□ 第7話
人の活気というものは、天気にも影響を及ぼすのだろうか。
つむぐは部屋の窓から曇天の空を眺めながら、ふと思っていた。
どういうわけか、物事は改善するよりも、悪くなる方が比較的早いらしく。それは時間が経つにつれて、まるで病魔のように何かを蝕んでいくというのだからたちが悪い。特効薬があるのなら問題ないが、それを作るまでに更に時間がかかるのだから、これはもう致命的と言っても過言ではない。そして物事は、突然悪化する場合もあるのだ。
薄暗い夕暮れ、桜は玄関先の呼鈴を鳴らすと、どこか陰った表情を浮かべながらその扉が開くのを待っていた。
つむぐは突然の訪問者に、足早に玄関先へと向かうと、扉を開けた。
「桜ちゃん、どうしたの」
「すみません、失礼かとは思いましたが、火急だったもので」
「別にそんなことはいいけど、何かあったのか」
つむぐは火急と冷静に話す桜に困惑した顔をするが、すぐに桜を居間へと通すと、手早くコーヒーを淹れて桜に手渡した。
「ありがとうございます」
桜は手渡されたコーヒーを一口飲むと、静かにカップを机に置いた。
「いや、気にするな。それよりも……」
「はい、お話があります」
桜はそう言うと、徐に喋り出した。
「今回の件に関して、私の方でも調べてみた結果なんですが。もしかしたらとんでもない事態になる可能性が出てきました」
「とんでもないこと」
「そうです。まさかとは考えたんですけど、あのドクという時計塔の職人は、この土地の門を開こうとしているかもしれないんです」
「この土地の門って、それって鍵祭りの由来みたいな」
つむぐは太一に聞かされた鍵祭りの話を思い出しながら喋った。
「間違ってはいません。そもそもこの土地、澄ヶ沼という場所自体が少々特殊な環境にあるんです。私達の住むこの星には霊脈と呼ばれる、簡単に言ってしまうと、星の持つ膨大なエネルギーのようなものが地の底で、脈打つように流れているんです」
「人間でいうと、体のなかの血管を通して血が流れているようなものか」
つむぐは桜の言葉に確かめる様子で、改めて確認した。
「はい。そしてここは、その霊脈が重なり合っている場所なんです。霊脈はそれ自体が強い力にもなるので、それが複数重なり合った状態となると」
「力が強い分、そこが不安定な状態になってしまうってことか」
つむぐは桜に言葉に続けるように話す。
「そうですね。まあ、そんなところです」
「でも、そんな危険な土地にしては、今まで特に危険だって感じることはなかったけどな」
「それは私達、土地を管理しているからです。集中する力が土地や人に悪影響を与えないようにしたり、力が暴走しないようにしたり調整をしてましたから」
「ああ、そうなのか」
つむぐはだいたいを理解すると、桜に頷いて見せた。
「今問題なのは、ドクという男が、その力を利用しようとしているということです」
「具体的には、いったいあいつは何をしようとしているんだ。さっき門を開くって言ってたけど、どういうことなんだ」
つむぐの言葉に桜は改めて姿勢を正した。
「先程もお話したように、この土地には霊脈が集中しています。そういった場所を坩堝と言うんですが、そこでは力が集中してしまう為、土地の磁場が乱れてしまう場合があるんです」
「磁場が乱れると、何か問題でもあるのか」
「全ての坩堝がそうとは言えませんが、あまりに乱れがひどいと空間そのものに干渉してしまうことがあるんです」
「空間、空間か」
つむぐは話の内容に考えが追い付かず、桜の空間に干渉するという言葉に首を傾げた。
「こやつが言っている空間とは、つむぐ達が住んでいる世界のことだ。前にも話したと思うが、この世界には丸々一つの世界が存在しているわけではない。向こう側の世界もそうだが、人間の見ている世界とは別に、薄皮一枚隔てたその壁の先に、別の世界も同時に存在している」
いつから居たのか、窓際で黙って話を聞いていたコルトが、補足をするように言葉を挟んだ。
「つまり、玉葱みたいなもんか。ほら、一枚一枚別の皮が重なってるだろ、つまりその皮の部分が別の空間の世界で、それが重なり合って一つの形を作ってるみたいな」
つむぐはなんとか話の内容を理解すると、たどたどしく言葉にした。
「そうですね、さすが先輩です。それでも問題はありません」
桜はそれに笑顔で答えるが、その横でコルトは不安気な顔をする。
「それでですね。本来ならその世界と世界には繋がりないので、行き来をすることはおろか、その存在を視認することはできません。ですが、稀に様々な状況や偶然によって、世界と世界が繋がってしまうことが起きる場合があるんです」
つむぐはそれに「そうなのか」と答えると、また首を傾ける。
「ええっとですね。よく砂漠や海であるはずのない島や町が見えたりとか、目の前で人が突然姿を消したりとか、そういった現象ってありますよね。ほら神隠しとか、起こったことの全てがそうとは断定できませんが、そのなかの一部は空間が歪んだ結果、世界に亀裂が入ってしまったことにより起きた現象なんです」
「つまり、怪奇現象って呼ばれるものの一部は空間が歪んでしまった結果に、あるはずのない物が見えたり、人が消えたりしてしまったってことでいいのか」
「はい、そうです。ですが、それはあくまで一瞬のことで、例え一時的に世界に亀裂が入ってしまったとしても、すぐにそれは閉じてしまいます」
つむぐは桜に「じゃあ、問題ないわけだ」と言うと、顎に手を当てた。
「ちなみに、その亀裂って意図的に開けることは可能なのか」
桜はつむぐの言葉に、間を置いて答えた。
「結論を言えば、可能です。ですがそれができないよう、幾層もの結界によって封印されています。並みの者には結界を解くことはできませんし、他にも私達の管理者の目があるのでそう簡単にはいきません」
「でも、今回は違ったってことか」
つむぐの言葉に桜は表情を曇らせる。
「はい、先輩の仰る通りです。あのドクという男は、どういうわけか、この町全体にはられているはずの結界を……」
「まさか、その結界っていうのが、ない状態なのか」
つむぐは思わず腰かけた椅子から立ち上がると、不安気な顔をする。
「いえ、まだ全てが消えたわけではありません。町全体に張られた術式を解除するには、全部で十二か所にある支柱を破壊する必要がありますから」
「でもその支柱ってやつが、全部破壊されるとまずいわけだろ」
「ええ、まあそういうことになります」
つむぐは溜息を深くつくと、椅子に崩れたように座りなおした。
「ちなみに、その支柱って、後どのくらい残っている状態なんだ」
「残りの支柱は、二本です」
つむぐの言葉に若干の間を置いて、桜は俯かせて答えた。
つむぐは唖然とした顔をすると、慌てた様子で桜に詰め寄った。
「二本って、それって大丈夫なのか」
「こちら側の落ち度でした。まさかあのドクという男が、支柱の場所を把握しているとは思いもよりませんでした。普通なら感知はできないはずなんですが、それに……」
桜は顎に手を当てると、俯いた。
「そんなことよりも、後の二本っていうのは大丈夫なのか」
「少なくとも、残りの二本の内、一本は鉄壁ともいえる程の守りのなかにあるので、そう易々とは支柱を破壊されることはありません。もう一方についても、厳重な警戒をしているので何かあればすぐに連絡がくるはずです」
「場所は、どこにあるんだ」
「すみません、先輩。支柱の場所については教えることはできないんです。先輩達のお気持ちもわかりますが、ここは私達のことを信用して頂きたいんです」
桜のその言葉に、窓際に立つコルトは睨みつけるように目を細めた。
「つまり、余計なことはせずに、静かにじっとしていろということか」
桜はコルトの視線に一瞬目を逸らせたが、すぐにコルトへと視線を返す。
「そうです」
コルトはその返事を聞くと、何か言い返そうとしているつむぐを制止した。
「そうか、わかった。好きにしろ」
まるで関係がないかのように冷たく話すと、コルトは視線を外した。
桜は、つむぐにお辞儀をすると、そのまま何も言わずにつむぐの家を後にした。
まるで途中から、置いてけぼりにされたような気分になったつむぐは、桜が家を出た後にすぐにコルトに食って掛かった。
「協力することもできたんじゃないのか」
「奴にも土地の管理者としての誇りもある。助力をすると言っても、はいそうですかと、そう簡単には受け入れることはできんだろうに」
「だからって、何もしないわけにはいかないだろ」
つむぐは声を少し荒げると、コルトはそれを愉快そうに見つめ返した。
「おまえは、本当に鈍いな」
「笑っている場合かよ」
「いや、好きにしろと言った以上、こちらも好きにすればいいんだよ」
「いや、それっていいのか」
つむぐはどこか納得のいかない顔をする。
「いいんだよ。でなければ、奴がここへ来た理由がなくなってしまうぞ」
つむぐはコルトのその言葉に、少し間を開けると、納得したかのように頷いた。
「ああ、そういうことか」
コルトはそんなつむぐの姿を見ながら可笑しげに笑うと、その視線を窓の外に移した。
「さあ、あまり時間はないぞ」
「ああ、やるか」
つむぐはコルトの言葉に力強く答えた。
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