弐章 【疑惑】
本作の稲葉山城攻めは、木下藤吉郎が十日(ちなみにこの年は、八月と九月の間に【閏八月】というのがあって、厳密な築城期間は四十日あったらしいですよ(^^;)で作り上げた墨俣砦から稲葉山城を直撃したという甫庵信長記がベースの定説ではなく、斎藤家から攻め落とした墨俣砦はとっとと引き払って、美濃の東側からジワジワと稲葉山城に迫ったという、信長公記の説を採用しております。
あれから六年経つ。美濃は信長の手により、その東半分を攻め落とされていた。
浅井、織田同盟が結ばれてからというもの、織田家の所領は尾張の南半分から、尾張全域と美濃の東半分へと急速に拡がっている。
もはや美濃国主である斎藤家は風前の燈し火といった情勢だ。
そんな折、長政の元に斥候からの注進が入った。
「尾張守殿、調略により美濃三人衆を寝返らせた模様!」
《!》
さすがにこれは予想だにしていなかった事態である。美濃三人衆。それは、斎藤利政(道三)の代からずっと仕えていた普代の忠臣三人組であり、もはや斎藤家の象徴のような存在であった。
そんな連中を味方に引き入れた。
それは則ち、後は義龍の跡を継いで当主となった、龍興の本拠である稲葉山城を取り囲むのみで斎藤家を降伏させるための準備が整ったということなのである。
「何たる事……。何故兄者のみで斎藤を落としてしまわれる……」
この報告により、長政の脳裏に沸々と沸き上がる疑問。そして、これからの浅井家の在り方を見直せという、内なる己からの警鐘。
【共同戦線を張って、共に斎藤龍興を討つための同盟ではないのか!?】
一度疑い出すとキリが無いのが人間である。長政の思考回路は、瞬く間に負の思考に充ち溢れてしまった。
《確認を急がねば……》
これまでいろいろと個人的に世話になってきた、信長のいつもの豪快な笑顔を必死になって思い浮かべながら、その妹である市が控える奥の間へと忙しなく移動していった。
「市! 【尾張守殿】からこの同盟について何か聞いてはおらぬか」
市をつかまえ、同盟の意味について問い質す。
「どうしたのです、お前様? いつも兄者と慕っていた兄上様を急に尾張守殿だなんて」
「かようなことはどうでも良いのじゃ!」
己も気付かぬうちに、長政は市の胸倉を掴み上げていた。
「何をなさるのです! お離しくださいませ!」
市の一喝により、漸く己を取り戻した長政は、素早く手を離し深々と頭を下げ、その体勢を維持したまま、彼女へと美濃情勢を報告する。
「成る程……。確かに疑わしき行動にございますね。ですが、誰にも報告せずに一人で決めて、勝手に決行なさるのは兄上様の軍事行動の典型にございます故、あまりお気になさらないほうが宜しいかと存じます」
市から返ってきた答えはこのような物だった。気にするなと言われても、そうは行かないのが現状である。
【信長は浅井家の力を頼りにしていない】
その可能性を否定できない限り、この同盟が持つ真の意味に辿り着けなければ、浅井家に明日は無いのだ。