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参章 【保護】

 美濃三人衆を調略した信長。その報告を受けた長政は、稲葉山城落城まで一週間も必要としないだろうと予想した。

 城を取り囲む軍勢の中に、自軍の象徴であるといえる三人の姿を見る。斎藤軍にとってこれほどやる気が失せる光景も、まずないだろう。

 先ずは三人衆を慕う者が、続々降伏。その光景を目の当たりにし、勝ち目が無いと判断した家臣連中が続いて降伏。最後に、人足も成す術も何も無くなった龍興の無条件降伏により、稲葉山城落城。

 この状況に辿り着くまでに、一週間どころか六日もかからない筈だ。なにせ後は、取り囲むだけなのである。

 言うまでもなく、この流れの中に長政の名前が加わる可能性は、極めて薄い。

 だからこそわざわざ奥の間にまで行って、信長の身内である市に確認をとったのだ。

 その結果返ってきた答えが【気にするな】だった。この同盟の在り方一つで浅井家は滅亡してしまう可能性まであるのだ。そんな一言で済ませて良いほど軽い問題ではないのだということは、市にも解っている筈である。

 解っていないなら、【疑わしい】などという言葉は万に一つも出てこない筈なのだから。

 長政は、この結論に行き当たると同時に市へと正気の沙汰とは思えないような言葉を放った。

「場合によってはそなたを叩き返すか、斬るやも知れん。その覚悟だけはしておいて欲しい」

 なおも頭を深々と下げ、詫びの姿勢を保ったまま涙ながらに語る長政に対し、市は哀れみに近い目を向けて、

「お前様、他家に嫁に出された時点から、そのような覚悟はとっくに出来ております。お前様に介錯してもらえるなら、本望にございます」

 と、慈しむように頭を下げ続ける長政の手を取って、それを両手でそっと包み込んだ。









 市は、長政の涙を見た時点で信長の妹としてではなく、浅井家の嫁というよりは寧ろ長政の妻として動くことに決める。 始めはありきたりな政略結婚だった。この二人のように、対等な立場での同盟のための結婚などはまだマシなほうで、場合によっては臣従の際に人質として、主家の家臣、或は息子に嫁に出す事すら有り得た時代なのである。

 それから比べれば、自分の意志とは無関係な結婚であっても、文句を言うのは贅沢というものだろう。だが、市の場合は、そんなありきたりな政略結婚ではなかったのだ。

 これほど結婚観の狂っている時代の中に在って大恋愛の末に奇跡的な恋愛結婚を果たしたおねねが女として、否、人として、非常に羨ましかったりもしたが、自分にもその瞬間が訪れたのだ。

 まさに、一目惚れだった。長政もまた、一目で痛く気に入ってくれたらしく、始めは気乗りがしなかったただの政略結婚の筈が、瞬く間にそれの名を借りた恋愛結婚へと豹変したのである。

 自分が惚れた相手だからこそ、心から好きな相手だからこそ、わがまま三昧で勝手な事ばかりする信長よりも、長政の味方で居たかったのだった。

「わたしは女です。長政様、そんなわたしを軍師として、召し抱えて下さいますか?」

 あの信長をして、

「市が男であったなら、百万の軍勢を縦横無尽に操る大軍師となれたものを……」

 と常々言わしめたという素質娘が今、狂った時代への挑戦を始める。


 この状況で、斥候より信長が稲葉山城の包囲を開始したとの情報が飛び込んでくる。

 道三の代には【難攻不落神話】さえ生まれていた稲葉山城の、龍興の代での二度目の落城が、いよいよ間近に迫ってきたのだ。

 情報をもたらした斥候が居なくなったのを見計らって、市は早速仕事を始める。

「南蛮の地には、魔王というものが居ると、イエズス会の方々が申しておりました。今度の織田の行為は、その魔王の行いに匹敵するものが有ります」

 魔王とは、魂を喰らう者。まずは精神に取り憑き、それをしゃぶり尽くすことで、魂を刈るのだという。

 今回の信長の行いは、紛れも無くこの取り憑きの部分に相当するものだ。

「南蛮で最も著名な魔王は【サタン】と申すのだそうです」

「さたん? 何やらよく解らぬ名じゃな……?」

「左様にございましょう。それ故信長は天下に透り易いよう、サタンに代わる名を与えました」

「なんと?」

「【第六天魔王】」

 市の話によると、このサタン改め第六天魔王なるものは、天界に住まう中級天使でありながら、自らの意志で魔界へと亡命、そこにおいて己の実力を遺憾無く発揮し、遂には魔界の王として君臨することとなったのだという。

 今、信長は日の出の勢い。

 父信秀から家督を継いだ時点では、守護代家の家老という微妙な立場であったにも拘わらず、今では、尾張全域、美濃半国を領有し、更に隣国三河の徳川家康をうまく抱き込み、美濃の残り半分を制圧するのも時間の問題と来ている。

 長政は思う。

《第六天魔王と同じだ》

 と。

「この狂った時代に……、魔王が降臨したというのか……」

 いよいよ彼は、信長を魔王だと思い始めてしまったのである。









 それから日を置かずして、斥候より『稲葉山城落城』の報が入る。その顛末は、果たして長政が予想した通りのものとなった。

 それから程無くして、織田家は本拠地を尾張の清洲城から落としたばかりの稲葉山城へと移し、中国は春秋戦国時代の古事に習い、城の名を『岐阜城』へと改名する。


 稲葉山城から岐阜城へと名前を変えた御利益なのだろうか、その途端に織田家に太陽が昇り始めた。

 三好三人衆や松永久秀に、本来征夷大将軍となる資格を持っていながら『扱いにくい』との理由から京を追われてしまった公方家嫡男、足利義昭に義昭の家臣、明智光秀らの仲介によって接触、そのまま、居城である岐阜城にて匿うことが決まったのだ。

 つまり、中国は三国時代序盤の曹操と同じような状況が、己の手を煩わす事なく、勝手に転がり込んできたのである。


 この報告に長政は、心底悩んだ。織田家の親族衆として喜ぶべきなのか、一大名として憂慮すべきなのか。明らかにせっかちな信長のことだ。おそらくは上洛して室町幕府将軍を奉じる立場となるのに、五年とかからないだろう。

「市、おぬしはどう見る、今後の尾張守殿の動き」

 自分では判断できなかった長政は、秘密裏に軍師として取り立てた市に伺を立ててみる。

「紛れも無く上洛するでしょうね」

「それは解る」

 信長が自力で美濃を手中に納めたとなると、残る同盟の意味は、上洛時の近江の素通りしか無いのである。

「信長はあの性格故に、おそらく北近江から迂回する安全策は採らず、最短距離である東海道を直進する道筋であると思われます」

「それも……、まあ、何となく解る」

 おそらくはそうなるだろう。とすればそこに立ちはだかる敵は、南近江の六角家、近畿一円の三好三人衆と松永。こんなところぐらいしか居ない。だが、信長が従える兵は、天下最弱との悪名が高い尾張兵である。おそらくは誰がしか同盟者に援軍を頼むことだろう。

「成程な。我が家に援軍要請があらば、まだ脈が有るということか」

「それは有りませぬ。わたしが信長であったなら、お前様には絶対に要請致しませぬ。というより、できませぬ」

「?」

 長政は、言葉の真意を計り兼ねた。どうしても浅井家に援軍を頼めない理由とは何なのだろう。

「信長は六角家を直撃します。お前様が城を空けると、奴らが総力を決してこの小谷城を目標に北上してくるからにございます」

《そういうことか》

 長政は納得した。確かに、南近江勢力の逃げ道を塞ぎたいのなら、長政には直ぐ上からガッツリと睨みを利かせてもらわねばならないし、もし自分が六角義堅であるならば、長政が織田上洛軍に加わるの報が入った時点で、小谷城が空き次第、攻略隊を派遣するだろう。

 これが解れば、斎藤攻めに浅井家を動員しなかった理由も全く同じ事なのだということが、痛いほど良く解る。

 こうして、一時的にではあるが、長政の信長に対する不安は解消されたのだ。




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