旅立ち ―アラン―
レオのいる世界は俺たちの計り知れない世界だった。
操作一つで灯りが着き、動作なくガラス戸が開き、馬が牽かない馬車は早かった。
いや、早いなんてものじゃなかった。
見たことのないもので溢れ、一言でいえば……便利な世界だった。
だけど、女性のあの格好には参った。
色欲の魔王アスモデウスでも崇拝しているんじゃないかってくらい肌を出しているんだ。
あんなに脚を出して……恥ずかしくないのか?
レオがいうにはあの格好は普通だというんだ。
ヴィーがあんな格好をしようものなら俺、怒るし、部屋に閉じ込めるな。
絶対に外へ出さない。
それに、あのユキムラとかいう女、アレは一体なんなんだ?
レオの学友だということはわかった。
だけど、レオもそれしか知らないらしい。
会ったことがあるって言われても、俺はあんな女に会ったことなんてないと思う。
忘れているだけか?
いや、あんだけ印象の強い女を忘れるだろうか?
ユキムラの話していたことが理解出来なかった。
世界を見せたかったとか、ずっと見ていたとか、なんの話だっていうんだ。
どのくらいここキャサリン女史に世話になっていたのだろうか。
俺の感覚ではほんの2、3日だが、かなり長い間世話になっていたらしい。
荷の中にそのままだった保存食も悪くなっているんだ。
これには参った。
干し肉がカビるとか……ため息が漏れる。
荷を改めていると
「王子様、何をしているんですか?」
アシュリーが泣き腫らした顔で声を掛けてきた。
俺が向こうの世界に行っている間になにがあったのかは知らないが、目の前で獣人の女王を亡くしたらしく、アシュリーは毎晩泣いているようだった。
向こうの世界にいたのは数時間だったにも関わらず、こっちでは数日が過ぎていたんだ。
その間、アシュリーは森の中で鍛練を続け、ヴィーは俺を心配して部屋に閉じ籠り、マリアは姿を消していた。
「マリアを探しに行こうと思ってな」
そう、マリアが心配だ。
マリアにとって父様、クリストファー王は特別なんだ。
神様のように崇め、心酔しているといっても過言ではない。
罪人の子として処刑されかけたところを父様に救われたらしく、あいつの行動は全て父様に直結する。
俺たち双子の世話をしていたのだって、クリストファー王の子供だからだ。
父様が金色の魔王となったと知ったあいつのショックは大きかっただろうな。
子供だった俺たちの前でそんな素振りは見せなかったけど。
その父様にあんな突き放すような事を言われたんだ。
あいつの心情は計り知れない。
荷から出てきたカビた干し肉を手に取りアシュリーは顔をしかめる。
「マリア様の居場所の当てがあるんですか?」
そんなものあるわけがない。
マリアの故郷だって知らないんだ。
「ない。でも、レイディエストへ向かってみようかと思うんだ。ヴィンセントが生きていたんだ。他にも生きているやつがいるかもしれない」
マリアの家族が生きているかもしれない。
奥さんと娘さんがいたんだ。
生きていれば娘さんは10を過ぎたくらいだろうか?
王都にいた者は皆死んだとされている。
でも、ヴィンセントが生きていた。
こんな希望はないだろう。
いくら父様に心酔しているといっても家族がいれば別だと思うんだ。
生きているかもしれないとなったら会いたいと思うものじゃないのか?
他に思い当たるものもないしな。
「アシュリーはどうする? 一緒に行くか? それともここに残るか、それとも聖教皇国へ戻るか?」
随分と落ち込んでいるようだし、それにアシュリーだって討伐軍のこがとある。
やることがあるだろう。
マリアのことを気にしている余裕はないと思うんだ。
カビた干し肉をゴミに分類し、新しく用意した干し肉を渡してくれる。
「え? 行きますよ。僕はお二人の手伝いをするために勇者になったんですよ」
手伝いって……
どんな勇者でもいいが、大丈夫なのか?
「アラン。そんなに心配しなくてもいいんじゃないですの?」
いつの間にそこにいたんだ?
白の書を脇に抱え、部屋の入り口に立っていた。
ヴィーがそういうなら大丈夫なのだろう。
俺としてはヴィーとアシュリーには待っていて欲しいと思っているんだ。
これから向かおうとしている場所がレイディエストなんだ。
俺たちの故郷だ。
今現在、金色の魔王がのさばる魔王領といってもおかしくない場所だ。
これまで以上に危険な場所に連れて行きたくはない。
当然の感情だろ?
危険な目に合うのは俺だけでいいんだ。
「駄目ですわ」
ヴィーの青い目が迫り、俺の胸ぐらを掴む。
「アランがなにを考えているかくらいわかりますのよ」
ヴィーの青い目は俺の全てを見透かす。
こういうときは特にな。
ヴィーをも置いていこうとしていたことをヴィーは怒っている。
気が付かれないようにさりげなく準備していたはずなんだけど。
よく聞く女の勘ってやつより双子の性だろうな。
俺とヴィーの間で隠し事は難しいんだ。
笑顔で誤魔化せばヴィーは笑顔で怒りを伝えてくる。
白の書の解析はこのまま魔術公国にいても進みそうになかった。
10年でやっと『黒焔の獅子』を召喚することに成功したんだ。
そんな簡単に出来るとは思っていなかったから、まあいいかな。
アシュリーの魔術の方も本人はその内使えるようになると言うが、マーゴは望みが薄いと悔しそうにしていた。
聞いた話だと幼児教育の絵本まで持ち出したという。
そのわりに本人は全くといっていいほど気にしていないんだ。
魔術が使えなくても生活には困らないだろうけど、勇者としてどうなんだ?
アシュリーは強くなりたくないのか?
レイディエストは今いる魔術公国から馬を使ってもかなりの距離がある。
マリアが姿を眩ませてから十数日経っているんだ。
もし本当にレイディエストへ向かっているとしても旅路の中で追い付くことは難しいだろうな。
あいつの足は早いんだ。
国を跨ぐような旅でもあっという間に目的を達成していたと聞いた。
父様の側近としてアリスとヴィンセントが有名だが、マリアは間者として優秀だったらしい。
あの人当たりの良さに、アリス仕込みの人並み以上の剣と魔術があるんだ。
無敵だよな。
それだけの能力を持っているんだから俺たちの世話なんかしてないでどっかで仕官すればいいのにと何度思ったことか。
苦言だってしたのに……
それだけあいつの中の父様は偉大なんだ。
誰かをそこまで崇拝出来るって凄いよな。
俺なんか神様すら信じてない。
会ったこともないし、見たこともないし、なにかをしてくれた訳でもないんだ。
従えている天使だって会ったことも、見たこともないし。
キャサリン女史は俺たちに馬を用意してくれた。
馬車よりも馬の機動力の方がいいだろうと気を使ってくれるんだ。
ありがたいよな。
少しでも早くレイディエストに行きマリアを見つけたいと思っていたから助かった。
これでレイディエストに居なかったらお手上げだ。
「ヴィクトリア様、アラン様色々申し訳ありませんでした」
キャサリン女史に従うように御付きの者たちも頭を下げる。
詫びられるくらいじゃ足りないくらいのことを仕出かしてくれたんだ。
貸しとしておきたいが、俺がいない間ヴィー達の世話を焼いてくれたんだ。
キャサリン女史にはお礼では足りないだろう。
それでもヴィーはまだレオに対することを許せていないらしい。
いつまでも引きずったって仕方がないのに。
当人のレオはなにも気にしていなそうだったしな。
「マリアに会ったら済まなかったと伝えてくれ」
マーゴは子供用の魔術書を渡し、投げ返されている。
アシュリーのその態度、随分と打ち解けいる様子だし、魔道具というものをアシュリーに渡していた。
レオの世界の便利な道具に近いものって感じだ。
瞑想がどうのとか言っていたが、なんのことだ?
アシュリーがそれで魔術を使えるようになるのだろか。