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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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はじめての朝

 ――朝。鶏の鳴き声でミハイルはぼんやりと覚醒する。

 久々に夜間一度も目を覚まさずにぐっすり眠ることができた。母親が貯金を持って駆け落ちし、職を失ってから眠りが浅くなっていたのだ。公爵家でも気分は落ち着かずに、不眠の日々は続いていた。

 外はまだ薄暗い。もう少し眠りたいような気もする。

 抱きしめて眠っていた枕はふかふかしていて、いい匂いがして、使い心地は抜群。

 特に、顔を埋めていた辺りは極上のやわらかさ。手でも触れて堪能していたが――もぞりと枕が動き、意識が一気に鮮明となっていく。


「うっわ!!」


 ミハイルはガバリと起き上がる。

 同じ寝台に、金髪美女が眠っていたのでぎょっとした。

 先ほどまで何をふにふにしていたかに気付き、背中からひっくり返るようにして、寝台から落下する。


「ぎゃっ!!」

「……ん?」


 ここで、オリガは起きたようだった。

 ゆっくりと起き上がり、口元を手で覆って欠伸をする。

 ちらりと、床に転がるミハイルを見て、首を傾げた。


「何を、している」

「いや、俺、違っ……!」

「まだ、眠っていてもいい。牛が起こしてくれる」

「は? う、牛?」


 オリガから伸ばされた手が、ミハイルの腕をぐっと引いて寝台の中へと引き入れられそうになる。


「いや、いいってば」

「いいからまだ寝ておけ。冬の日照時間は短い。その分、忙しくなるから、暗い間は、寝ておくほうがいい」

「え、いや、うわっと!!」


 ミハイルの抵抗も空しく、渾身の力で引き寄せられ、寝台に転がり込む。


 ジタバタとしたが、ぎゅっと抱きしめられて、身動きが取れなくなってしまった。


「あんた、胸、当たって……!」

「寝ろ、まだ朝ではない。眠れ」


 小さな子どもを寝かしつけるように、オリガはミハイルの背中をポンポンと叩く。


 ここで、気付いた。


「俺、もしかして、子ども扱いされてる!?」


 オリガ・アンドレーエヴナ・グラトコヴァ、二十五歳。

 ミハイル・イヴァーノヴィチ・リューリク、十七歳。

 夫婦の年の差は八つもある。

 オリガはミハイルに対し、母親のような姉のような家族愛溢れる態度で接しているのだ。


「信じらんねえ、この女! クソ、こいつ、男をわかっていないな! こういうことをしたら、どうなるか、知らないの――むごっ!!」


 オリガより口元を手で覆われ、さらに接近すると耳元で一言、囁かれる。


「……いいから、寝ろ」

「~~~~!!!!」


 今こそ、男の腕力を、実力を見せてやろうと、腰に回された腕を振り解こうとした。

 が――ビクともしなかった。


 オリガはミハイルの黒髪を梳くように撫で、寝せようとしている。


「そ、そんな作戦で、この俺が、眠ると思うなよ! いいか、よく聞け。男というのは――」


 結局、ミハイルはこのあと寝落ちした。


 ◇◇◇


 ――ブンモオオオオオオオオオオ~~ン!!


「ハッ!?」


 謎の獣の大きな鳴き声で、ミハイルは目を覚ます。

 横で眠っていたオリガも、もぞりと動いた。


 外はうっすらと明るくなっていた。今度こそ、間違いなく朝だ。

 先ほどの鳴き声はとか、昨日、寝台に引き入れた記憶はあるのかとか、いろいろ気になることはあったが、のんびり質問をしている暇などない。

 オリガの拘束が緩んだ隙に、ミハイルは飛び起きて自分の部屋に戻る。

 暖炉のない部屋は寒かったが、いつまでも一緒にいるわけにはいかない。

 朝はいろいろあるのだ。


 フェルト生地の服に着替え、ズボンの上から毛皮の股衣を穿く。寒いので、内側に毛皮が縫い付けてあるベストを着込んだ。


 一階に下りていくと、すでにきっちりと支度が整ったオリガの姿があった。

 タオルと歯ブラシ、顔剃り用のナイフを手渡される。洗面所を案内してもらい、顔と歯を磨いた、髭は特に生えていなかったものの、そのまま使わずに返すのもなんだと思い、顎の産毛を剃った。


 台所兼食堂に行くと、オリガがかまどの前に立ち、何やら作っていた。

 調理用の壺の中にあったのは、蕎麦の実。


「カーシャか?」

「ああ」


 カーシャは蕎麦の実を牛乳で煮込んだ粥。

 ミハイルはオリガの料理に、疑いの視線を向けていた。


「ちゃんと作れるのか?」

「カーシャは美味しいと、生前の父は言っていた」

「ふうん。だったら、腕前を見せてもらおうじゃないか」

「わかった」


 オリガはミハイルの挑戦を受けて立つ。

 炒った蕎麦の実に牛乳と塩、蜂蜜を入れる。

 水分がなくなるまで煮込んだら、バターを落とし、溶けきったらカーシャの完成だ。

 深い皿にカーシャを装い、ミハイルのもとに持って行く。

 お茶は夏に摘んだベリーの葉で作ったもの。これも、オリガ特製だ。


 森の精霊に祈りを捧げてから戴くことにする。

 ミハイルは匙でカーシャを掬う。

 口を開き、食べようとしていたら、オリガより視線を感じた。

 顔を上げたら、目が合う。


「な、なんだよ」

「どうなのか、気になる」

「こっち見んな」

「いいから食え」


 オリガに見守られながら、落ち着かない気分でミハイルはカーシャを食べる。

 ほんのり甘く香り、まろやかな味わいで、食感はプチプチ、中はほっこり。


「どうだ?」


 はたして、どうだったのか。緊張の面持ちで、オリガはミハイルの顔を覗き込む。


「いや、美味い。あんた、本当に、カーシャは得意なんだな」

「そうか、よかった」


 安堵と、褒めてもらった嬉しさから笑みを浮かべ、オリガもカーシャを食べ始める。


「……少し、芯が残っている」

「別にいいだろ、それくらい。重要なのは味だから」

「ミハイルは優しいんだな」

「だから、普通に美味いんだってば!」


 そんな言い合いをしながら、二人は朝食を食べ終えた。


 ◇◇◇


 その後、飼育している動物に餌を与える。

 犬、牛、トナカイ、羊、鶏――以上がオリガの飼っているものである。

 朝、低い声で鳴いていたのは牛だった。毎朝、起こしてくれるのだという。

 自慢の黒トナカイは美しかった。

 角まで黒く、この辺りにしか生息していない、珍しい色合いだとオリガは話す。

 紹介が終わったら、餌を与える。

 犬にはイノシシ肉と野菜の皮を茹でて混ぜたもの。黒い犬達は大興奮で、がっついていた。

 鶏は穀物、羊と牛は穀物と牧草、トナカイは牧草と地衣類を与える。


 鶏が餌に気を取られているうちに、掃除と卵の回収を行った。

 牛からは、乳をもらう。

 朝から大忙しであった。


 犬や家畜の世話が済んだら、オリガは狩りに出かけると言った。


「俺は、どうしようかな」


 まず、酵母を作って、部屋の掃除をして、パンを作ってなどと挙げていると、病み上がりなのだから、無理をするなとオリガに言われた。


「ぼんやりできる性分じゃないんだよ」

「損な気質だ」

「何もしないほうが損だろ」


 その発言を聞いたオリガは、肩をすくめる。


「ま、気を付けろよ」


 そう言って、ミハイルは肩を叩いた。

 オリガはポカンとした顔で、ミハイルを見下ろす。


「なんだよ、目を丸くして」

「いや、気を付けろだなんて、何年も言われた覚えがなくて……」


 父親が亡くなって十年。女手独りでオリガは生きてきた。

 頑なに、がむしゃらに生きる彼女に、無理するな、たまには気を抜けと声をかけられる者は、誰一人としていなかった。


「本当に、誰もいなかったのか?」

「ああ。私は、きっと誰の手も借りなくても生きていけると、意地になっていたのかもしれない」


 その言葉に、ミハイルは呆れた視線を向けていた。


「あんたさ、いろいろこじらせているな」

「そうだな。今まで、どうしてか気付かなかったが」


 オリガは眉尻を下げ、困ったように微笑む。


「これからは、半分だけ頑張ることにしろよ。今までやっていたほうは、俺が頑張るから」


 再度、オリガは目を丸くする。

 どうしたのかと訊くと、ミハイルの分まで、頑張ろうと思っていたのだと呟く。


「そりゃ、まあ、食費は二倍になるけれど……」


 パンで商売はできない。

 かといって、銃を握ったこともなく、狩猟などできるわけもない。


「でも、家事はまあまあできるし、料理もできる。薪割りとか、洗濯に買い物も」


 可能な限り、家のことはする。その分、オリガは狩猟に集中できる。

 役割分担をして、力を合わせて暮らそうと、ミハイルは手を差し出した。


「ありがとう」


 そう言って、オリガはミハイルの手を握った。

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