世界の歪み ―アラン―
頭が混乱する。
ベルフェゴールが言い残していったアレはどう解釈すればいいんだよ。
「その『白の書』と『黒焔の獅子』はこの世界の歪みを正すものです」
世界の歪みってなんだよ。
世界が金色の魔王ってなに?
神が独裁者?
天使は可哀想な奴隷って……
神話と創世記がどうしたんだよ。
成長が止まった世界?
世界を取り戻す戦いって……
俺たちはどこに向かっているんだ?
金色の魔王を倒す。
それが終着点じゃなかったのか?
「アランさん。そろそろ離してくれませんか?」
レオが腕の痛みを訴えてくる。
あ、悪い……
俺が掴んでいたせいで歩きにくかっただろうしな。
レオは腕を擦り、回す。
「どうしたんですか?」
そんな惚けた顔しやがって……
レオは本当になにも知らないのか?
ベルフェゴールは今は仕方がないって……
なにが仕方がないんだよ。
意味のわからないことばかりだ。
……ユキムラはなにかを知っていそうだった。
レオの学友なら話をする機会だってあるだろう。
なにかを聞いたりしていないのか?
あ――、ごちゃごちゃ考えるのはイヤなんだよ。
「レオ。本当になにも知らないのか?」
真面目に聞いてんだ。
そんなにキョトンとした顔をするなよ。
「なにもって、俺になにを聞きたいんですか? 聞かれてもわからないと思うけど」
俺だってわかんねぇだよ。
なにを聞けばいいんだ?
なにを知ったらいいんだ?
なにを尋ねたらいいんだ?
ヴィーが俺の手にすがってくる。
いや、俺が今ヴィーにすがりたいんだ。
母様のような包み込む優しい目を俺に向けてくれる。
ヴィーの手は暖かい。
「レオ、俺たちはどこに向かっているんだ?」
こんなこと聞かれても困るよな。
答えなんてないような質問だ。
「悪い。今のは……」
「世界を取り戻す。全てはそこからだ」
え?
あんなに頼りないと思っていたレオが、頼もしく感じる。
いや、頼りにしてなかったわけじゃない。
人の姿でいるレオはいつもどこか頼りなさげで、子供染みていて……
なんで獅子の姿の時のように、創世の聖獣らしくしゃんとしてないんだと思っていた。
その力強い笑顔をいつもしていればいいのに。
不安なんか吹き飛ぶようなその、頼もしさは父様みたいだ。
――――あの頃に戻りたいな。
「アラン……」
ヴィーの手を強く握る。
俺にはヴィーしかいないから……
俺、ヴィーの前だけでは泣かないって決めていたのに……
止まらない。
泣いている暇なんかないんだ。
ヴィーにだけは俺が弱いと知られたくない。
俺がヴィーを守らなきゃいけないから……
俺が弱いとヴィーが不安になるだろう。
だって、俺は……
「アランが強くないとわたくしはちゃんと知っていますわ」
ヴィーの声はどこまでも優しい。
「そんなに強がる必要なんてありませんのよ」
ヴィーは俺の全てを見透かしていたんだな。
俺のなけなしの見栄を砕くなよ。
ひでぇな……
「レオ、世界を取り戻すとはなんですの? わたくしたちは金色の魔王を倒したいのです」
「よくわからないんだけど、二人は金色の魔王を倒してどうしたいんですか? 世界平和のため? 父さんと一緒に暮らしたいの?」
世界平和?
そんなものどうでもいい。
金色の魔王を倒したから世界が平和になりなりましたなんて、そんなの夢物語だろ。
ヴィーそんな顔するなよ。
俺は人助けを……世界平和なんて目指してない。
母様の言葉に従っているだけ。
泣いている誰かを助けられるような人になりたいだけだ。
レオはじっと俺たちの言葉を待っている。
父様と一緒に暮らす……暮らしたい。
そんな子供っぽい理由でもいいのか?
ヴィーがいて、マリアが茶を用意してくれて、ヴィンセントに小言を言われる父様がそこにいる……
そんな懐かしい思い出に浸ってもいいのか?
「アラン、わたくしはあの頃に戻れるなら戻りたいですわ」
ヴィーも?
俺だって……
「アランさんもヴィクトリアさんも、ちゃんと弱音を吐いてください。二人は強いから、強すぎるから……この世界の人に言えないならさ、俺に言えばいい」
レオに? レオは頼り無さすぎるだろ。
「俺だったら二人の秘密誰かに漏らすこともないですからね」
レオは自嘲気味に笑う。
その笑顔が眩しくて、その笑顔が頼もしい。
そうだ、いつだったかレオが言っていたな。
泣き言を聞いてくれるって。
レオが『黒焔の獅子』でよかった。
涙を拭い、顔をあげる。
下を向いてなんかいられねえ。
「ありがとうございます。レオ頼りにしていますわ」
レオの癖になにを照れてんだ?
ヴィーは俺の大事な双子の片割れだ。
いくら創世の聖獣だといってもレオにはやらないかな。
いくらなんでもジジイ過ぎる。
ヴィーの笑顔に照れるような年齢じゃないだろう。
何万年になるんだ?
あ。15歳とかふざけたこと言っていたこともあったな。
アレは本気で言っていたのか?
本当に15歳だったら……でもそれでもヴィーより年下だし。
聖獣相手に俺はなにを考えているんだ?
「アラン。なんですの?」
ん? なんだよ、二人してその訝しげな顔は?
俺なにかしたか?
まあ、いいや。
「ちゃんと聞いたきたことなかったんだが、レオは金色の、父様と知り合いなのか?」
父様はまるで昔からの知り合いのようにレオに声を掛けていたんだ。
気になっていた。
返ってくる答えが怖くて聞けなかった。
「俺のこっちでの知り合いは二人とアシュリー、マリアさんくらいしかいないですよ」
本当に?
それじゃ父様のあの様子は一体なんだ?
レオを疑っているわけじゃないんだ。
この屈託のない表情をみれば嘘じゃないとわかる。
わかるけど……
レオは全てを話してくれるわけじゃない。
ベルフェゴールがいうには今は仕方ないって……
レオは何なら語れるんだ?
「さっきの、天使のことはなにか知っているのか?」
金色の天使の話を振ってきたのはレオなんだ。
天使のことならなにか知っているんじゃないのか。
レオが話せないことを自ら話題に出したりしないだろう。
「天使? 俺はこっちの世界のことなにも知らないですよ。ベルフェゴールの話だと実在したみたいな話だけど」
……レオは本気で言っているんだよな?
腹立つな。
ほら、ヴィーだって呆れてる。
「じゃあ、せめてベルフェゴールが言っていたこの世界の歪みってなんだ?」
レオの表情が一瞬固まる。
顔が青ざめるというのか……黒い焔が立ち込める。
――レオが暴れだしたら俺たちじゃなにもできない。
警戒する。
どう被害を小さくするか……
俺たちの思いを知ってか知らずか黒い焔はなにも燃やすことなく消えた。
「今、一瞬だけそれがなにかわかったんですけど……言葉にする前にわからなくなって……」
なんだよ、それは。
言い訳するにもなにかもっといい言い訳があるだろう。
「この『白の書』は一体なんですの? レオを『黒焔の獅子』を呼び出すためだけのものではありませんでしょう?」
ヴィーから白の書を受け取ったレオは軽く流し読みするように捲り
「これは……俺にとっても大事なものです」
懐かしい相手に会ったように柔和な笑みで白の書を開く。
「あ、これは読める……」
ポツリと呟き、俺たちにそのページを見せ
「天使は自らの意思で神に仕えているわけではないみたいですよ」
――記憶と力を奪われ、竜は神の奴隷となり天使と呼ばれるようになった――
なんだよ、これ……
竜ってそれこそ空想のものだろう。
チープな冒険譚に登場するやられ役だ。
創世記にも出てこないぞ。
『黒焔の獅子』『白の魔女』『……竜』それに神……
教典に書かれている神話を信じきっているわけではないけど、嘘を書かれているものじゃないだろう?
教典は歴史書の観点もあるんだ。
天使は実在した。
神だっているらしい。
百年前まで天使はもっと身近にいたんだ。
国の歴史にだって天使は関わりをもっていたし……
いいや、これはこの聖教皇国の歴史だ。
俺自身は神も天使も疑わしい存在なんだが、『黒焔の獅子』がいるんだ。
天使……竜もいるんだろう。
読み間違えていなければ白の書に書かれていることが真実だと思う。
「ベルフェゴールのいう通り神は独裁者……?」
小さく言葉にするもヴィーは信じられないといった様子だ。
俺だってそうだよ。
いくら信仰心がなくたって、信じていないといっても……神を独裁者なんて言えねえよ。
俺たちの世界の根底がひっくり返るというか……
これだけで神が何者かと語るには言葉が少ないんじゃないか?
「なあ、レオ……」
レオの姿はなかった。
還るならなにか一言あってもいいんじゃないか