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□ 第4話

 事件が起きてから数日、このことは町の住民を恐怖に陥れるだけではなく、まるで浸食するかのように町から活気を奪っていた。犯人の犯行はその数を増やしていき、殺人事件は狂気の連続殺人事件へと変貌をとげていた。被害者は無差別、その犯行は残虐としか言いようがなく。何より、警察の捜査に進展がないことが住民の不安を掻き立てていた。

 つむぐは魔法使いの訓練を続けながら、事件の捜査を独自に行っていた。

「犯人が影として、いったいどんな奴だと思う」

 つむぐが部屋の椅子に腰かけながら、ベッドに座るコルトに話しかけた。

「さあな、まだ何とも言えないが、見つかる死体はどれも一部分だけでその惨状たるや辺り一面が血の一色ということしかわかっていない。しかし憶測で言うなら、襲われた人間は、どれも喰われている」

「じゃあ、鬼とか。そういった類の奴ってことか」

「鬼以外にも人間を餌している奴らは大勢いるさ。ただ、私が最初につむぐと訪れたあの場所で気が付いたが、草木と血の匂いに混じって闇の匂いがしていた」

 コルトは顎に手を当てて、組んだ膝で頬杖をつくと何か考えこんでいる。

「前にも言ってたけど、それってどんな匂いなんだ。僕はまったく気が付かなかったぞ」

「気配のようなものだ、いずれ君にもわかる。ただ、君はあの時は混乱していたからな」

 つむぐは恥ずかしそうに視線を外した。

「また現場に行って調べてみるのもありか。手がかりがないと、この先に進みようがない」

「まあ、あれから引き返そうにも邪魔をされたからな。だから犬は嫌いなんだ。気配をいくら消してたしても、あいつらは鼻をひくつかせてやってくる」

 コルトは不快な顔をすると、思い出したのか目を細めて怒りを見せる。

「警察犬だよ。仕方がないだろ、そういうふうに訓練をされているんだから。犬にしてみればそこにいるはずのものが見えずに動き回っているんだから、そりゃ吠えもするさ」

「まあ、いい。とにかくだ、最初の現場に行くのなら支度をしろ」

「ああ、了解だ」

 つむぐはそう言って頷くと、椅子から立ち上がった。

 そして支度をしようかと思った矢先に、家のなかに訪問者を知らせるためのチャイムの音が鳴ると、そのまま外から聞きなれた声で「おい、いるか」と呼びかけられた。

「こんな時に……。悪いコルト、ひとまず隠れてくれ」

 つむぐは少し焦りながらコルトにそう言うと、玄関がへと向かう。

「君は、いきなり隠れろって。あっ、おい」

 その後ろでコルトがつむぐに何か叫ぶが、それは次第に遠のいていく。

 つむぐは玄関口の前まで来ると、ずいぶんと久しぶりに友人と会うような感覚で、その扉をゆっくりと開けた。

「よお、つむぐ!」

 太一は片手を上げてつむぐに挨拶をすると、笑って見せた。相変わらずにひょろりとした体形で、長髪を後ろで束ねた気の抜けるような雰囲気につむぐはどこか安心すると、挨拶を返した。

「久しぶり」

「久しぶりって程に日は経ってないだろ。まあここんとこ物騒な話ばかりだからな」

「ああ、まあな。夏休みに入ってからは色々あったよ」

「まあ、その色々と物騒な話が多いから、少し気になって様子を見に来たわけだ」

 太一は他の町の住人とは違って平和そうな顔を浮かべながら、のほほんとしている。

「おまえは平和そうだな。まあ立ち話もなんだし入れよ」

「おう!」

 つむぐは太一を家のなかへと招くと、リビングへと通した。適当に腰かけるように言うと、太一はそれを断り「先に久しぶりだし、線香をあげさせてくれ」とつむぐに了承を得ると仏間へと向かった。

 やがて仏間の方から鈴を叩くと音と線香の香りがかすかにすると、太一はリビングへと戻ってきた。

「じいさんが心配してたぞ。最近物騒だが、つむぐは大丈夫かって」

「そうか、悪いな。一度ちゃんと顔を出しに行くよ、英明さんにはじっちゃんが死んでからは、色々と世話になってるからな」

「じゃあ、じいさんにはそう伝えておくよ。ああ、あとで妹も来るとか言ってたぞ」

 太一はそれを面白そうに言うと、にやにやと笑みを浮かべる。

「いやいや、物騒な話が出回ってからというものの、桜の奴おまえの心配ばかりしてさ」

 つむぐはその言葉に曖昧な顔をすると、溜息をついた。

「おまえは、実の妹だろ。ちょっとは心配しろよ」

「つむぐなら心配する必要がないからな。俺は面白おかしく見守らせてもらうよ」

 太一はそう言って楽しげに笑みを浮かべると「来る頃には帰るから」と実の兄らしからぬ言葉を言うと笑い始めた。

「桜の心労が目に浮かぶよ」

 つむぐはそう呟くと、横目で太一を呆れ気味に見つめた。

「まあ、この話はここまでとして。どっかに遊びに行かないか」

「おまえは、この物騒な状況のなかでよくそんなことが言えるな。それに桜ちゃんが後で寄るんだろ。外出するわけにはいかないよ」

 つむぐは更に呆れると、疲れた様子で太一と話す。

「桜が来る頃には戻ってくればいいだろ。それにこんな状況だからこそだよ。みんな外に出ようとしないし、今だからこそ映画とか行ってみな。夏休みだっていうのに冷房が効いたなか新作の上映作品も混まずに見られるぞ」

「命の危険があるなかに、わざわざ映画を見に行こうなんて酔狂な奴はいない」

「わかったよ、じゃあ釣りに付き合え。近場なんだからこれならいいだろ」

 太一は暇でしょうがないといった顔をしながら、両手を顔の前で合わせてつむぐに頼みこんだ。

 つむぐはそんな太一の姿に深く溜息をついて「わかったよ」と心を折ると、一度家に帰って支度をして来いと、太一を一旦家へと帰らせた。

 つむぐは部屋へと戻ると、コルトはベッドの上で寝転んで本を読みながら入ってきたつむぐへと声を掛けた。

「隠れる必要もなかったな」

 つむぐは先程のように椅子に腰かけると、ベッドに寝転んだコルトを見る。

「ああ、悪い。てっきり太一の奴が部屋にも上がるんじゃないかと思ってさ」

「そんなに私と暮らしていることが、他の奴に知られるとまずいものなのか。いちいち君に客が来るたびに慌てるのは、正直面倒臭いんだが」

「知られた後の方が、面倒臭いに決まってるだろうが。どう言い訳をするつもりだよ」

「道を歩いていたところに声をかけられ、かどわかされた、とでも言うか」

 コルトは冗談を言うと、くすりと笑った。

「おまえは僕を犯罪者にしたいのか。まあ、何か考えないといけないな」

 つむぐは顎に手を当てると、首を捻る。

「それはそうと、いったいはあいつ、太一と言ったか。いったい何の用事だったんだ」

「んっ、ああ。最近物騒だから様子を見に来てくれたんだよ。それと釣りに行こうってお誘いだ」

「うんっ? それは良い奴になるのか、それとも馬鹿なのか」

「どちらかと言えば、その中間辺りでうろうろしてる」

「それで、その誘いとやらには、何と答えたんだ」

 つむぐのその問いに気まずい顔をすると「その、行くって」と、小さな声で答えた。

 その答えに、コルトは横目でつむぐを睨んだ。

「そう睨むなよ。今のこの状況に時間の余裕がないのはわかってるけど、あいつ一人を放っておくとどこへ行くかわからないし。一度付き合えば、しばらくは大人しくなるから」

 つむぐは申し訳なく思いながらも、太一を放っておけば必ず面倒なことになると長年の付き合いから理解していた。

「わかった。しかしだ、時間に余裕はないぞ」

「ああ、もちろんだ。そこはちゃんと理解してるよ」

 つむぐはそう言ってから、深く溜息をついた。


 釣りは心に余裕があるの時にするものだと、つむぐは釣り糸を垂らしながら、水面に揺れる浮きを眺めていた。例え魚がかかったところで、今の自分の集中力ではどうしたところでそれすら気が付かないはずだ。

「ちょっとは楽しそうにしたらどうだ」

 つむぐの心境を察したのか、太一はつむぐに声を掛けた。

「おまえは楽しそうだな。どうだ、釣れそうなのか?」

「ああ、楽しいけど。当たりはないな」

 太一はそういったことはあまり気にしない様子で、呑気な顔をしながら釣り糸の先をじっと見つめている。

「ああ、みたいだな」

 つむぐは疲れた様子で答えると、ゆらゆらと揺れる水面に吸い込まれそうな感覚に頭を振った。

 そして気分上々な太一を横目に、つむぐは辺りを見回した。それでも特段に変わったところはない、呑気で平和な風景だなとつむぐはそう思った。日常の視点が少しでも変わってしまえば、見えるものががらりと姿を変える。いつもの人が、どこかの誰かが化物にでさえなってしまうのだ。

「釣れないんだったら、さっさと切り上げないか?」

 つむぐは落ち着かない様子で、声が自然と苛立っていた。

「釣りは待つのも楽しみの一つだよ。少しは気楽になれよ、よく短気の方が釣りに向いているっていうけど、何かあったのか」

 太一は、そこでつむぐの方へと顔を向けた。

「そんなもん。わざわざ聞く必要があるのか」

「まあ、確かに最近の町の様子なら、そうもなるよな」

 太一はまるで、それがどこか遠くの他人事のように話した。つむぐは太一のそんな態度に不快を感じるが、それを声にしようとしたところを我慢した。

「物騒ななかに、呑気に釣りなんかをしてる俺らが言える台詞じゃないよ」

 太一はその言葉に、顔に苦笑いを浮かべる。

「そりゃ、そうだな。でもさ、だからこその日常と平常心が大事なってくるんだよ。物騒だからって家のなかに閉じこもってないで、外に出て現実を見るべきだ。冷静に落ち着いて物事を見て考えて、それでもって本当にやばいのなら、そこからどうするかを考えるべきじゃないか」

 太一は笑っていた。悪く言えば能天気、良く言えば達観しているようにも見えることに、つむぐは少し自分でも不思議な程に驚いていた。

「いつも楽しいことを一歩通行のように、優先するくせに」

「たまにはな。だからこうして釣り糸を垂らしてんだよ」

 太一はそう言うと、再び視線を水面へと戻した。

 つむぐも太一と同様に視線を戻すと、そのまま黙って釣り糸の先を見つめた。


 つむぐがそれに気が付いたのは、太一と釣り糸垂らし始めてから、ずいぶんと時間が経った後のことだった。

 ただ漠然と釣り糸の先を見つめることに、疲れたつむぐは、一旦視線を釣り糸から外すと首を回しながら、辺りを見つめていた。

 すると、その視界の隅に見覚えのある、あるものが映ったのだ。

「あっ」

「ん、当たりがあったのか?」

 つむぐが思い出すように声を出すと、その声に太一が反応した。

 つむぐは咄嗟に、竿を上げると釣り糸を手にする。

「いや、気のせいだった」

「何だ……」

 太一はつむぐのその結果に興味を無くしたのか、視線を自身の竿に戻した。

『おい、コルト。聞こえるか?』

 つむぐは少し慌てた様子で、コルトに心のなかで話しかけた。

『んっ、何だ』

 姿を見せずにつむぐの鞄のなかに納まっているコルトは、すぐに返事を返した。

『いや、今になって思い出したことがあってさ』

『思い出したとは、何をだ』

『いやさ、前に少し話しただろ。僕がこの土手で見たもののこと』

 コルトはしばらく、考えているのか。遅れて返事をした。

『ああ、影のことか。それがどうかしたのか』

『いやさ、僕が前に見た子がいたテントが、そのまま向こう側にまだあるんだよ』

 つむぐは視線を向こう側の橋の下に向けると、以前につむぐが遭遇した女のテントがそのまま残っていた。

『会うつもりか?』

『ああ、もし話ができるのなら、何か情報を持っているかもしれないだろ』

 コルトはつむぐのその行動が安易に感じたためか、その言葉に少し間を置いて答えた。

『天敵でもある魔法使いに、そうそう簡単に心を許すとは思えんがな』

 つむぐはその言葉に苦笑いをすると、前に人殺しと言われて逃げだされたことを思い出していた。

『ああ、誠意をもって接すれば、まあなんとか……』

『誠意が伝わる前に、怯えさせるか、敵意をむき出しにされるかのどちらかだな』

 つむぐ困った様子で、溜息をつくと『そりゃ、そうなる可能性もあるけど』と呟いた。

 しかしそれでも、諦めはつかない。

 しばらくすると、つむぐは少し散歩してくるというと、少し強引にその場を離れていた。後ろで、不思議そうな顔をする太一が何かを言っているが、やがて諦めたのか再び釣りに意識を戻していた。

 つむぐといえば、眉間に皺を寄せながら歩くと、どうするかを考えていた。やがて向こう側へと続く橋へとたどり着くと、コルトがつむぐの横に静かに現れた。

「そんなに眉間に皺を寄せていても、逆効果になるだけだぞ」

 コルトはまだやる気なのかといった表情を浮かべながら、自身のおでこを指でさした。

「やらない失敗より、やった失敗の方が納得いくだろ」

 コルトに言われると、つむぐは眉間の皺を伸ばすように指で擦った。

「今回に関してなら、不利益が高い割には、見返りの少ない方法だな。なんだったら、捕まえてから拷問にかけるという選択もあるが。どうだ、やってみるか?」

 コルトは不敵にわざとらしく笑みを浮かべると、つむぐの顔を下から覗き込んだ。

「冗談」

 つむぐはそれに一笑すると、たじろぎながら顔を逸らせた。

「なるほど、ならその誠意というやつを見せてもらうとするか」

「ああ、そうするよ……」

 二人は橋の欄干のたもとへと降りると、隠れるようにして日陰に設置されたテントへと近づいた。

「誰もいないのか?」

 つむぐは何の気配もないテントを見つめながら、確かめるように呟いた。

「いや、いるぞ。テントのなかだ」

 その言葉にコルトは続けるように喋ると、テントを指さした。

「そうなのか」

「そこまで緊張する必要もないだろうに、どうせ見つかっても相手の力量はさほどに大したことはなさそうだぞ」

 コルトは何かしらの気配を感じているのか、落ち着いた様子でテントを見つめている。

 つむぐはテントの前まで来ると、立ち止まり、そのままゆっくりとテントの入り口に手を伸ばした。そしてその端を掴むと、勢いよく開け放った。

「へっ?」

 次の瞬間、つむぐの目に映りこんだものは、呆けたような顔をしながら声を出した。

「あっ、悪い」

 つむぐは瞬間的にそう思ったのか、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出すと、こちらも呆けた顔をしながら目の前にいる少女と目を合わせていた。それも当然のようなもので、目の前の少女はタオル一枚で体を隠し、どうしていいかわからないといった顔でつむぐを見つめ返しいる。

 やがて、その顔が何かを思い出しように一瞬目を見開くと、少女は怯えたように声を絞り出した。

「あの、ごめんなさい。私は、本当に何もしてないんです、だから……」

「いや、僕の方こそすまなかった。いや、本当に悪い、とにかくあれだあれ」

 慌てて何かを言おうとするつむぐだが、なかなか言葉が出ない。そんなつむぐをコルトは冷めた目で見ながら、溜息をついた。

「とにかく服を着ろ。それとつむぐは、さっさと外に出ろ」

「ああ、なるほど。そうだな、それがいい」

 つむぐは胸の前で手を鳴らすと、そそくさと外に逃げるように飛び出した。


「いや、本当にさっきは悪かった」

 服を着た少女を目の前に、つむぐは頭を下げた。

「ああ、いえ。私は特に気にはしていないので、お気になさらず」

「そういうわけにも、ほら怒鳴るとか、ひっぱたくとかなんかあるだろ」

「いえ、本当にいいですから。それに、魔法使いに手を出す勇気なんて私にはありませんから」

 つむぐは、その言葉に一瞬口を開けて何かを考えると、すぐに頭を横に振った。

「いや、いやいや。あれだから、僕は君のことをどうこうするとか、まったく考えてないから。ちょっとだけ聞きたいことがあるだけで」

 つむぐは必至に弁解しながら、あたふたとぎこちない動きを見せる。

「女の裸を見ただけで、少しばかり狼狽え過ぎだ。ちょっとは落ち着け、いちいち裸を見るたびにそんなことでは、殺されても仕方がないぞ」

「いや、まあ、それもそうだけど。僕だって健全な高校生なんだぞ、普通の高校生なら、女子の裸を見たら普通は落ち着いてなんかいられない」

 つむぐは何故かそこで落ち着きを取り戻すと、冷静にコルトに語りかける。

「ああ、君が変態なのはよくわったよ」

 コルトは呆れた顔をすると、冷たく言い放った。

 つむぐはコルトに返す言葉を喉元で飲み込むと、そのまま静かに項垂れた。

「あの?」

 そんな二人の言い合いに、離れて立っていた少女はタイミングを見計らって声を掛けた。

「ああ、悪い。とにかくさっきは悪かった、これで最後だ」

「いいですよ、本当に私は気にしていないんですから」

「まあ、魔法使いと出会い、まだ命があるのだからましな方だぞ」

 コルトは二人のやりとりに苛立たしく喋ると、少女を一瞥した。

 少女はコルトの視線に体を硬直させると、途端に涙目になる。

「あの、ごめんさない。殺さないでください、私は人とかを殺したりはしてないんです。ただ、旅が好きで色々な所を転々としているだけで、それだけなんです」

 少女はそのまま固く目を閉じると、そのままじっとしている。

「ああ、いや。本当にそうされると、なんだかこっちが悪者みたいでなんなんだけど。とにかく、僕は君を殺す気なんか毛頭にないから、安心してくれ」

 つむぐは困った顔をしながら、ぎこちない笑顔を作る。それでも言ってることは本心なので、他に言いようがない。

「本当ですか?」

「ああ、本当だ。約束する」

 つむぐは少女をこれ以上混乱させないように、気を使いながら優しく話し掛けた。

「そうですか、そっか! 何だ、その気はないんだ。安心したよ」

 つむぐの態度とその言葉で、何かしらの確証を得たのか。今まで涙目を浮かべて気弱そうに喋っていた少女は礼儀正しそうな態度を崩すとゆるい笑みを浮かべた。

 つむぐは一瞬、目の前の少女の行動に目を丸くして唖然とする。

「うわっ。露骨に態度が変わるもんだな」

 つむぐは特に失礼とも感じることもなく、心に思ったことをそのまま口に出した。その隣ではコルトが「アホ」と呟いている。

「あははっ、ごめんごめん。ほら君からしたら私って、ほぼ一方的にやられる側のものだし、ちょっとだけ猫被ってれば生かしてもらえるかな、なんて」

 少女はそう言って笑いながら、子供が悪戯をやってのけたような無垢な笑みを浮かべる。

「ああ、そうか。えっと、とりあえずは、余裕があるようでいいんじゃないか」

 つむぐはどう言葉を返していいのか、少し戸惑いながら言葉を返した。

「いや、最初はもう駄目かと思ったよ。だって、ほら君たちのような奴らに会うと、私達の場合はだいたいが厄介事になるか消されるかでしょ?」

「いや、僕は経験ないけど」

 つむぐはそのまま答えると、その脇をコルトがつついた。

「ああ、なるほどね。それはそれとして、ほらお互いに誤解的なものは解けたみたいだし、そこらへんから話し合ってみたいな、なんて」

 つむぐは引きつった顔で多少言動をおかしくしながら、なんとか言葉を絞り出した。

 すると、目の前の少女は不思議そうに小首を傾げた。

「君っておかしな子だね。私と話をするのはいいけど、特に話せることはそんなにない

よ」

「いや、それはいいよ。僕が聞きたいことは、そんなに多くないし。あっ、そうだ。自己紹介がまだだった。僕の名前は東雲つむぐ、こっちがコルトだ」

 コルトそれに無表情のままで視線を送り、つむぐは律儀にお辞儀をすると「よろしくお願いします」と、恥ずかしげもなく言葉を続けた。

「へっ、あ、いや。こちらこそ、よろしく」

 少女は一瞬目を丸くすると、珍しいものでも見るかのような顔のまま返事をした。

「ああ、そうだ名前言ってなかった。私の名前は(カンリカ)だよ」

 カンリカはそう言い終えると、ゆっくりと手を差し出した。その顔に若干だが、不安そうな表情が見え隠れしている。

「ああ、うん。とりあえず、よろしくなカンリカ」

 つむぐはそれを感じ取ったのか、自然と笑みを浮かべると優しくカンリカの手を取った。カンリカはしばらく黙ったまま、握手しているつむぐと自身の手を見つめると「よろしく」と、笑みを返した。


「つまりつむぐくんは、この町で起きてる殺人事件について情報が欲しいと?」

 つむぐはカンリカにテントのなかへと招かれると、お茶と茶菓子を前に、話を切り出していた。

「ああ、そうだ。何でもいいんだ、知っていることがあれば教えてくれ」

「ああ、そりゃ。私だって物騒なことは嫌いだし、特に人を殺して楽しむような快楽殺人者でもないけど。君がこうして私に声を掛けったってことは、この事件は私達側で説明がつくってことなんだよね」

 カンリカは顔を曇らせると、声が少しずつ小さくなっていく。

「だろうな。何度か事件のあった場所に足を向けたが、かすかに影の匂いが残っていた」

 コルトはカンリカの言葉に続けるように、言葉を挟んだ。

「そういうことだ。それに、あれは人の死に方じゃなかった……」

 つむぐは現場の状況を思い出し、苛立ちを見せる。

 カンリカもつむぐのその言葉を理解しているのか、視線を逸らせた。

「つむぐ、君の友人が向こう側でまだ呑気に釣り糸を垂らしているんだろ。だったら、さっさと切り上げないと奴がこちらに探しにくるぞ」

 つむぐはコルトの言葉に太一のことをすっかりと忘れかけていたのか「あっ」と声を上げると、面倒臭そうに溜息をついた。

「とにかくだ、カンリカ。何でもいいだ、何か知らないか」

 つむぐはカンリカに詰め寄ると、顔を近づけた。

 カンリカはそれに合わせて、体を後ろに反らすと、声を唸らせながら考える素振りを見せ始める。

「ええっと、そうだね。私の知る限りでは、少なくともこの町にはそんな大胆な行動を起こすような奴はいないよ」

「そうか……」

 つむぐの声が低くなる。

「カンリカとか言ったか。おまえはいったいいつからこの町にいるんだ?」

 コルトは少し落ち込んだ様子のつむぐを横目に喋りだした。

「えっと、そうだね。ここ最近になってこの町に来て、三か月ってところかな。それまでも色々なところを転々としてたけど」

「つまり、この町におまえが来た時点では、馬鹿正直に人間を襲うような奴はいなかったということか」

「少なくとも、私は知らない。それにそんな奴がいたら、面倒事に巻き込まれる前にすぐに次の町に行ってるよ。まあ、この前つむぐくんに見つかった時点でそうしようかとも考えたんだけどね」

 そう言って、カンリカはつむぐへと視線を移した。

「えっ、そうなの。じゃあなんで、まだここにいるんだ」

「まあ、なんとなくだよ。魔法使いは確かに嫌いだし、できれば見つかりたくないっていうのは変わらないけど」

 つむぐはそれに「ああ」と答えると、何とも言えないような困った顔をしている。

「じゃあ今回の事件を起こしている奴は、この町の外からやって来たっていうことになるのか?」

「まあ、これの話を信じるのならそうなるな。しかし、何かしらの目的にしろ、儀式的な何かにしろ、少々雑過ぎる。儀式にしてはあからさまに行動を起こしいるし、目的があるにしてもその行動にどんな意味があるのかがわからん」

 コルトはその言葉に「それとも、そんな知性などがそもそもないか」と付け足した。

「知性がないって、カンリカ達のような影っていうのは、みんな喋れるもんじゃないのか?」

「仲間同士の意思疎通や、こいつのように人間と話せる者もいるが、ただ本能だけで動き回る連中もいる。しかし奴らは、大抵騒ぎを起こすようなことはしない。本能とは言っても理性がきいていないわけではないからな。だが今事件を起こしいる奴は違う、わかりやすく痕跡を残し、騒ぎを起こし、その行動自体が異常だ」

「まあ、私達が人間を襲った場合って、ほとんどが痕跡を残さないようにするからね」

 カンリカはコルトの言葉に続くように話すと、そのまま顔を上に向けた。

 つむぐはその言葉の意味を理解すると、苦い顔をする。

「そりゃ、何ともな。詰まる所、頭のおかしい奴が好き勝手暴れて、本能の赴くままにやりたい放題やってるわけか」

「そうとも言えん。その真逆に力に自信があり、目的のために手段を選ばずに行動を起こしているということも、ないとは言えない」

 コルトはそう言うと、横目でつむぐを見つめる。

「じゃあ、結局のところはわからないってことか。なあカンリカ、他には何かないのか?」

 つむぐは残念そうに肩を落とすと、カンリカに再び声を掛けた。カンリカは顎に指を当てると、考える素振りを見せる。

「そうだね。そういえば、そいつが犯人かはわからないけど、外から来た奴ついての噂なら聞いたことがあるよ」

 カンリカは小耳にはさんだ程度で、つむぐ達の話を聞いてようやく思い出したという感じだ。

「本当か、聞かせてくれ」

 つむぐはその言葉に反応すると、身を乗り出した。

「ああ、うん。私が直接見たわけじゃないから、確かな話かどうかはわからないけど、噂話をしているのを聞いただけで」

「それでもいい」

 つむぐは真剣な顔をすると、カンリカを見つめる。カンリカは顔を少し赤くさせると、身を乗り出したつむぐを押し戻した。

「わかったよ。その男っていうのは、とにかく怪しい奴だったらしいよ。格好や姿は人間と同じで、でも雨も降ってないのに丈の長い黒いレインコートを羽織ってたって。それと黒いなんていうだっけカウボーイハット、それを被って、ひどく臭かったって話してた」

「黒いレインコートか。またずいぶんとあからさまに怪しい風貌だな。というか、おまえ達って雨を気にするものなのか?」

「私は好きだけど、なかには嫌いな奴もいるよ。人間と同じで、濡れるのが嫌だっていう連中もいるよ」

 つむぐは、そうかといった様子で納得すると、話を続けた。

「それで匂いって、どんな匂いだったとかは話してなかったのか」

「さあ、そこまでは話してなかったけど。でも悪臭なのは確かじゃないのかな。すごく嫌そうな顔をしながら話してたし、それと……」

 そこまで話して、カンリカは口を閉じて顔を俯かせた。

「それと?」

 つむぐはカンリカの様子に、不思議そうな顔をしながら話す。

「それと、あいつは、あの魔法使いはどこにいるって言ってたらしいよ……」

 俯かせた顔を上げると、少し申し訳なさそうな顔をしたカンリカは、つむぐに静かにそう告げた。


 カンリカに礼を言ってテントを後にすると、つむぐ達は釣りを続ける太一の元へと足を向けていた。

『面倒なことになってきたようだな』

 つむぐの鞄のなかに戻ったコルトは呟いた。

『でも、そいつが犯人かどうかはまだわからないし。探している魔法使いにしても、僕かどうかもわからないだろ。面識だけだったら、僕は魔法使いとしては日が浅い、そいつと会ったことなんてないだろ』

『またずいぶんと、能天気な考えだな。君が言ったこととは逆のことだってありえんるんだぞ』

 つむぐはその言葉に顔を曇らせると、そのまま黙って歩き続けた。

 しばらくすると釣り糸を垂らしながら、呑気に鼻歌を歌っている太一の姿が見える。向こうもつむぐに気が付いた様子で、軽く手を振る。

「よう、ようやく戻って来たか。どこに行ってたんだ、少し心配したぞ」

「心配してた割りには、釣り糸はしっかり垂らしてたんだな」

「そりゃ、そうだろ。釣りをしに来たんだから、それをしないと本末転倒だ」

 つむぐは心のなかで、なんか使い方が違うだろと思いながら呆れた顔をする。

「友人と釣りのどっちが大事なんだよ」

「ううん、どっともだな」

 太一はそう言って、また釣りに戻る。

「僕の価値は釣りと同等なのか。まあ、いいけど」

 つむぐは諦めたように話すと、釣竿を手にして釣りに戻った。

 太一と帰路についたのは、夕方頃になってからだった。

 早めに帰ろうと言うつむぐに対して「もうちょっと」言う太一はようやく魚がかからないことに納得をしたのか、竿を上げた。

 太一は釣竿を肩に担ぎながら、「残念だった」と言いながらつむぐと別れた。

 つむぐも太一に別れを告げると、そのまま家路へと着いた。

 つむぐが家へと着く頃には、辺りは少し暗くなり始めていたが、家の玄関先に人影があることに気が付くと足早に足を進めた。

「桜ちゃんか、もしてかして待ってたのか」

 つむぐは驚くと、申し訳ない顔をする。

「あっ、先輩。お帰りなさい」

 つむぐを先輩と呼び。そして太一の妹でもある『古雅 桜』が、にこやかな笑みを浮かべるとつむぐを迎えた。

「ごめんな。来るのは知ってたんだけど、すっかり帰るのが遅くなって」

「いえ、いいんですよ。兄が先輩を連れてどこかへ行くと話してましたから、どうせまた兄が無理を言って、先輩を困らせていたんでしょう」

 桜はご迷惑をおかえしますといった様子で、申し訳なさそうな顔をする。

「いや、僕が付き合ったんだから。桜ちゃんが気にすることじゃないよ。それよりも、こんなところで立ち話もなんだし、上がったら」

 つむぐはそう言うと、玄関の鍵を開けて桜を招き入れた。

 リビングに通して桜を椅子に座らせると、つむぐはお茶を入れ始める。

「コーヒーでいいよな。まあ、それしかないんだけど、ちょっと待っててくれ」

「いえ、すみません」

 桜は行儀よく座りながら、コーヒーを淹れるつむぐの姿を眺めている。

「はいよ」

 やがてつむぐは手にカップを二つ持ちながら歩くと、その片方を桜の前へと置いた。

「ありがとうございます」

「いやいや、それで何か用事でもあったのか?」

 つむぐは桜の向かいに腰かけると、カップに口をつけた。

「はい、親戚の方からジャガイモをたくさん頂いたので、それのお裾分けに」

「本当、それはありがたいよ。でも重かっただろ、言ってくれればそっち取りに行ったのに、悪いことさせちゃったかな」

 つむぐは確かに桜が大き目な紙袋をもっていたことに気が付いていたが、抱えるわけでもなく片手で持っていたので中身が重い物だとは気が付かなかった。

「いえ、いいんですよ。私もいい運動になりました」

 桜は嫌そうな顔を一つ見せずに、にこやかに返事を返した。

「そうか、それならいいんだけど」

「はい、それに最近は危ないお話も聞きますし、物騒ですから」

「いや、それは男である僕の台詞だから」

 つむぐはそう言って窓の外に目をやると、少しずつだが辺りは暗くなり始めていた。つむぐはこんな時間帯に引き止めたのは、逆によくなかったと反省すると桜へと話を続けた。

「とにかくだ、帰りは僕が送るよ。あまり遅くなっても美咲さんが心配するし、なんだか急かすようだけどそれを飲み終えたら帰った方がいい」

「ああ、はい、わかりました」

 つむぐの言葉に桜は表情を暗くするが、すぐに笑みを浮かべて素直に頷いた。

 桜がコーヒーを飲み終えると、二人は家を出て足早に歩いていた。暗くなってしまう前に、桜を送りどけようと考えていたからだ。

「悪いな、急かして。でも、今さっきも話していたみたいに、本当に物騒だからさ。こんな時間帯に女の子が一人で出歩くもんじゃないよ」

「すみません。ありがとうございます、先輩。わざわざ送って頂いて」

「気にするな」

 そう言って歩きながら、三十分程の距離を歩いて桜を家まで送り届けると、つむぐはそそくさと別れを告げて、その場を後にした。

 辺りはすっかりと薄暗くなってしまっていた。妙に明るいところが逆に静かな町を不気味に浮かび上がらせ、生暖かい風が頬をかすかに撫でると、つむぐは夏だというのに背筋に寒気を走らせた。不思議とこういった状況の方が恐怖心を掻き立てられるものらしく。人気もなく、音もなく、ただ自分の足音だけが単調に耳に響くのは、どこか圧迫感を感じさせる。

つむぐは鞄のなかのコルトを確認すると、早足で帰路へと着いていた。

『何だ、もしかして怖いのか?』

 そんなつむぐの心を察したのか、コルトが小馬鹿にした様子で、つむぐに声を掛けた。

「いや、何だかな。怖いというよりは、何だか不気味でさ」

『それを人は恐怖しているというんだぞ。君は他の人間と比べればもうとっくに化物のような力を持っているし、そんな連中だって目にしているのだろ』

「それはそれ、これはこれだ。嫌なものは、嫌なんだからしょうがないだろ」

『暗闇を恐れる魔法使いなど、聞いたことがないがな。どれ、横に並んで手でも握ってやるか』

「ほっとけ」

 つむぐはむっとしながら、足を進める。

 しかし坂の途中で、つむぐはその足を止めた。誰かに見られている、その視線を感じて思わずその足を止めのたのだ。

『止まるな……』

 コルトもそれに気が付いたのか、つむぐにそう言うと口を閉じる。

 つむぐはその言葉に息を飲み込むと、ゆっくりと再び歩き出した。辺りを窺いながら足を進めるが、どこから見られているのかがわからない。

「何か、ひどく嫌な感じがするけど。いったい何なんだ」

『何かがいるのだろうな。しかしテント暮らしのあの女とは、まったく違う。明らかに殺意がある』

 コルトはひどく冷静に状況を判断しながら、つむぐと話している。

 しかしその冷静なコルトとは裏腹に、つむぐは落ち着かない様子で焦りが見える。まっすぐな殺意、そんなものに晒されたことのないつむぐには、それだけで頭を混乱させるのには充分だったからだ。

 そして時間にして数分、そんな時間ですら長く感じる程の感覚を味わうと、つむぐある一点で視線を止めた。その視線の先には、黒い影がまっすぐにつむぐを見つめていたのだ。よく目を凝らして見ると、それは大型犬よりも一回り大きな狼のような姿で、唸りながら鋭い牙を見せつけている。その瞳には光がなく、まるで曇ったガラス玉のような鈍った輝きからは、つむぐが先程から感じている殺意だけが込められていた。

 つむぐは後ずさった。その一歩の後退、その一握りの恐れがつむぐの思考を鈍らせていた。逃げ場は、助かる手立ては、戦って勝てるのか、そんな考えが頭に浮かんでは次々に入れ替わり消えていく。

 しかし次の瞬間に、その思考も停止する。

 つむぐはからしてはほとんどあっという間だった。目の前にいたはずの黒犬がかすかに動いたように思えたその瞬間、その姿は視界から消え失せ、気が付いた時にはもう眼前へと迫っていたのだ。

 避けれなければ命がない。つむぐの体は喉元に迫る黒犬の牙を避けるために、反射的に体を逸らせながら捻らせた。黒犬の牙はかすかに喉元をかすらせるが、それでもその勢いのままに体はバランスを崩した。

「くそっ、くそっ!」

 つむぐの上に跨るように組み伏せた黒犬は、つむぐの肉とその骨を噛み砕くためにその歯を鳴らしながら、何度もつむぐに襲い掛かる。それでもつむぐは、何とか左腕で犬の首元を掴みながら、その牙を何とか防いでいた。しかしそれも時間の問題で、少しでも気を抜けば命がないことはつむぐもわかっていた。

「除け!」

 つむぐが必至になりながら、黒犬との攻防をしていると、ふと声がする。途端につむぐの目の前にいた黒犬が視界から消えた。つむぐが顔を横に向けると、黒犬が道を転がりながらボールのように弾んでいく姿がある。

「つむぐ、無事か」

 つむぐが声のする方を見上げると、コルトが心配そうな顔をして見つめていた。

「ああ、助かったよ。いや、本気で死ぬかと思った」

「生きてて何よりだ。そら、次が来るぞ」

 コルトが視線を移すと、そこには立ち上がって大きな唸り声を上げる黒犬が、コルトとつむぐに睨みを効かせながら今にも飛びかかろうとしている。

 つむぐはその場を立ち上がると、少しふらついた足をしながら、目の前の黒犬を睨み返した。息が上がり体中に擦り傷や痛みがあるが、不思議なものでさっきまで混濁していた思考がすっきりとしている。始まってしまった命が奪われるかもしれないということに対して、つむぐは純粋にただ生き抜くことだけを考えていた。

「コルト、家に帰ったら晩御飯だ」

「ああ、美味い物を頼む」

 コルトはどこか楽しげに微笑んだ。そしてそのまま光の粒子になると、片手を突き出したつむぐの手に収束をすると、一丁の拳銃へと姿を変える。

『ちょうどいい、今日の訓練は実践だ』

 コルトの愉快そうな声が響く。

つむぐの姿は魔法使いのそれに変わり、その銃口を目の前の黒犬に向かってゆっくりと向けた。

 銃口を向けられた黒犬は、姿の変わったつむぐを更に睨み付けると、雄叫びのような声を上げて後ろへと後退する。しかしその黒い眼光はつむぐを捉え、隙あらば喉元を食いちぎらんと睨みを効かせていた。

『つむぐ、弾倉に弾を込めろ』

 コルトは黒犬が後退したことを確認すると、つむぐへと声を掛けた。

「弾って、これってそのまま撃てば、こう魔法的な何かが出るんじゃないのか」

 つむぐは黒犬に睨みを効かせたまま、実際にコルトを撃った経験がないために、思わず聞き返した。

『弾丸がなれれば意味がない、だから弾を込めろ』

「どうやって?」

『ただ込めればいい、やり方はおまえが知っているはずだ』

 コルトは簡単にそれだけを言うと、口を閉じた。

 つむぐは困った顔をするが、その視線の先の黒犬は決して引き下がることはしない。つむぐは覚悟を決めると、右手のコルトへと意識を集中させた。

 ないなら作ればいいと、つむぐは直感的にそう感じていた。大きさは、材質は、匂いは、形状は、つむぐの頭のなかではこの場に必要な、ただ一発の弾丸が形を成していく。それはやがて現実味を帯びながら、徐々にその現実感を増していく。

 それと同時に、つむぐはまるで締め付けられるような頭痛と、激しい耳鳴りが頭のなかで響き渡る。それは一種の罪悪感に近いものっだったのかもしれない。それは表に出してはならないと、自身の心が否定という形で反発をしているのだ。

 しかしその刹那、自身の心の内にあるそれは、その一線を越えた。重く、固く、そして冷たい。何よりも虚実で、何よりも真実味があり、そしてどんな物よりも無垢で純粋なその力の象徴は、ただ一発の弾丸となって現れた。

「これだ……」

 つむぐの右手に握られたコルトが淡い光を放つと、その弾倉に弾丸が装填される。つむぐは不思議とまるで使い慣れているかのように撃鉄を起こすと、流れるような動作で、その照準を黒犬へと定めた。

「避けるなよ」

 つむぐはそう呟くと、静かにその引き金を引いた。

 乾いた音だった。それは何ら魔法的なことはなく、魔方陣も七色の光もなく、ただ乾いたそれでいて辺りに響く轟音と火花を散らせながら、コルトはその弾丸を放った。

 つむぐの腕は反動で跳ね上がり、その銃身からは、弾丸と同様に黒い煙が揺らめきながら放電をするように細かな光を放ちながら立ち上る。

 放たれた弾丸は一直線に進むと、黒犬へと吸い込まれるようにその額を撃ち抜いた。黒犬はまるで泥水のように溶け始めると、次の瞬間には灰となり風に消える。

 つむぐはしばらく呆けた顔で立ち尽くすと、やがて思い出したようにコルトをホルスターへと収めた。すると、つむぐの姿が元の格好へと戻る。

「上出来だ」

 コルトはつむぐの横に立つと、ねぎらうように声を掛けた。

「ああ、そうだな」

 つむぐはどうしてだろうか。どこか複雑な顔をすると、ぎこちない笑みで浮かべた。そして次の瞬間つむぐは膝をつくと、そのまま前のめりに倒れ込んだ。まるでフルマラソンでも走ったかのような疲労感と、何よりもひどい脱力感に襲われるとつむぐはかろうじて顔をコルトへと向けた。

「ほれ、帰るぞ。今の音で人が集まってくるかもしれん」

「ごめん、動けないかも。何か体が全然言うことをきいてくれないみたい」

「それはそうかもな。今のつむぐの力では弾丸一発を作るのが限界だな」

「待った、たしか記憶が定かなら、弾倉って六発だよな」

「そうだな」

 コルトは当たり前だろというかのように、頷く。

「無理だろ……」

 つむぐは一言そう呟くと、意識は暗闇へと落ちていった。

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