いている。

青年はひとつ大きく息をし、精神を集中させた。

そして刀を思い切り振りぬくと、錠前は真っ二つになり、地面にごとりと落ちたのだ。


「やればできる……ものなのか?」


隼人は刃を確認したが、特に刃こぼれした様子もない。

再び刀を鞘におさめると、青年は蔵の分厚い扉を開けた。

猫はその隙間からするりと蔵に入っていく。

隼人もそれに続いて蔵に入り、再び戸を閉めた。

するとやはりひとりでに行灯の明かりがつく。

ぼんやりと浮かびあがったのはたくさんの書物だった。

ところ狭しと棚が並べられているが、猫はそのうちひとつの棚の下をかりかりと引っかいた。


(この下に何か埋まっているのだろうか)


そう思った隼人は棚を押してみた。

棚を横に引きずると、なんとその下には穴があり、階段があるのが見て取れた。


「なんだ、ここは……?」


灰色の猫は、迷うことなく階段をとんとんと下りていく。

隼人もおそるおそる階段を下りた。

やがてたどりついた地下室にもぼんやりと行灯の明かりが灯る。

そこにあったのは、地面に突き立てられた一本の刀。

黒く大きな鉄製の檻。

そして、その中で僅かに動く人影――。


「お前は、誰だ」


隼人はその人物に問いかけた。

青年の胸には緊張が走り、思わず刀に手をかける。

隼人はゆっくりと振り向いた人物の顔を凝視する。

ひとつに結われた艶やかな黒髪、大きな瞳、白い肌、ふっくらとした桜色の唇――

青年はそれらに見覚えがあることに気付くと、途端にどくどくと心臓が脈打った。

揺れる行灯の明かりで浮かび上がったその人物こそ――、彼が半年もの間追い求めた、その人だった。


「お嬢さん――」


あまりの衝撃に口の中がからからになる。

その声に少女がぴくりと反応する。


「――隼人。隼人なの?」


聞き覚えのある鈴の音のような可愛らしい声が、青年の名を呼んだ。

隼人は急いで檻に駆け寄った。


「はい――、そうです、隼人です。よくぞご無事で。お怪我はございませんか」


その少女――蝶子が檻にかける手に青年は思わず手を重ねた。

小さな手から伝わる温もりが、たまらなく愛おしかった。

隼人の目頭は自然と熱くなる。


「大丈夫、怪我はないわ。でも、ここから出られなくて」


隼人は扉の錠前をさっと確認すると、刀を抜いた。


「お嬢さん、少し下がっていて下さい」


そう言うと隼人は再び錠前を切り伏せてみせた。

がちゃりと檻の扉を開け、蝶子を解き放つ。


「すごいわ、隼人。いつのまにそんな技を?」


蝶子は目を丸くして驚いた。


「俺にもよくわかりません。寝て起きたらできるようになりました」


その言葉に少女はふっと笑顔を見せた。


「なんだかよくわからないけど、助けてくれてありがとう。このままここで死ぬと思っていたわ」


花がほころぶようなその笑顔に、隼人もつられて笑顔を見せた。


「お嬢さんを助けるのが、昔から俺の使命ですから」


蝶子はまたしても笑ってみせた。


「使命だなんて、大げさね」


隼人は心に再び明かりが灯ったようだ、と思った。

この笑顔をまた見ることができた――それが青年にとって何よりも嬉ばしいことだった。

感動のさなかだったが、彼ははたと動きを止めた。

そういえば、とあたりをきょろきょろ見回す。


「どうしたの、隼人」


蝶子はその行動を不思議そうに眺めた。


「いや……実はここまで案内してくれた者がいたんですが……」


隼人はかしかしと頭をかいた。


「案内を……?一体誰が?」


「おかしな話なんですが、それは猫でして……」


「猫……?」


蝶子はますますよくわからないという顔をした。


「いえ……なんでもありません」


隼人は口をつぐんだ。

あの灰色の猫は、いつのまにか姿を消していた。



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