怠惰の魔王―レオ―
「噂の聖獣も勇者も随分と子供染みているな」
気だるげな声。
声変わり前の少年のような声。
爺臭い喋り方。
俺たちの前にいた三毛猫が喋った。
芸達者な猫だな。
もしかして、俺は猫にまでケモノ扱いされるのか?
本物の獣にまでそんな扱いってあんまりだ。
酷いというか、悲しくなってくるよ。
アシュリーと喧嘩中で気持ちが滅入っているのにこの仕打ちだ。
少しは俺のことを人として見てくれてもいいじゃないか。
人権侵害だ。
どこに訴えればいいんだろう?
それにしても猫の間でも勇者が噂になるってことはそれだけ金色の魔王は驚異ってことなんだな。
いやいやいや……
猫が喋るってことに驚かなきゃだ。
あ――でも、ここはファンタジーな世界なんだ。
猫が喋ることも普通じゃないのか?
でも、そういったものは向こうの世界と同じようだから猫は喋らない?
アランさん?
そんな怖い顔して三毛猫に剣を向けてどうしたんだ?
アランさんに倣うようにアシュリーも身構えていた。
俺がアシュリーの剣を燃やしたせいで武器が無いんだけどね。
やっぱさ、この猫は普通じゃないんだ。
二人の様子につられるように俺にも緊張が走る。
三毛猫の足元から煙幕が立ち込める。
煙は大きく膨らみ、猫の姿を隠し煙幕が晴れる頃には人へと姿を変えていた。
三毛猫のぬいぐるみ、抱き枕? を抱えたスーツにコート姿の男に変わった。
「これはお初にお目通り致します。わが冠は怠惰、ベルフェゴールと申します」
声まで変わっている。
さっきまでの少年のような声からハスキーな気だるげな声だ。
「王子は本当によく我が王に似ておられる。他の魔王が固執する理由もよく分かる」
アランさんもはじめて会うのか?
今までの魔王は一度でも会ったことがあるような素振りだったのに。
でもこのベルフェゴールは、はじめましてと来た。
「たまには重い腰を上げてみるものだ」
アランさんが攻撃を仕掛けずベルフェゴールをじっと見ている。
いつもと様子が違う?
モンスターでも魔族でも魔王ですら怖じ気付く事のないアランさんがじっとして……アシュリーが震えている!?
え? 一体どうしたんだ?
なにが起こっているんだ?
「アランさん?」
ハッとしたようにアランさんは俺に顔を向けた。
「レオ……マズイ奴が来た」
心なしかアランさんが震えているように見える。
「他の魔王だってヤバい事に変わりはないが、怠惰はマズイ」
いつも勇敢なアランさんが言うほどって……
「神話の中で、歴史上怠惰の魔王が現れた時は……」
「それは大袈裟ですよ。全ては我が王の為にしたこと。暴食の方が大分酷いんじゃないですか?」
ベルフェゴールは欠伸を噛み殺し
「王子にそこまで恐れられるとは、なんと物悲しいことでしょう」
その場にしゃがみこんだ。
「我など大したことのない小者。暴食や憤怒ような力はなく、傲慢や強欲のように知恵が回るわけでもありません。どちらかといえば色欲や嫉妬のように己に忠実なだけ」
面倒臭そうに猫の抱き枕を抱き締めた。
アランさんとアシュリーが体を震わせる程怖いヤツに見えないんだけど。
「僕、本当に怖い。今までのどんなものよりも……僕が口にしたらいけないんだけど、レオはよく平気な顔していられるね」
アシュリーは手汗を腿に擦り拭った。
「怠惰の魔王には天使様も敵わないから気を付けろとレイラ様にも言われた」
平気って……怖いって……
俺、こいつを怖いと感じないんだけど。
なんで二人はこんなに怖がっているんだ?
ルシファーとか他の魔王に対峙した時は怖かったよ。
魔王に対して怖いって普通だろう。
だけど、なんでかな?
今はこいつよりモンスターの方がはるかに怖い。
7体の魔王の一つと信じられないくらい恐怖が薄いんだ。
本当に魔王なの? ってくらい普通なんだけど。
「天使? 嗚呼、その事でしたら我の力不足ゆえの事」
なんでそんなに悔しそうなんだ?
魔王と天使って敵対関係でしょ?
その悔しがり方、敵に対するものじゃないよね?
ん? 天使って神様のお世話をする者じゃなかったか?
魔王と友人関係を築いたりしてたの?
この世界の宗教っていうか、あっちでもだけど、そういうもの事態よくわかんないだけどさ。
「王子、剣をお納め下さい。我は王子と戦う気などありません」
黒いもやががアランさんの剣を覆っていく。
慌ててアランさんは剣から手を離し、剣は錆びた鉄屑へと変わった。
抱き枕を脇に抱え直し立ち上がり
「天使ならば今から会いに行くとこ。伴に参りましょう」
仰々しくベルフェゴールは頭を下げた。
なんだ? え?
体が浮いて、自由に動かせない。
「レオ! アシュリー?」
アランさんが俺たちに手を伸ばすが届かない。
「ベルフェゴール! 貴様なにをする気だ!?」
頭を下げたままベルフェゴールは
「天使に会いに行くのです。新たな勇者を紹介しなくては失礼というもの」
顔だけををあげ
「『黒焔の獅子』に天使も興味を持つことでしょう」
アランさんがベルフェゴールに炎を向けるも炎は黒いもやに消えた。
顔だけを持ち上げたベルフェゴールの目が黒くなったと思えばアランさんが吹き飛ばされていた。
屋台を壊し、人形のように転がる。
「嗚呼、そうでした。今天使は聖教皇国に居ります」
ベルフェゴールは猫の抱き枕を抱え直し
「勤勉な王子に正解をお教えしましょう。この世界は神のものではなく、我が王なのです。全ては我が王の為にあるのです」
なにを言っているんだ。
世界はこの世界に住む人達のものじゃないのか?
世界が誰のものなんて考えるヤツって……イカれてる。
だから魔王なのか。
ふらつきながらもアランさんは立ち上がり、炎を再びベルフェゴールに向けた。
「王子はなんと勤勉なのでしょう! 嗚呼、喜ばしいことです」
ベルフェゴールは本当に嬉しそうに笑っている。
なにも俺は出来ないのだろうか?
なあ、俺の中で寝てないで起きろよ。
このままってわけにいかないだろう。
驚愕って言葉がピッタリくる表情をベルフェゴールが浮かべた。
「これは……」
黒い焔がベルフェゴールに向かっていく。
やった! 出せた。
追いかけるように黒い焔がもやを呑み込んでいく。
そのまま黒い焔はベルフェゴールに向かい、抱いていた猫の抱き枕を焔に投げつけ焔から避けた。
「レオ様、お戯れが過ぎます。我は敵対者ではありませんよ」
魔王でしょ?
魔王は敵だよね?
俺は金色の魔王を倒す為にこの世界に召喚されたんでしょ。
金色の魔王といい、本当に悪いヤツなのか?
だって、あの時の金色の魔王はただの父親だったよ。
子供を、アランさんとヴィクトリアさんをよろしくされたし、二人に対するあの態度は俺の父さんとなにも変わらなかった。
このベルフェゴールも金色の魔王も俺、恐怖を感じないんだよ。
それって、俺が『黒焔の獅子』だから?
なんだよ? 『黒焔の獅子』って。
周りの景色が歪む。
こっちの世界に召喚された時とは違う。
アランさんがなにか叫んでこっちに手を伸ばしている。
ベルフェゴールとアシュリー以外のものが全て歪み黒いもやに包まれた。
これってヤバいよね?
俺とアシュリー、ベルフェゴールに捕まっちゃったよ。
浮遊感が無くなり、黒いもやが晴れると俺たちは石造りの窓が無い部屋の中にいた。
天井に下がる燭台から照らせれる小さな灯りが辛うじて室内にいるのだと教えてくれる。
「レオ、どうしよう……」
アシュリーはまだ震えていた。
そんなに怖いか?
「勇者だろう? しっかりしろよ」
そう簡単に恐怖がなくなるわけないよな。
アランさんともはぐれてしまったし。
俺の言葉にアシュリーは頷くも怖い事に変わりは無いらしく俺の腕にすがり付いた。
ベルフェゴールは俺たちの様子に鼻で笑い
「そう脅えることはない。ここは聖教皇国の城の地下だ」
ベルフェゴールは首を傾げ
「勇者に用はないんだった」
指を鳴らし、黒いもやがアシュリーを包み俺から引き剥がす。
「レ、レオ?」
アシュリーが必死にもがき今にも泣きそうな顔をしていた。
「アシュリーになにをするんだ!?」
アシュリーを捕まえようとするも、足が泥に捕らわれたみたいに思うように動かせない。
黒いもやがアシュリーを全て包み込み、薄れていく。
黒いもやが消え、アシュリーも消えた。
「勇者は地上に上がってもらっただけですよ。特に用もないですし」
ベルフェゴールは欠伸を隠そうともしない。
「改めまして『黒焔の獅子』レオ様。我が名はベルフェゴール。最も勤勉な者でございます」
ベルフェゴールが膝を付き、畏まった。
混乱する。
なにが起こっているんだよ?
どうしてこうなった?
アシュリーは無事なのか?
「レオ様、そのご様子は怠惰です。我が王のように振る舞って頂いて構わないのですよ」
「は? なにが?」
ベルフェゴールは盛大な溜め息を漏らし
「もしや、記憶が? ……それは失礼致しました」
なにを謝っているのか知らないけど、その面倒臭そうな態度は謝ってないよね?
記憶ってなに?
雪村さんも思い出せって言っていたけど、なにを?
俺の記憶ってなに?
「まだ封印の中に居られるのでしょう」
ベルフェゴールはくるりと体の向きを変え
「嗚呼、勇者を贄にその封印を解きましょうか」
「ふざけるな」
ベルフェゴールを睨み付ける。
俺の中にいるライオンもいつでも飛び出せる。
アシュリーは生け贄なんかじゃない。
勇者は人々の希望になる存在だ。
あいつはちっとも勇者らしくないけど……いいや、勇者とか関係なく生け贄なんかにさせられるかよ。
それも俺のためとか、ふざけるな!
「勿論冗談ですよ。レオ様をご招待したのは天使を貴方様へご紹介する為」
鼻で笑うベルフェゴールに促されるまま地下を進む。
その間どれだけ俺に会いたかったのかをこんこんと話し続ける。
こいつの話を聞くのは段々ウザくなってきた。
もう途中から金色の魔王がどれだけ凄いのか偉大なのかと讚美へ変わっているんだ。
こんなにも盲目的に想われる金色の魔王っていうヤツは……
「さあ、此方の部屋に」
なぜ地下に? と思うような豪華絢爛な扉をベルフェゴールが開けた。
「天使なんて居ないじゃないか」
やたらと縦にも横にも広い部屋の中は空っぽだ。
床に広がる赤い水溜まりは血……?
今出来たばかりであるような血溜まりは波紋を揺らしていた。
「!? なにが……」
ベルフェゴールもなにがあったのか知らないらしくぶつくさと一人ごちている。
「レオ様、怠惰な我をお許し下さい」
わざと溜め息を漏らし、ベルフェゴールに目をやれば……
俺は一人自分の部屋にいた。
いつものように向こうの世界から帰ってきたみたいだ。
アシュリーは無事だろうか?
こっちから向こうに行ければ、すぐにでも向かうのに。
あんなに怯えて……心配だ。
どうか無事でありますように。
こればかりは神頼みするしかないんだ。
あ……職員室……どうしよう。
明日絶対怒られるよな……