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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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タイガの森での狩猟

 オリガは犬達をソリに繋げる。その様子を、ミハイルは背後から眺めていた。

 狩りに行くとわかるのか、犬達は吠えたり飛び跳ねたりと、興奮していた。しかし、オリガが静かにするようにピシャリと命じたら、大人しくなった。


 針葉樹林タイガに降り積もる、雪のように冷たく鋭いオリガの声。

 母親や都にいた女達のように、甘さなど一切ない。

 低く、落ち着いた声色の彼女が、甘い声を出す時などあるのだろうか。

 ミハイルはぼんやりと考える。

 ドレスで着飾ったり、化粧をしたりしていないのに、オリガは美しい。

 絵画の中の天使のような、近寄りがたい美貌を持っている。

 しかし、彼女自身は料理があまり上手くなかったり、それを自覚していたりと、完璧ではない。

 あと、意外とよく笑う。

 どうして今まで嫁の貰い手がなかったのかと思考を深く巡らせていると――ガチャリと、銃器を担ぎ上げる音で我に返った。


 ここで、思い出す。オリガは『猛虎』と呼ばれる、スゴ腕の狩人なのだ。

 その仕事っぷりは、狩猟を生業とする男達の自尊心を刺激するのだろうとも。


「その銃は?」

「ライフル銃だ」


 ライフル銃――大型の獲物を仕留める威力が高いもの。

 今日のオリガは、大物狙いだった。


「あんたさ、本当に、気を付けろよ」

「わかっている。大型の獲物を直接狙いに行くことは、滅多にない」

「どういうことなんだ?」


 大物狙いなのに、直接狩りに行かないとは。

 オリガは淡々とした口調で答えた。


「クマやシカなどは、主に罠で仕留める」

「ああ、そういうことか」


 これはオリガの父親が独自で考え、作った物で、他の村人達は知らない技術である。


「ってことは、罠に引っかかった獲物のとどめを撃つだけか」

「そういうことになる」

「なるほど」


 ミハイルは安堵する。

 公爵家で暮らしていた時に、狩猟の話を聞いたことがあったのだ。

 貴族の紳士は、狩りを嗜みとする。

 馬に乗って森に出かけ、野鳥やキツネを追い駆けるのだが――。


「その中で、クマに遭って死んだ人とかもいたからさ」

「クマは、さすがの私も対峙はしたくない」

「果敢に戦っているのだと思ってた」


 ミハイルの勘違いにオリガは目を細め、口元を緩める。

 それから、両手を軽く上げて、首を横に振った。

 どうやら、クマも罠で仕留めているらしい。


「しかし、都の貴族達も狩猟をするのだな」

「ま、そうなんだが――」


 貴族達の狩猟は、獲物を仕留めた数を競う。

 一人につき、十も二十も狩る。当然、大人数で参加したら、屍の山が築かれる。

 処理しきれずに、埋めて帰ることもあると聞いた時、ミハイルは嫌悪感しか抱かなかった。

 最近では、狩猟ブームもあって楽しむ者達も増えた結果、都近くの森にキツネを見かけなくなった。ここ最近、キツネ猟禁止令なんかも出ていると聞いた。


「ここの村の狩猟とはぜんぜん違う、クソの付くような趣味の悪い行為で」

「……」


 一方、オリガが狩猟をするのは、生きるため。

 極力、肉も無駄にしないようにしている。無駄な命など一つもないのだ。

 そして、自然の恵みを永久にあるものとせず、周囲と協力しあって、守ろうともしていた。

 都の考えなしの貴族達とは、まったく違う考えを持っている。

 針葉樹林タイガの森に、敬意を払って生きていた。


「あんたは、すごいよ。本当、尊敬する」


 ミハイルはぽつりと、呟く。


 会話が途切れた。ヒュウヒュウと吹く風の音だけが聞こえる。

 その沈黙を破ったのは、オリガだった。


「ミハイル・イヴァーノヴィチ」

「な、なんだよ」


 アイスブルーの凍えるような瞳と視線がぶつかる。

 オリガにじっと見つめられて、美貌の迫力に耐えきれずにミハイルはたじろぐ。

 二、三歩、後退した。

 しかし、発せられた言葉は、冷たい目付きから想像できないものであった。


「私は嬉しい」

「は?」

「日々の仕事を、理解してもらえたことだ」

「あ、ああ」


 オリガは武器庫に向かい、数本のナイフを持ち出す。

 柄を握り、くるりと一回転させたのちに、ベルトに差し込んだ。


「お前のために、とっておきの獲物を獲ってこよう」

「お、おう」


 宣言したあと、踵を返し大股でズンズンと森へ向かうオリガ。

 そのうしろ姿を眺めていたミハイルは、途中でハッとなり、慌てて叫んだ。


「おい、無理すんなよ。獲物よりも、あんたの命が一番大事だからな!」


 オリガは振り返らず、片手を挙げて応える。

 家を取り囲む柵を抜けると、ソリに乗って森の中へと消えていった。


 ◇◇◇


 針葉樹林タイガの森に降る雪は、やわらかく降り積もることはない。

 地面に叩きつけられた瞬間に、凍ってしまうのだ。

 風は凶器のように鋭く、太陽はあっという間に沈んでしまう。

 優しい環境ではない。

 けれど人々は森を――この厳しい土地を愛している。

 寒さは、人々を脅かすばかりではないのだ。

 水は澄み、空気は清浄で、見渡す限りの景色は何物にも耐えがたいほど美しい。

 決して、ここでの暮らしを悲観しているわけではないのだ。


 しかし、外から来た者には、なかなか理解されにくいことでもある。


 外から来た商人はあまりの寒さに、「人が住む場所ではない」と蔑む。

 数年前には、国に反旗を翻した貴族達の流刑地にも選ばれた。これも、厳しい土地だからという理由で。

 失礼な話だった。


 一方で、都からやってきた貴族の少年、ミハイルは森の暮らしに戸惑いを覚えているように見えたが、蔑むことはない。

 それどころか、敬意を示してくれた。嬉しいことである。

 オリガに求婚していた遊牧民の青年は、針葉樹林タイガの森の冬を、「最低最悪」だと評していた。この地を出て、一緒にさまざまな土地を回ろうとも。

 冗談ではない。

 森の恵みを得て育った身なのだ。離れて暮らすことなど、欠片も考えていない。


 遊牧民の青年には、今度、同じことを言ったならば、絶対に許さないと宣言していた。

 次に来た時はどうしようかと思っていたが、今はミハイルがいる。

 彼の存在が、とても頼もしい。


 そろそろ、野生動物の通り道となる。考え事をしている暇はない。

 ぶんぶんと首を横に振り、気分を入れ替えた。


 樹氷の並木が並ぶ道を、オリガは犬ゾリで駆け抜ける。

 向かう先は、罠を仕掛けてある獣道だ。


 村人には、各々の縄張りがある。

 きっちりとわけている訳ではないが、だいたい、森の全体図を理解していて、互いに干渉しないようにしているのだ。


 なので、罠を仕掛けていても、問題ない。

 村人が誤って引っかかることなどありえなかった。


 途中、ソリ犬を待機させ、罠を仕掛けた場所へ向かう。

 そこは足場の悪いゆるやかな斜面。オリガは滑らないよう、木の幹に掴まりながら上っていく。


 遠目で、シカを発見した。

 小振りだが、美しい毛並みの雌である。

 シカは今の時季、脂が乗っていて美味しい。雌ならば、身もやわらかいだろう。

 少し距離が開いているが、ライフル銃なので問題ないと構える。


 ライフルの遊底を前に押し込み、薬室へと送り込む。

 ガチャンと、乾いた音が鳴る。

 距離があるので、罠にかかったシカは気付いた様子はない。

 一度、照準器を覗き込んで射程の確認をした――が。


 上空より、大きな何か・・が落ちてくる。


「シャア!!」


 金の双眸に、斑点模様のある白い毛皮――ユキヒョウだ。

 鋭い鳴き声を発し、木から跳びかかってくる。


 今まで木の上で気配を殺していたのだろう。

 オリガは咄嗟に、ライフル銃を手放す。

 まだ射撃操作は完璧ではなく、撃てる状態になかったのだ。


 ユキヒョウは鋭い爪を前に突き出し、落下の勢いのまま襲いかかる。

 オリガはベルトから提げていた小さな銃に手をかけた。

 抜くのと同時に人差し指を引き金に手をかけ、撃鉄を素早く親指で引き起こし、ユキヒョウ目がけて弾を発射。


 ズドン! と、銃撃が静かな森の中に響き渡る。


 オリガとユキヒョウ、倒れたのは――白く美しい毛皮を持つほうであった。

 すぐ目の前でドサリと音をたて、力尽きて倒れる。


 オリガは早鐘を打つ心臓を押さえ、荒くなっていた息を整える。


 まさか、ユキヒョウが頭上に潜んでいたとは。

 視線はシカにばかり集中し、樹氷に紛れるように潜んでいたユキヒョウの存在に、まったく気付かなかった。

 家族が増えたので、確実にシカを仕留めようと、その点ばかり気にしていて、意識が散漫になっていたのだ。


 銃弾はユキヒョウの眉間を貫通していた。

 現在の毛皮の利用価値は、最高の状態にある。

 体に銃痕があったら、買い取り価格も下がってしまうのだ。

 銃の早撃ちだって、父親の言いつけを守って練習していた甲斐があった。

 けれど、油断が原因で襲われた件に関しては、最大の汚点だろう。

 はあと、盛大な溜息を吐く。

 とりあえず、シカはきっちりとライフルで仕留めた。


 本日仕留めた獲物は、雌のシカと雄のユキヒョウ。

 ここ一ヶ月の中で一番の成果であったが、喜べるものではないと思うオリガであった。


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