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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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23/85

相互扶助

 夫婦の平和な暮らしをかき混ぜてくれたラゥ・ハオとも、別れの時がやって来る。


「アリガトウ、ゴメンナサイ、モウシマセン……どれを、重点的に言ッテイイモノカ」

「いいから帰れ」


 オリガは冷え切った視線を向けつつ、ラゥ・ハオを追い出そうとする。


「デモ、ヨカッタ」


 孤独に暮らしていたオリガに、大切な人ができた。それは、喜ばしいことであると話す。


「結婚、したい、思ったノモ、寂シソウナ、目をシテイタカラ」

 

 だから、オリガに求婚をした。

 ラゥ・ハオがぽつりと呟いた言葉に、オリガとミハイルは顔を顰める。

 その反応を目の当たりにしたラゥ・ハオは、肩を竦めながら「酷いナ」と零した。


「酷いのはお前のほうだろう。勝手に人を連れ去るなど、言語道断」


 オリガは続けて追及する。

 このように、人を攫うことを日常茶飯事にしているのではないかと。


「遊牧民の中には、人を攫って交易品にするという者達もいると聞いた。まさかお前も――」

「人攫イなんか、シテナイ! 私は、品物を物々交換して、正当な取引をシテイル!」

「だったらなぜ、睡眠薬など持ち歩いていた」


 その指摘に、ラゥ・ハオは明後日の方向を見る。

 オリガは深い溜息を吐いた。そして、ナイフの柄を握りながら言う。


「……お前との友情も、これまでだったな」


 シャキンと音を立てて抜かれるナイフ。オリガは手の中で柄をくるりと回し、切っ先をラゥ・ハオの喉元に向けた。


「特別に選ばせてやる。今すぐここから立ち去るか、私に頸動脈を裂かれるか」

「イヤイヤ、ちょっと待ッテ!! 違ウ、人身売買はシテナイ!! 絶対の、絶対に!!」


 ラゥ・ハオはぶんぶんと首を横に振り、容疑を否認する。


「信じられるか!」

「ダカラ、違ウ!!」


 ラゥ・ハオはオロオロするばかり。

 一方、オリガは荒ぶっていく。

 ミハイルはどうしてこうなったのだと、眉間に手を当てて、中心に寄っていた皺を解していた。


 ここで、場の収拾をするために、部下の少年が割って入る。


「スミマセん、長は不眠症なのデス」

「え?」

「ああ、言うナッテ!」

「シカシ長よ、言ワナケレバ、オリガ様との友情も終わってしまいマス」

「ウウ……」


 ラゥ・ハオは顔を真っ赤にさせ、居場所がないような表情になる。どうやら、夜眠れないことを恥じているようだった。


「ラゥ・ハオ、お前は昨日、眠そうにしていたじゃないか」

「ある程度、お腹イッパイになったら、薬を吸ったノダ」

「あんなところで……迷惑な奴」


 誰にも言わないよう、口止めされる。

 オリガとミハイルは頷いた。


「昨日も、スヤット気持ちよく眠ッテイタンだが、隣の寝室カラ、バッタンバッタンと、激しい音と叫ぶ声が聞コエテて、目が覚メテ……オオ。ア、イヤ、ナンデモナイ、デス」


 オリガの目が猛虎そのものになっていたので、ラゥ・ハオはそっと口を閉ざした。


「帰れ。今すぐに」

「ハイ」


 ラゥ・ハオは最後に、玄関先で片膝を突く。

 右手で拳を作り、左手で包み込むように手を合わせると、礼の言葉を口にした。


太谢タイシェ谢你了シェニィロ!」


 最大級の感謝の言葉を口にした。そして、オリガの家をあとにする。

 ラゥ・ハオは何度も振り返り、手を振った。

 オリガは腕を組み、険しい顔で見送っている。

 最後に、塀の出入り口の前で部下が深々と頭を下げたので、ミハイルは手を振って見送った。


 ようやく、嵐が去ったのだ。


 ◇◇◇


 オリガは紅茶を淹れて、居間でぼんやりしていたミハイルにカップを手渡す。

 それから、砕いた砂糖の欠片はソーサーに置いた。


 紅茶を飲み、砂糖を齧る。すると、渋い紅茶の後味がまろやかになるのだ。


 オリガはちらりと、ミハイルを見た。目が合うと、ふいと逸らされる。

 昨晩のできごとをきっかけに、二人は微妙な雰囲気になっていた。


 十七歳というのは、多感な年頃である。

 昨日も、子ども扱いをしていると言われた。


 そういうつもりはなかったが、オリガは無意識のうちに子ども扱いをしていたのかもしれないなと、考える。


 ミハイルとは、契約上の関係。互いに困った状況の中で出会い、夫婦となった相互扶助の縁で結ばれていた。

 八歳も年下で、守らなければならないと思っていたことが、子ども扱いに繋がったのではと、分析していた。

 ミハイルは明るく真面目な男だが、母子家庭で育ち、何かが欠けていた。

 それは、オリガも同じ。

 父子家庭で育ち、足りないものが多々あった。

 二人は、自らに足りないものを補うようにして、暮らしていた。

 だから他人同士なのに、ぴったりと、息が合う場面が何度もあった。


 オリガはミハイルについて、もっと知りたいと思う。

 もう、庇護の対象としては見ないようにと心に決めた。一人の男として、付き合おうとも。


 そう決心した中で、今回の事件に関し、気になることを問いかけてみた。


「ミーシャ」

「なんだよ」

「聞きたいことがある」


 それは、攫われた件に関し、ミハイルがラゥ・ハオを許したことについて。

 あっさりし過ぎていた上に、どこかどうでもいいみたいな、なげやりな空気を感じていた。

 あれはいったいどうしてと、追及する。


「今回の件は助かったからいいだろ」

「しかし、ラゥ・ハオはお前を勝手に連れ去り、他所の国の王に献上しようとした。腹が立たなかったのか?」

「まったく怒らなかったわけでもねえ。でも、無事に解決した。だったらいいじゃねえか」


 ミハイルは言葉を続ける。


「今まで、いろいろあったんだ。本当に、いろいろと」


 すべては、母親関連である。

 近所で盗難事件があって罪を被せられそうになったり、借金取りに追われたり、母親の元交際相手に誘拐されたり。


「いろいろあったけれど、なんとかなった。俺は今、こうして生きている」


 壮絶な暮らしを送る中で、ミハイルの普通の感覚はすり減ってしまった。


「経過に腹を立てても、どうにもならないって、ある日気付いた。それから、結果だけ気にしていたら、辛くなくなった」


 なので、今回の事件も、オリガが助けてくれたので良しとする。ラゥ・ハオの行為も怒らない。ミハイルは静かに語った。

 その表情は達観していて、とても十代の少年のものとは思えない。

 オリガは、ぎゅっと胸が苦しくなる。


「そうでもしないと、自分を保てないような環境だった。でも、すべてが悪かったわけじゃないから、俺はどうにか、こうしてまともな状態でいる」


 心優しいパン屋の主人がいた。

 やせ細っていたミハイルを心配する、パン屋の奥方もいた。

 不安定な環境にいながらも、支えてくれる人達がミハイルにはいたのだ。


 けれど、オリガは切なくなる。


「ミーシャ……」


 彼女の溢れる感情は、言葉としてではなく、涙として溢れてきた。


 こんなにも優しくて、真面目な人が、どうして辛い目に遭わなければならないのかと悔しくなった。

 子どもは親を選べない。

 仕方がない話でもあったが、オリガは悲しくて堪らなくなった。


 堰を切ったように涙を流すオリガを見て、ミハイルはぎょっとする。


「お、おい、あんた、どうしたんだよ」

「わからない……わからないが、どうしてか、流れる……」


 ここで、オリガは心に浮かんだ言葉をそのまま吐露する。


「私は、ミーシャと共に過ごす中で、笑ったり、泣いたり、怒ったり、してほしい。結果ではなく、経過の中で、さまざまな感情を、共にわかちあいたいと、思う。この先も、ずっと」


 オリガは涙を拭い、まっすぐにミハイルを見た。目を見開き、驚いたような表情を浮かべている。

 じっと、長い間、見つめ合った。

 そして、震える声でミハイルはオリガに問いかける。


「それは同情、じゃねえのか?」


 可哀想なミハイル。

 間違いはない。

 けれど――。


「この気持ちがなんなのか、私にもよくわかっていない」


 日々、父親以外の人と、多くの時間を接することもなかった。

 女性らしい情緒は欠けており、自分のことですら、理解していないのが現状である。


 そんなオリガにとって、ミハイルは特別な存在となりつつあった。

 これらの感情がどうなるのか、共に過ごす中で知りたいと、素直な気持ちを伝えた。


「しかし、私はミーシャをここに縛り付ける気はない。居場所は、ここ以外にもある」


 たとえば、薬師のもとに行き、弟子として暮らすこともできる。

 白星の村に移住して、パン屋の娘に婿入りする道だってあった。


 しかし、ミハイルは首を横に振った。


「……わからないのは、俺も一緒だ」


 ミハイル自身も、ここで、オリガについて知りたいと呟く。


 ここで、オリガはミハイルと話し合い、さまざまな決まりごとを作る。


 思ったことは素直に伝えること。

 隠し事はしない。

 相手を信じること。


 これらの規則のもと、夫婦は新しい契約を結ぶ。

 今回の事件は大変なものであったが、互いの理解を深めるいい機会になったのだ。


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