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怒り

「一条時雨……君が?」


恭介はその名前に聞き覚えがあった。

蝶子と共に光子の家へ訪れた警察官だ。

想像よりも若く、また端正な顔立ちの青年であることに恭介は内心驚いていたが。


「はい。お初にお目にかかります。その分だと私のことはご存知のようですね。蝶子さんからは、どこまでお話を?」


時雨は丁寧に言葉を紡いだ。

恭介は眉間に皺を寄せ、顎に手を当てながら質問に答えた。


「蝶子は北の山に行くと手紙に書き残して出て行ったきりだ。鬼を追うとか、わけのわからないことを言っていたが……君は何か知っているのか?」


恭介は時雨の方を見ながら問い返す。

時雨は少しの間のあとはい、と頷いてみせた。


「私は警察の特殊捜査課に所属しています。特殊捜査課というのは、『人ならざる者が人間に害を及ぼしたと思われる事件』を担当する部署です。お嬢さんがおっしゃっていた通り、今回は鬼が起こした事件の捜査をしていました」


恭介は渋い表情のまま、黙って時雨の話を聞いていた。

時雨はなおも話を続けた。


「理由はわかりませんが、鬼が蝶子さんに興味を持っていることに私は目をつけました。それを利用すれば、鬼は必ず向こうからやってくる。そう考えて私は蝶子さんを北の山へ誘い出したのです」


恭介はそこまで聞いて目を見開いた。


「じゃあ君は、蝶子と一緒にその山へ行ったというのか?それで、蝶子は今どこに?」


その場の空気が一気に張り詰めたものへと変わった。

恭介は時雨を食い入るように見つめる。

時雨は重い口を開き、淡々と事実を述べた。


「実は、その山――弘西山で、蝶子さんを見失いました。現在も隼人君が現地に残り捜索を続けていますが。正直生死は不明という状況です」


時雨が話し終えると、その場はしんと静まり返った。

誰も身じろぐことをせず、全員が固まっていた。

それは一瞬だったのかもしれないが、時雨と蛍には恐ろしいほど長く感じる時間だった。

外で雨の降る音だけがいやに大きく聞こえる。


次の瞬間。

静寂を切り裂くようにどんがらがしゃんと大きな音が鳴った。

玄関に置いてあったランプや陶器製の傘立てが投げ出され、割れた。

そこには時雨の体が力なく転がる。

恭介が時雨を殴り飛ばしたのだ。

しかしその怒りと悲しみは一度の暴力だけではおさまらなかった。

時雨に馬乗りになると幾度となく殴りつけた。


「ふざけるな、ふざけるなあっ!!娘をそそのかして利用した挙句、生死がわからないだと!?そんなことあってたまるか!蝶子を返せ!!!」


恭介の瞳からは大粒の涙があふれていた。

蛍とハルさんはなんとか恭介を止めようとしたが、その間時雨は抵抗もせずただ殴られ続けていた。

やっと二人を引き離した頃、時雨の綺麗な顔は腫れ、口端は血で染まっていた。


「今日のところはお帰りください。旦那様は疲れていらっしゃるようで……」


ハルさんは嗚咽をあげる恭介の背中をさすりながら、困惑した表情でそう言った。


「何か分かり次第、またご連絡します」


蛍は時雨を支えながらそう言って会釈をすると、橘邸を後にした。

二人は小雨が降る夜道を無言のまましばらく歩く。


「……時雨さん。なんで抵抗しなかったんですか」


先に口を開いたのは蛍だった。


「聞くまでもないだろう。俺は殴られるようなことをしたんだ。俺があの人でも同じことをしたさ」


時雨は蛍の方を見ずにそう答えた。


「僕はあんな時雨さん、見たくなかった。というか今日だけじゃない。蝶子ちゃんがいなくなってからの時雨さんは見ていられない」


蛍は悲しげな表情で時雨に訴えた。


「……すまなかった」


時雨は誰に聞かせるという風でもなくそうつぶやいた。

雨足は先ほどよりも強くなっている。


「傷、痛むんじゃないですか」


雨に濡れる時雨に向かって蛍は問うた。


「いや、大丈夫だ……俺は人間じゃないから、すぐ治る」


そう言う時雨の横顔は、確かに腫れが引き始めていた。

蛍は無言でうつむいた。


「今日はこのまま帰る。また明日、署で」


時雨はそれだけ言い残すと、自宅の方へと歩いていった。

蛍は彼の背中が見えなくなるまでただ見送った。


(もっとうまいこと言って言い逃れればよかったのに。別に僕のせいにしたってよかったんだ。それなのに、時雨さんは自分だけ悪者にした)


蛍はやりきれない思いで時雨のことを考えていた。

そして彼は、誰もいない場所でそっと呟いた。


「……だから時雨さんは、不器用だっていうんだ」


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