気が重い ―ヴィクトリア―
聖教皇国は静かですわ。
アシュリーがベルフェゴールに拐われたと慌てて来ましたが、何事もなく街は神の信仰に溢れております。
なによりもアシュリーが無事だったんです。
いつもの笑顔にこんなにも安心したことはありません。
ベルフェゴールは確かにこの国に現れたらしいですわ。
天使がどうと喚き、対処に当たった騎士たちを皆殺しにして去ったと。
旅の中で聖教皇国の噂を聞かなかったのも、対処に当たった騎士たちの中にアシュリーがおり、瀕死の重体で危なかったから公表を遅らせたと聞きましたわ。
本当は勇者が怠惰の魔王に負けたなどと聖教皇国は発表すらしたくなかったはずです。
人魚、エルフ、獣人、ドワーフまでもが金色の魔王に消滅させられた今、勇者に汚点となるようなものは隠したいと思うでしょう。
ですが、どうしてベルフェゴールはアシュリーだけを殺さなかったのでしょう?
アシュリーは、勇者は魔王にとって脅威になる存在のはずです。
騎士だけを皆殺しにしておいてなぜ?
ただ詰めが甘かっただけでしょうか?
ただアシュリーが幸運だっただけでしょうか?
考えたところでわかりませんわ。
相手は怠惰の魔王ですもの。
なにを考えているのかわからない相手ですわ。
大体にして天使の存在など大昔にその姿を確認されて以来現れておりません。
「ああ、ここにいたんですね。レイラ様が探してましたよ」
アシュリーは瀕死の重体だったなど嘘のように元気ですわ。
さすが聖教皇国です。
凄腕の魔術医がいるのですね。
いくらすぐに治癒魔術を施したとしても瀕死の重傷者を全快させるには時間が必要ですもの。
「お姫様、なにかありましたか?」
なにもありません。
すでに綺麗に清掃され、壊れたであろう場所、家具装飾品の全てが片付けられ全てのものが新調されておりました。
ここでなにかがあったと誰が思うのでしょう。
そのくらいこの場所は綺麗なのです。
騎士たちがベルフェゴールの犠牲になったこの場所に天使に関するものがあるのかと思ったのですが、思い過ごしのようです。
レイラ様のわたくしへのご用はいつも決まっていますわ。
どうしても応じなくてはダメかしら?
漏れてしまうため息にアシュリーは心配そうに顔を向けて参ります。
心配などわたくしにはいりませんわ。
どこにレイラ様がいるのか検討がつきますが、アシュリーの案内で向かいます。
一人でレイラ様に会うには気がひけますもの。
「アシュリーはベルフェゴールと一緒に天使にお会いになったんですか?」
「いいえ。すぐに僕だけレイラ様の前に飛ばされましたから……」
考えを巡らせるように目線を泳がせ、なにかを思い出したかのでしょうか。
「レオは会っているかもしれません!」
レオが?
レオはなにも……聞かなければレオは話してくれませんね。
聞いても答えてくれることの方が少ないですが、彼は嘘だけは言いません。
「天使様ってどんな方なんでしょう?」
アシュリーは目をキラキラさせております。
神話の中で語られる天使はそれはもう立派な御仁ですわ。
地上に住まう者の為に尽力している神に仕え、その神を支える事を至上の喜びとしているとか……本当に良くできた御仁です。
わたくしは神も天使も……
「レイラ様、お姫様見つけて来ました」
ああ……もう着いてしまったのですね。
レイラ様は忙しそうに覗き込んでいた書類から顔をあげアシュリーに礼をします。
もうすっかり教皇のご衣装が板に付いておりますわ。
聖女だった頃の頼りない雰囲気はありません。
「ヴィクトリア考えてくれましたか?」
やっぱりその話ですのね。
「何度お話をされましてもわたくしなどには勤まりませんわ」
わたくしを聖女になどまず世間が納得しないと思いますわ。
だってわたくしは金色の魔王の子です。
いくら教会が、国の中枢が金色の魔王と関係ないと発表しても罵られることは変わりませんもの。
未だにアランは街へ赴くときはフードを目深く被っておりますわ。
魔族が、金色の魔王がしていることを思えばわたくしたちに憎しみが向くことも理解しております。
理解していても感受はできませんが。
「聖女に相応しい娘さんでしたら教会に沢山いらっしゃるじゃありませんか。わざわざ火種になりそうなわたくしでなくてもいいはずです」
アシュリーは興味がなさそうに窓の外を眺めております。
アシュリーにとってはどうでもいいことですものね。
「火種など……寧ろ金色の魔王の子であることが重要だと思いますよ」
レイラ様は寝ぼけているのでしょうか?
「金色の魔王の子が神に仕える聖女となり祈りを捧げ、己の罪に懺悔する」
わたくしの罪とはなんですの?
金色の魔王の子であることが罪ですの?
……言葉にもなりません。
「これ程劇的なことはないでしょう」
それは、わたくしじゃなくてもいいではありませんか。
劇的なものが必要なら作ればいいことです。
教会はそういうこと得意じゃありませんか。
レイラ様が不遇の少女時代を送っていたとか、お話を作っているじゃありませんの。
「そうですわ! アランになって貰いましょう」
いいことを思い付きましたわ。
レイラ様そんなに驚かれるようなことではないですわ。
「ヴィー。俺は男だぞ」
丁度いいところに教典を抱えてアランが参りました。
本来聖女に男も女も関係無いはずですわ。
「聖女のいない時代もあったじゃありませんか。代わりに男性が聖人として持て囃されていたのですよね?」
アランが聖人になればもう顔を隠すようなフードを被る必要はありませんもの。
堂々とできるはずですわ。
「確かに過去、聖人と呼ばれる者はいたけど……」
なにを困惑する必要がありますの?
レイラ様のいう劇的なものですわ。
「俺は絶対にやらないからな」
アランは教典をレイラ様の前に広げ、内の一つを手に近くの椅子腰を落とします。
黙ったレイラ様は大きく頷き
「そうですね。アランとヴィクトリアの二人に聖人と聖女をお願いしますわ」
アランが手にしていた教典をを落としました。
どうしてそうなりますの?
アランもだとは思いますがわたくしは神など信じておりませんわ。
神がいるでしたらこんな辛い思いするはすがありませんもの。
金色の魔王などにお父様がなるはずありませんわ。
泣いてばかりの人だっていないはずです。
誰もが笑っていられる世界のはすです。
「絶対に俺はやらない」
「わたくしはお断りいたします」
声がそろうわたくしたちをレイラ様は笑います。
きちんとここで諦めて貰わなくては本当に聖女にされてしまいますわ。
アシュリーもなにか言って……もう!
興味がないからと寝てしまうことはないと思いますわ。
窓枠に上手く腰掛けて寝るアシュリーはまだまだ少年のようです。