お腹いっぱいになるために
腹ごしらえを終えたあと、ミハイルとオリガは料理作りを始める。
夕食なので軽く済ませたいところであるが、ラゥ・ハオとその部下をもてなさなければならない。
「あいつ、びっくりするくらい食べるんだ。パンも、たくさん作ったのに、ぺろりと平らげて……」
「そうだったんだな」
迷惑をかけたと、オリガはミハイルに頭を下げる。
「いや、家の中に勝手に引き入れて、食事を与えた俺が悪いから……」
お腹が空いて倒れたラゥ・ハオを、見放すことができなかった。
空腹は辛い。
ミハイルも何度か覚えがある。
――かつての、母親との二人暮らしは裕福なものではなかった。
あとから聞いた話であったが、毎月ユスーポフ公爵家から支援金が送られていた。だが、ミハイルの母が自らを着飾るのに使い込んでいたので、生活は常にかつかつ状態。
暗い部屋で母親の帰りを待ち、やっとのことで食事にありつくこともあった。
お腹が空きすぎて、泣きながらパンを食べたこともある。
空腹状態で寒空の下を歩き回ったのは、いつの記憶だったか。
家の中も、お腹も空っぽ。
悲しくなって、たった独りで街中を歩き回る。
幼いミハイルは、暗くなるまで外で時間を潰していた。
陽も沈むようになったら、周囲の家から灯りが漏れる。
窓を覗き込むと、決まって女の人が料理を作っているのだ。
くるくると木のおたまで鍋をかき混ぜ、漂うのは美味しそうな匂い。
途中で子ども達がやって来て、鍋の中の生地に肉を包んだものを食べさせてもらっていた。
子どもがはふはふと幸せそうに食べる様子を見て、ごくりと生唾を呑み込む。
あの料理の名は――。
「ミーシャ?」
「!」
名を呼ばれて、我に返る。
都での辛い記憶を振りはらうように、なんでもないと首を横に振った。
「あ、ペリメニ!」
ここで思い出す。記憶の中で、窓の向こうにいる幸せな子どもが食べていたのは『ペリメニ』という料理だった。
「ペリメニか……」
オリガは何年も食べていないと、ぼそりと呟く。
「老師の家に行った時に、奥方が作ってくれたのを何度か食べたくらいだな」
小麦粉から生地を作り、中の餡となる挽き肉と野菜を包んで煮込んだ料理は、そこそこ手間がかかる。
父子家庭の食卓には、上がらなかったメニューだ。
ミハイルも年に一度か二度しか作らなかった料理である。
「ペリメニの生地は酵母を使わなくても作れる。寝かせる時間も短い。パンよりは早く作れるだろ」
大量に作ってラゥ・ハオの腹を膨らませる作戦を行うことにした。
オリガにイノシシ肉を刻む作業を頼んで、ミハイルは生地を作る。
ボウルに小麦粉、卵、牛乳、溶かしバター、塩を入れて練り、生地がまとまってきたら丸めて、濡れ布巾に包んでしばし放置。
今度は包む餡を作る。
タマネギ、ニンニクを刻み、オリガが挽き肉状にしたイノシシ肉と混ぜた。
途中で香辛料、塩胡椒を加える。量が多いので、混ぜるだけでも大変だ。
餡が完成すると、再び生地の工程に戻る。
生地を細長く伸ばし、丸めたあと、平たく伸ばす。
「包み方は――まず、生地に餡を載せて、片側に小麦粉を溶いた水を塗って半分に折って、最後に端と端を繋げて円形にする」
そうすると、もっちりコロリとした形になる。
ミハイルが生地を平らにしていき、オリガは餡を包む。
生地をすべて伸ばし終えると、スープの準備に取りかかった。
火にかけた壺に、干しキノコを浸していた水とキノコの塩漬け、イノシシの燻製肉を入れて、沸騰したら、香辛料と胡椒でしっかり味付けをする。その後、スープが白濁色になるまでじっくり煮込んだ。
ぐつぐつさせている間に、野菜を切る。
タマネギ、ニンジン、ジャガイモなどなど。ラゥ・ハオの腹が短時間で膨れるよう、大きく切ったものをバターで炒めた。それを、壺のスープの中に入れる。
灰汁を取り、具がしんなりとしたら火を止め、かまどから下ろして蓋を被せ、蒸し煮状態にした。
ある程度スープが完成したので、ペリメニ包みに参戦する。
ミハイルとオリガは黙々と、生地に挽き肉の餡を包む。
途中でラゥ・ハオより、作業が終わったとの声がかかった。
礼を言って居間に案内し、お茶とジャムを出してしばし待つように言っておく。
台所に戻り、ペリメニ作りを再開。
残り十個ほどになったら、ミハイルはペリメニを煮る。
塩と月桂樹の葉を入れた湯に入れて、ぷかぷか浮いてきたらさらに数分煮る。
火が通り、ツヤツヤになったペリメニを掬った。
それをそのままスープに入れる。
ペリメニはスープに入れる分と、パセリを振ってバターやスメタナを付けて食べる分と、二通り作った。
ラゥ・ハオの前に、山のように積んだペリメニを出す。
「うわ、オイシソウ! 餃子ダネ!」
どうやら、ラゥ・ハオの国にも似たような料理があったようで、喜んでいた。
客人を歓迎するため、前菜を並べる。
キノコ、キュウリ、キャベツの塩漬け。それから、魚のオイル漬けに、ビーツのサラダなど。
あっという間に食卓は賑わう。
カップに葡萄酒を注ぎ、乾杯した。
「デハ、オリガとミハイルの、幸せな結婚ニ!」
カップを重ね合わせ、食事を始めた。
前菜を食べ、酒を飲む。
ミハイルはオリガが飲み過ぎないかどうか見張っていたが、あまり口を付けていなかったので安堵する。
ひと通り前菜を堪能したら、スープを食べる。
匙に掬うと、湯気が立った。先ほどまで壺の中にあったスープは、保温力があって、時間が経ってもアツアツだ。
ミハイルは掬って食べる。
キノコの出汁がぎゅっと濃縮されたスープは、コクがあって深い味わいがある。
スープをしっかり吸い込んだ生地を、つるんと口に含んだ。
生地の食感はコシがあってモチモチ。噛むと、じゅわっと肉汁が溢れてくる。香草でしっかりと下味を付けているので、クセなども感じない。
「ウン、美味イ!!」
ラゥ・ハオの言葉に、部下もコクリと頷いている。
ミハイルは美味しいという感想を聞いて、ホッとひと安心していた。
その後も、無言でペリメニを食べ続ける一同。
皆、空腹だったのだ。
圧倒的な物量で攻めた作戦がよかったのか、ラゥ・ハオはお腹いっぱいだと言って、床の上に寝転がる。
今晩は泊めることになっていたが、居間で眠ると風邪を引く。ミハイルは注意したが、なかなか起き上がろうとしない。
結局、ミハイルと部下でラゥ・ハオを二階まで担いでいくことに。
ミハイルの寝室に行くなり、寝台のほうへと自分から飛び込んでいく。
「布団~~!」
「は!?」
床に布団を敷いて寝かせるつもりが、ラゥ・ハオはミハイルの寝台に転がる。
「クソ、こいつ……」
「すみません、本当に、すみません」
平謝りする部下。
礼儀正しい部下に免じて、許してやることにした。
「ジャア、ミハイルは、オリガと仲良クナ!」
ラゥ・ハオは起き上がり、火鉢を用意しているミハイルに言う。
ペコリと、部下も頭を下げながら言った。
「すみません、お部屋、お借りシマスネ」
「え?」
この部屋はラゥ・ハオ達が使うことになった。
本当は三人で使うつもりだったが、ここで、ミハイルは思い出す。オリガと夫婦関係を装わないといけないことを。
すぐに踵を返し、寝室から出た。
そして、廊下で頭を抱えた。
「~~~~っ!」
「どうした?」
隣の寝室より、オリガが顔を覗かせる。
寝間着の薄い恰好に肩掛けをかけている、なんとも悩ましい姿であった。
その様子はなんとも無防備で、隙だらけだ。
寝間着姿をラゥ・ハオに見られるのも、話を聞かれるのもマズいと思い、オリガの寝室にお邪魔する。
夫婦だからと一緒に眠るだろうと、部屋を追い出されてしまった話をしたら、オリガはとんでもないことを無表情で口にした。
「だったら、今晩は私と一緒に眠るといい」




