母の死 ―ヴィクトリア―
「ヴィンセント。連れてきたぞ」
突然現れた猿が話します。
猿の後を追うようにマリアが現れました。
今にも倒れそうにふらつき、なんと酷い怪我をしているのでしょう!
ぼろぼろじゃないですか!
「マリア!」
アランが駆け寄り支えます。
「この怪我……どうしたんだ?」
「……アラン様?」
怪我の痛みでマリアが呻きます。
「アラン、わたくしが」
治癒魔術をマリアに唱えます。
なんて怪我をしているのでしょう。
ちゃんと効いていますか?
苦しそうな顔は変わりません。
どこでこんな怪我を?
なにをしていたんですの?
どうしたらこんな怪我をしますの。
「ドワーフの方は上々だ。こいつが居なければもっと早く終わった」
猿はそれだけ言うと消えました。
「ヴィクトリア様……? なんてお綺麗な格好を……」
マリアは苦しげに、いつものように微笑みます。
「喋るな!」
アランの叱責にマリアは目を閉じます。
……ああ、顔の血色が良くなっていきますわ。
苦しそうに険しかった顔も穏やかに変わっていきます。
良かったです。
治癒魔術がもう少し遅かったら効果がなかったとこですもの。
アランたら今にも泣きそうですわ。
マリアは礼をいい、アランの支えから離れます。
「ところで、ここはどこですか?」
「マリア。随分と無茶をしていたようですね」
ヴィンセントの姿にマリアが息を飲む音がします。
驚いて当然ですわ。
わたくしたちだって驚いております。
ここにヴィンセントがいる理由も、マリアが猿に連れられてここに現れたこともよくわかりませんわ。
ヴィンセントのあのもっともらしい理由だって取って付けたような言い訳に聞こえますもの。
「ドワーフの義勇軍に参加なんて自暴自棄ですよ」
ドワーフの義勇軍って……マリアはそんなとこにいたんですの?
「ドワーフの山が陥落している状況で義勇軍に入るなど、なにを考えているんですか?」
ドワーフの山が陥落って、ヴィンセントのマリアへのお説教どころではないですわ。
それじゃあ、最後の亜人種ドワーフも負けたんですの?
鍛冶の種族で重戦士としても名を馳せる種族ですのよ。
人魚が絶滅し、エルフが壊滅、獣人最後の女王が死んだ今、ドワーフまでもが……
金色の魔王軍はなんと強いのでしょう。
亜人種が負けた……これからは人間が標的になるのでしょうか?
「掃討作戦時には邪魔……無茶をしていたと聞きました」
呆れ、ため息混じりに優しく語りかけます。
「それじゃあドワーフを守れなかったんですね……」
マリアは寂しそうに呟きました。
「ドワーフは異物だったんです。マリアがなにかを思う必要はないんですよ」
異物って……ヴィンセントはなにを言ってますの?
どうしてそんなに酷い事を言いますの?
「陛下にとってマリアは特別なんですよ。今更陛下の想いを疑うとは思いませんでした」
ヴィンセントのマリアを見る眼差しは優しく感じます。
「王子と王女、お二人のことを一人でありがとうございます。全てのお世話を任せっぱなしにして申し訳ありません」
マリアが泣いて……初めてマリアがなく姿見ますわ。
いつどんな時だって柔和な表情を変える事のなかったマリアですのよ。
人前で泣くなんて……
ヴィンセントがマリアの背中を擦ります。
「陛下もマリアには感謝しているんですよ。そして、陛下を忘れて生きて欲しいと」
ヴィンセントはわたくしたちにも同じことを言います。
馬鹿にしているのでしょうか?
こんなにも世界に仇をなす者を父親に持つわたくしたちに……どう忘れろというのでしょうか?
どこへ行っても金色の魔王の子と蔑まれるんですよ。
特にアランは酷く罵られますわ。
忘れられるなら忘れてしまいたいと、幾度となく思いましたわ。
でも、無理なんです。
幸せと知らなかったあの、子供の頃の思い出を忘れたくないんです。
あの頃の時間を取り戻せるなら取り戻したいんです。
「どうして、王様は忘れろと言うんですか? 私にとって王様は全てなんです。この命の恩はいくらあっても返せないんです」
マリアはまっすぐにヴィンセントを見据えます。
「今だって、私は王様のお側にいたい。王様にお仕えしたいんです!」
アランそんな寂しそうな顔をしないでください。
マリアのお父様に対する気持ちは知っていたじゃないですか。
「アランさまとヴィクトリア様の側に居たのだって王様の御子様だったからだ」
知っていても言葉にされると辛いですわ。
「ヴィンセント様、私も一緒に連れて行ってください!」
ヴィンセントは首を横に振ります。
「マリアがまだ陛下に仕えているのでしたら」
ヴィンセントが微笑み、
「これまで通り、二人を頼みます。マリアも知っているでしょう? あの方は気紛れですからまた、側にいられることもあるかもしれませんよ」
そうでしたわ。
子供の頃の記憶のお父様は思い付きでわたくしたちを城の外へ連れ出してはアリスとヴィンセントに叱られていましたわね。
「ああ、そうでした。白の書の解析は進んでいるのですか?」
どうして突然白の書のことを聞くんですの?
アランがレオの世界に行ったり、マリアを探したりで白の書のことは後回しになってましたわ。
お手上げ状態だったということもありますけど。
だけど、どうしてヴィンセントは白の書を気にするんですの?
「『黒焔の獅子』止まりだ」
わたくしたちは金色の魔王を倒すために白の書の解析に取り組んでいますの。
それをなぜ金色の魔王の側にいるヴィンセントが気にするんですか?
どうして人間のヴィンセントがドワーフを異物なんて言えるんですか?
ヴィンセントはどんな立場にいるんですか?
「どうてしてヴィンセントが気にするんだ?」
アランの問いに答えずヴィンセントは烏に顔を寄せ、烏はヴィンセントに耳打ちをします。
「神話と創世記についてのご考察はどうですか?」
神話に『黒焔の獅子』は出てきませんわ。
創世記に出てくるくらいで、もうそれはお伽噺ですもの。
創世記なんて大層な伝わり方をしている子供向けの
童話、意味のないよく分からない話、それが世間一般の認識ですわ。
わたくしたちだって『黒焔の獅子』を召喚出来るまでは同じような認識でしたのも。
白の書とは創世記を記した魔導書といったところでしょうか。
白の書に記されている『白の魔女』を召喚することが次の目標ですわ。
もう一つ記されている『……の竜』は手がかりすらありません。
「私もよくわかっていないのですが、陛下が行き詰まっているのなら神話と創世記をあらうようにと言ってましたよ」
わたくしたちはお父様の敵になるんじゃありませんの?
お父様はこの白の書がなにかご存じなんですか?
レオとは顔見知りのようでしたけど……
「忘れるとこでした」
ヴィンセントは伯父様に向き直り
「陛下よりマチルダ様を守れず大変済まなかった。と申しておりました」
一礼と共に姿を消しました。
その言葉は……もう一類の希望もなくお母様は亡くなってしまったということですのね。
ヴィンセントが生きていたんです。
きっとお母様も生きていると、言葉にしなくても信じていたんです。
ヴィンセントが生きていたという喜びは絶望だったのでしょうか?