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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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オリガの恐怖、ミハイルの失敗

 シカを狙った銃は、見事に頭部を撃ちぬいた。

 体を縄で縛り、木に括り付ける。首の頸動脈を切り、斜面に傾けて血抜きをした。

 血抜きを待つ間、ユキヒョウをソリまで運ぶ。息絶えているか確認し、胴を縄で縛って斜面からソリのあるほうへ引いていく。

 なんとかユキヒョウをソリに乗せた。今度は再度、シカのいる場所まで戻らなければならない。

 つい先ほど、ユキヒョウに襲われた瞬間を思い出し、オリガはゾッとする。

 気持ちを落ち着かせるために、犬を撫でたが、ざわつく心は落ち付かなかった。


 昔、父親に言われたことがあった。

 森で血抜きをする時は、気を付けるようにと。

 作業に手間取ったら、血の匂いに誘われて別の肉食獣がやって来る。

 もしも、先ほどのように、突然襲われてしまったら……。そう考えると、恐ろしくて、足元が竦んでしまった。


 こんな風に森の中で恐怖を覚えるのは、独りで狩りに行った時以来。

 十数年前の記憶である。

 だが、こうしている間にも、肉食獣が近付いてきているかもしれない。

 ぼんやりしている時間は、ひと時も許されていなかった。

 奪った命を無駄にできないし、今は家族もいる。慄いている場合ではない。

 瞼を閉じ、震える手を握りしめる。一瞬で腹を括った。

 左手には銃を持ち、右手には大振りのナイフを握る。

 オリガはシカを血抜きしている場所へと戻った。


 ◇◇◇


 留守を任されたミハイルは、まず、酵母作りを行うことにする。

 今日は三種類、作ることにした。


 まず、壺の中に水を張り、その中に瓶を入れて煮沸消毒する。

 殺菌をして、雑菌の繁殖を防ぐために絶対必要な作業なのだ。


 一つ目はライ麦で酵母の元種を作る。

 工程は実にシンプル。

 ライ麦粉とぬるま湯を同じ量、瓶に入れて置いておくだけ。


 二つ目はリンゴと干しブドウから作る。

 リンゴを塩で擦るように洗い、皮のまま角切りにする。

 干しブドウは湯で洗い、水気を切った。

 瓶の中にリンゴと干しブドウを入れる。ぬるま湯は果物の二倍の量を注ぐ。


 三つ目は紅茶の葉で作る。

 瓶に紅茶の葉、蜂蜜、全粒粉を入れて、湯冷ましで瓶を満たす。


 以上、三種類作った。

 このままペチカの近くで放置というわけではない。

 かき混ぜたり、様子を見たりと、しっかり世話をしないと酵母は死んでしまう。

 ほどよく暖かい場所に瓶を並べ、満足げに頷くミハイルであった。


 次に、昼食用のパンを焼く。

 地下より持ち込んだ小麦粉を前に、ミハイルは顔を顰める。そろそろ、どっしりみっちりとしたパンを食べたい。

 しかし、それを作るには酵母が必要なのだ。

 酵母なしのパンもあるにはあるが、どれも軽いもので、物足りない。

 ミハイルは「はあ……」と盛大な溜息を吐いたあと、少しでも食感のある物を作ろうと、リンゴを使ったケーキを作ることにした。


 『シャルロットカ』というリンゴの甘露煮を入れたケーキは、シャルロットという王女の名前が由来となっている。


 くし切りにしたリンゴをバター、砂糖でじっくりと煮込む。

 壺に卵白と砂糖と入れてもったりするまで混ぜるのだが、泡だて器などないので、二本爪のフォークでかき混ぜた。

 上手く混ざらず、舌打ちをしつつの作業となる。奮闘の末、角が立つまで泡立てた。

 混ぜた卵白と砂糖の中に、卵黄、溶かしバターと小麦粉を入れて、再度かき混ぜる。


 台所を探ったが、ケーキを焼く型などない。

 なので、かまど用の鉄板にバターをたっぷり塗って、生地を流し込む。その上にリンゴの甘露煮を並べて焼いた。

 時間が経つごとに、ふわりと甘い香りで台所の中が満たされる。

 三十分ほどで焼き上がった。

 かまどの中を覗き込んだら、ふんわりと膨らんでいたのでホッとした。

 調理器具がなかったので、上手く焼けるか心配だった。

 生地は粗熱を取って――どうしようか考える。


 何かクリームを塗ってロール状にするか。

 ミハイルが地下倉庫を探り、発見したのはスメタナ。

 それを生地に塗って、くるくると巻いたらリンゴのケーキの完成だ。


 あとはスープを仕込んでおく。

 豚の燻製肉と根菜類に、香辛料をたっぷりと利かせて、少ない水でじっくり蒸し煮にしながら作るスープ『ジャルコーエ』を作った。


 ここで、コンコンコンと扉が叩かれる音が鳴る。

 オリガは戸を叩かないので、村人の誰かがやって来たのだ。

 ミハイルは顔を顰め、げっと呻く。

 留守中、誰か来た時の対応を聞いていなかったのだ。


 どうしようか迷っていると、外から「すみませ~ん」と、少年の声が聞こえた。

 聞き覚えのある声だった。

 それは昨日オリガと共に行った店、『仕立て屋 愛しきヴェローニカ』で店番をしていたロジオンのもの。


 気安そうな明るい少年だったことを思い出し、出ることにした。

 扉をそっと開け、隙間から顔を覗かせると――。


「あ、旦那さんだ。こんにちは」

「どうも」


 一応、知った顔であるが、ミハイルは警戒心を持って対応する。


「なんの用事だ?」

「結婚のお祝いに、母さんが持っていけって」


 布の被さった籠を手渡される。

 ミハイルは扉を開き、受け取った。

 布を取り去ると、小麦とバターの香りがふわりと漂う。

 丸く黒いパンと、細長い白いパン、それから果実酒が入っていた。


「パ、パンじゃねえか!」

「白星の村の、一番人気と二番人気のパンなんだ」

「パンだ。すげえ……」


 ミハイルはパンを手に、ひたすら感動していた。

 それから、ロジオンにお礼を言う。


「ありがとう。お前、良い奴だな」

「買ったのは親だけどね。まあ、オリガの結婚は、僕も嬉しいなって」

「そうか」


 ロジオンはにこっと、屈託のない笑顔をミハイルに向けていた。


 ここで、再度互いに紹介しあう。


「僕はロジオン・ダニーロヴィチ・モドノフ」

「俺はミハイル・イヴァーノヴィチ・リューリクだ」


 しっかりと、握手を交わす。


「僕はロージャって呼んでね。その代り、ミーシャって呼んでもいい?」

「……好きにしろ」


 ロジオンは友達ができたと喜ぶ。

 そう言われて、友達なんか今までいなかったなと、ミハイルは気付いた。

 なにせ、母親はだらしない遊び人。

 日々、違う男を連れて込んで、近所の目も冷たかった。

 子ども達にも近づかないように言っていたのだろう。ミハイルはいつも一人だった。


「じゃ、改めて、よろしくね、ミーシャ」

「……ああ」


 なんだか照れくさくなる。


 このまま帰すのも申し訳ないと思い、家主は不在であったが、家でもてなすことにした。


「ここの家、初めて入る」

「そうなのか」

「そうそう。警戒心強いからね」


 オリガは長い間、一人で頑張っていたのだ。それを思うと、なんとも言えない気分になる。

 若い女性が、誰の手も借りずに生きるなんて、さぞかし大変だっただろう。

 その苦労や抱えていた心労は、想像すらできない。


 ロジオンに居間の長椅子を勧め、台所で先ほど作ったリンゴのケーキをカットする。

 紅茶を淹れて、共に出した。


「え、すごい、これ!」

「いいから、黙って食え」


 ロジオンは目を輝かせながら、ケーキを見ている。そして、森の神に祈りを捧げてから、食べ始めた。


「うわ、美味しい! すごく美味しい!」


 初めは微笑ましく、もぐもぐと嬉しそうにケーキを食べている様子を見守っていたが、しだいに嫌な予感が脳裏を過る。

 ロジオンの反応は、いささか過剰というか、普通の美味しいお菓子を食べた反応ではなかったのだ。


「このケーキ、今まで食べた中で、一番美味しい」

「……」

「これ、どこで買ったの?」

「……」


 明後日の方向を見上げるミハイル。

 頭を抱え、やってしまったと脳内で叫ぶ。


 美味しいパンは白星の村でしか買えない。

 そして、美味しい焼き菓子も、白星の村でしか買えないのだ。


 パンだけなら大丈夫だと思い込んでいたので、痛恨のミスをしてしまった。


 ミハイルの異変に気付いたロジオンは、追及してくる。


「あれ、これ、もしかして、ミーシャの手作り?」

「…………」


 どうしようか迷ったが、隠しようがない。

 白星の村まで買いに行くなどと言われたら、大変なことになる。

 なので認めた上で、ここで口止めをしておくことにした。


「もう一切れ渡すから、このことは、黙ってろ。理由は、わかるな?」


 コクコクと頷くロジオン。

 白星の村のお菓子より美味しいものを作ったことが発覚したら反感を買う。

 なので、絶対に黙っておくように、重ねて注意した。


 ケーキは持ち帰らずに、この場で食べるように頼み込む。

 証拠隠滅であった。


 ロジオンは笑顔でミハエルのケーキを完食し、帰って行った。


 こうして、なんとかピンチを乗り越えることができた。

 あとは、ロジオンを信じるだけである。


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