九章 【姉川】
金ヶ崎城を攻略し、更に奥へと信長は進攻している様だ。これから嶺北を攻める模様との報を受けた長政は、寝癖を直す暇も惜しんで戦準備を進めている。
信長はいつ気付くのか。始めから隠し通せるとは思っていない。
信長が進軍を中止して撤退し始めたとの報が入ったのは出撃の直前だ。長政は正直、
《勝てる戦じゃ!》
そう思っていた。信長に突撃するための準備は整っているのである。そのうえで、信長はまさかの謀反に泡を喰っての撤収だ。この奇襲に近い突撃をかわせる力など、持ってはいないだろう。
ところが、どういう訳か、信長を捉えることは出来なかったのだ。さすがは第六天魔王。撤退の殿(最後方で軍の安全を確保する隊・しんがり)を任せた木下藤吉朗に一際ゆったりと引き揚げさせ、自分はとっとと京へと逃げてしまったのだ。
越前、山城間(石川、厳密には福井北端辺り、京都間)をたったの二日で駆け抜けていった。この時信長に付いて行けた者は、僅か十人ばかりしか居なかったという。
この信長敗戦に勢いを得た将軍義昭は、畿内一円、相模の北條氏康、そして石山本願寺にまで働き掛け、信長包囲網を天下規模にまで拡げてしまった。更に、忠臣である明智光秀、細川藤孝の両名を敢えて信長へと寝返らせたのだ。いわゆる【埋伏の毒】。
こうして信長は外から内から取り囲まれる形となってしまったのである。
長政は、この状況を作り上げてくれた義昭に心から感謝した。
いくら魔王といえど、さすがにこの状況では暫くは引き篭っているしか無いだろう。その間に軍備を立て直し、六角義賢や明智光秀らと連携して討ち滅ぼすことも出来るのだ。
一体どういうからくりなのだろうか。たったの二ヶ月である。ほぼ壊滅に近い状態でようやっと岐阜城へと逃げ帰った筈の信長が、たったの二ヶ月で軍を完全に立て直し、長政の治める北近江へと攻めてきたのだ。
それは偏に信長が兵農分離による常備軍を持っていたが故なのだが、長政には、魔術か何かにしか見えなかったのである。
《尾張兵まで魔と化したとでも云うのか……》
第六天魔王率いる魔界の軍勢が、大挙して自領に押し寄せる。
得体の知れないものに対する恐怖が、ジワジワと長政を蝕んでゆく。
信長の魔術的出撃に臆した国境付近を治める堀秀村が、全く何もせず無条件降伏。この段階で、織田軍は小谷城に直撃できる状況を作ってしまった。続々と入ってくる不利な情報。
信長の出撃から僅か一日。抵抗するための術がもはや小谷城篭城しかない長政は、本日十三度目の厠へ立った。
己が放つ尿の状態が見えてしまうのが男の痛いところ。本日十三度目の尿は、黄透明ではなく真っ赤に濁っていた。
信長が横山城を取り囲む。それに徳川家康の援軍六千人が加わり、織田軍の兵力が爆発的に跳ね上がる。
気が狂いそうだった。刻一刻と不利になっていく状況。これが魔王を敵に回した報いなのだろうか。
弱気になりだした時にその報告は入ってきたのだ。
【朝倉義景が援軍八千人を率いて出撃】
正直、要らん事をとしか思えなかった。今まで自領に引き篭ったまま、まともに戦ったことも無い越前兵である。魔界の軍勢相手では、屁のつっぱりにもなりやしないのだ。
それどころか、散々に打ち負かされた結果、魔界の軍勢を更に勢い付けてしまう事にも成り兼ねない。
《冗談ではない!》
長政は慌てて出撃、この援軍と合流した。こうして後に言う、姉川合戦が始まるのだ。
姉川を挟んで北側に浅井、朝倉連合軍が、南側に織田、徳川連合軍が陣取る形で合戦が始まる。
長政は、この戦は時間との戦いであると判断した。とにかく、速やかに信長を討ち果たさなければならない。そう、朝倉軍が壊滅する前に。開戦前から長政は、朝倉軍の壊滅を前提に作戦を立てているのだ。
布陣を終えた後、最初に動いたのは言うまでもなく浅井軍だ。浅井軍の突撃隊長である磯野員昌の猛突撃が、木下藤吉郎、柴田勝家といった名だたる武将を蹴っ散らかして、信長旗本へと迫ったのだ。
一方、援軍同士の戦いとなった朝倉、徳川戦は、長政の予測通り、朝倉軍が押されていた。徳川軍もまた、浅井軍に負けないほど朝倉軍に切り込んでいる。
この勝負、劣勢側の大将の根性勝負の感が強くなってきた。そうなると、浅井、朝倉連合のほうが断然不利といえるだろう。
直ぐそこに魔王の姿を確認できるのだ。いつぞやの悪夢の如く不適に微笑む魔王。あの頭を胴体から切り離せば戦が終わり、長政は魔王から解き放たれることが出来るのだ。
長政は必死だ。それはそれは必死だ。義景が敗走すれば、天下ニの徳川軍が横から押し寄せてくる事は目に見えている。
それまでに魔王を粉砕しなければ。長政は必死に刀を振る。近付けない。全くこれ以上近付けない。
魔王は結界でも展開しているのだろうか。まるで長政が居る場所から先が異次元空間であるかのようにそこから先に進めないのだ。魔王は直ぐそこに居るのに……。
結局魔王を切り倒すより先に朝倉軍が壊滅、家康から側面を突かれた浅井軍は、壊滅してしまった。
「おのれ朝倉めぇ!」
負け犬の遠吠えに近い捨て台詞を残し、長政は撤退していった。