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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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33/85

本能

 部屋の修繕費はミハイルが見つけたチャーガと交換でいいということになった。

 商人はすぐに大工の手配をして、翌日にはミハイルの部屋は元通りになった。


「やっとゆっくり部屋で眠れる……」

「聞き捨てならない言葉だな」


 今日まで、ミハイルは毎日オリガに寝かしつけられていた。

 抗う術など一つもなく、毎日すやすやと安眠だった。


「あんなによく眠っていたのに」

「いや、まあ、否定する言葉は何もねえけど」


 普段、ミハイルの寝付きは悪い。寝台の上で一時間ほどゴロゴロと寝返りを打ち、いつの間にか眠っているというのが常であった。


「それは、私も似たようなものだ」


 二人共、互いに寝つきが悪いのに、一緒に眠る日はどうしてかすぐに寝てしまう。


「ミーシャの体温が高いから、すぐ眠れるのかもしれない」

「暖房扱いかよ」


 そんなわけで、夜を共にすることは良いこと尽くしだった。


「だから、どうだろう。この先も一緒に眠るのは?」

「いや……」


 断ろうとしたが、オリガを見たら悲しそうな顔をしていた。良心の呵責に苛まれる。

 別に、一緒に眠るのが嫌なわけではない。

 しかし、ミハイルは年頃の男性であった。


「前にも言ったが、俺は男だ」


 大切なことなので、はっきりと言っておく。オリガを傷つけずに断るには、これしか方法がなかった。

 もちろん、そういうことを申し出るのは恥ずかしい。

 しどろもどろに語られるミハイルの本音に、オリガはこっくりと頷いた。


「なるほど。以前、男性は種の保存本能があると聞いたことがある」


 オリガに真面目な顔で問われた。それは、どの女性にも感じるものなのかと。

 ミハイルは思い出す。ユスーポフ公爵家で仕かけられた色仕かけの数々を。

 噎せかえるような香水の匂いに、甘ったるく甲高い声。媚びた表情に、派手で上品ではないドレス。

 美しい娘達であったが、どれも嫌悪感が勝り、欲求なんて湧いてこなかった。

 むしろ気持ち悪くて、もったいないと言う男達の話を聞いていたら、自分は女性が苦手だと思い込んでいた。

 迫られた貴族の娘達に、男を頼ることしか知らなかった母の姿を重ねていたことも原因であったが。


 ここも、勘違いをされたら困るので、しっかりと説明しておいた。


「見境なかったら、ただの変態だろう」

「……そうだな」


 ここで、オリガはポツリと呟く。


「ということは、ミーシャは私を選んでくれた、ということになるのだろうか?」

「選んだ?」

「種の保存の相手として」


 その言葉を聞いた途端、ミハイルの顔は真っ赤になる。

 今までの懇切丁寧な説明は、オリガだけ特別だと言ったようなものだった。

 明らかな狼狽を見せるミハイルと、真面目な顔で話し続けるオリガ。


「実を言うと、種の保存については、私も興味があった」

「あったのかよ……」


 薬師の奥方より性教育を受けた際、ある意味神秘的な現象だという話を聞いていた旨を語る。

 オリガはミハイルの手を取り、とんでもない発言をした。


「もしかしたら、協力できるかもしれない」

「は?」

「人類の神秘を、目の当たりにしたいと思っている」


 夜、一緒に眠ることは、利害の一致だ。そう、オリガは主張した。


 頭の処理が追いつかなくなったミハイルは、震えるこえで「考えておく」と返すのが精一杯であった。


 ◇◇◇


 ミハイルは今日も、昼食の支度を済ませたあと、薬師の家に向かう。


 馬に乗りながら、オリガとの話を蘇らせていた。


 人類の神秘を見たいと言っていた。冗談を口にするような女性(ひと)ではないので、本気なのだろう。

 しかし、今すぐに、というわけにはいかない。

 ミハイルにも、胸に秘めた計画があった。


 まず、薬師のもとで按摩の技術を習い、一人前になること。それから独立して、収入を得られるようになり、生活が安定したら――言いたいことがある。


 偶然出会い、二人は互いを助け合う目的で契約結婚をした。

 家も仕事も、金もないミハイルは選択の余地もなく、従うしかなかった。


 他人同士が共に暮らすことは難しいことだった。


 けれど、父親がいなかったミハイルと、母親がいなかったオリガは、足りないところを補い、欠けていた物がパチリとはまるように、ぴったりと息が合っていた。


 自分に厳しく、働き者で禁欲的で堅実なオリガに、ミハイルが尊敬の念を抱くのに時間はかからなかった。


 それから、意外と愛情深い女性であることがわかり、尊敬の気持ちが別の感情になるのも、早かった。

 いつかオリガと対等になりたい。ミハイルは強く思うようになる。


 そして、肩を並べられるようになった時、オリガに求婚しようと考えていた。


 それなのに、オリガは種の保存とか、人類の神秘だとか、とんでもない話を持ち出してきた。


 今の状況では、とても子どもなんて育てられない。


 彼女が子どもを欲するのも、女性にならば備わっている母性本能というものなのだろうか。その辺は詳しくないので、よくわからない。


 考えごとをしているうちに、薬師の家に到着した。

 馬のルゥイと、犬達を幹に繋げ、勝手知ったる師匠の家に入って行った。


 ◇◇◇


 今日は実際に、患者相手に按摩を行って良いと、薬師より許可が出た。


「いや~、ミーシャに揉んでもらえるとはな。不思議な気分だ」


 相手は顔見知りの村人、サーヴァである。

 肩凝りが酷いとのことで、受けに来たのだ。


「昨日、木の上で獲物を狙っていたら、体がバキバキになって」


 同じ姿勢を保っていると、血行が悪くなって凝りの原因となる。狩人の職業病なのかもしれない。


 サーヴァは上半身裸の状態で診察台に乗り、うつ伏せの体勢となった。

 まず、温かいタオルを肩に置いて、血行促進を促す。


「うん、ちょうどいい温かさだ」


 患部を温めることにより、筋肉も解れやすくなる。

 体が温まったら肩甲骨あたりから、ぐいぐいと親指で押していった。


「ああ~、気持ちいい~」

「変な声出すなよ」


 ボソリと小さな声で呟く。静かな診察所では響いてしまい、薬師の笑いのツボにはまってしまった。


「うるせえな」

「ここの施術師は口が悪いな」

「クソジジイとクソガキのいる診療所なんだよ。悪いか」


 ミハイルの物言いに、今度はサーヴァも笑い出す。

 施術に集中できないと、叫んだのは言うまでもない。


 サーヴァは体が軽くなったと、笑顔で帰って行った。ミハイルは達成感で満たされる。


「何回か今日みたいなことを重ねたら、祝独立になりそうですね」

「そんな短時間でいいのか?」

「みっちりと教えたつもりでしたが?」


 薬師は三日しか習っていないと言う。長年の試行錯誤で、独自の技術も混ざっているが、練習した期間は驚くほど少ない。


「今晩辺り、オーリを揉んで差し上げたらどうでしょうか?」

「いや、それは――」

「技術的には十分、合格の線上にありますので、心配はいらないですよ」

「まあ、疲れていなかったら」


 それよりも、オリガについて気になっていた点があったので、訊ねてみる。


「そーいや、あんた達って、なんでこの村にやって来たんだ?」


 皇帝の政治に絶望した話なら聞いた。

 しかし、それだけだったら、最果ての地とも言える針葉樹林(タイガ)の森まで来る必要はない。


 おかしな選択だと、ミハイルは思って指摘した。


 薬師から笑顔が消え、急に真面目な顔つきとなる。

 立ち話もなんだからと言い、居間に移動した。


 茶はミハイルが淹れた。薬師に任せると、苦い漢方茶を淹れるので、仕方なく行っている。

 ソーサーに砂糖の塊を置き、居間に持って行った。


 まず、茶を飲んで気分を落ち着かせる。

 サーヴァや薬師がからかってくるので、いちいち言い返していたら喉が枯れてしまったのだ。


 香り高いベリーの葉から作った茶を飲み、砂糖を齧る。

 ちらりと見た、薬師の顔は深刻そのもの。いつものおちゃらけた雰囲気はない。

 ミハイルは再度、訊ねた。


「それで?」


 なんとなく引っかかっていたことであったが、何かの確信を突くような指摘だった。

 薬師の表情が、そうであると暗に示している。


 別に、言えないのならば、言わなくてもいい。そう伝えたが、薬師は首を振って話し始める。


「二十五年前、私達は――皇帝の起死回生の政策を妨害するために、ここに来ました」

「は?」


 とんでもなく壮大な話に、ミハイルは目が点となった。


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