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□ 第3話

 期末試験の結果は、さんざんなものだった。

 夏休みを前にしてだいたいどの学生も経験するものだろうが、極楽の前の地獄、幸福の前の不幸せといった具合に、良いことの前には悪いこともあるもので。無論つむぐもこの例に漏れず、ほぼ不眠不休での一夜漬けを実行して期末試験に挑んだにも関わらず、結果はさんざんなものになるだろうと自覚できる程にひどいものだった。

 コルトに魔法使いになると言ったがいいものの、特段に何かができる状態でもなく。コルトに愚痴を言われながらもつむぐはこの日、何とか夏休み二日目を迎えることができていた。

 その日の朝、つむぐを起こしたのはコルトだった。

 不眠不休での一夜漬けを実行した副作用か、つむぐは夏休みの初日をほぼ一日ベッドで寝て過ごす結果となってしまっていた。

「起きろ」

 そんなつむぐを起こそうと、コルトは寝入っているつむぐに声をかけていた。しかしつむぐはその声に反応を示すことはなく、気持ちよさそうに寝息をたてながら寝続けている。

「おい、つむぐ」

 コルトは再度声をかけたが、その反応がないことを確認すると右手を前に静かに出すとその手に一瞬光が凝縮し、その手に一丁の拳銃が出現した。

 コルトは無言のまま撃鉄を起こすと、引き金に指をかけた。

「さっさと、起きろ!」

 次の瞬間、コルトは何のためらいもなく引き金を引く。部屋中にまるで爆竹のような単調的な爆音響き、その銃身から白い煙がゆっくりと立ち上る。

「ぐはっ、ああ……」

 つむぐは爆音が鳴るのとほぼ同時に体をくの字に曲げると、悲鳴とも嗚咽とも言えるような悶絶した声を上げて体を痙攣させた。

「コルト、おまえって奴は。僕を殺す気か」

 やがてつむぐは腹を押さえながら慎重に体を起こすと、コルトを睨み付けた。

「喚くな、空砲だ。それに私はちゃんと起きろと警告したぞ」

「人を起こすことを警告とは言わない。ましてや銃をぶっぱなす奴なんていない」

 つむぐは深呼吸をすると、その肺に溜まった空気を吐き出した。

「次からは普通に起こせ」

「私の普通でか」

「世間一般の普通でだ」

 つむぐはいたって真面目そうに話しているコルトを横目に、深く項垂れた。

「つむぐ、期末試験ってやつは終わったのだろ。なら、今日からは訓練に移るぞ」

「訓練って、魔法使いの?」

 コルトは頷いて見せると「早くしろ」と言い残し、そそくさと部屋を出て行く。

 つむぐはそんなコルトの後ろ姿を眺めながら、自然と溜息をついた。

 リビングへとつむぐが向かうと、コルトは椅子に腰かけていた。

「忘れていた、まずは食事だ」

 よく見るとその手元には箸が握られ、せかすように机を一定のリズムで叩いている。

「なるほど、食事の方が重要なわけだ」

 つむぐは可笑しそうに笑うと、足早にキッチンへと向かった。

「違う、訓練のためだ。腹が減っていては訓練ができん。それに食事は生活の基本だ」

「ああ、だろうな」

 つむぐはコルトへと微笑むと、手早く料理を始める。

「しかしコルトも腹が減るんだな」

「別に必ずしも必要というわけでもないんだが、私の場合は癖のようなものだ。まあ、ただ単に私が食事をするのが好きという理由でもある」

 コルトは目の前に置かれた山盛のごはんを頬張ると、嬉しそうに笑みを浮かべた。

「味噌汁と焼き魚が焼きあがる前に、食い終わるなよ」

 つむぐは切り終わったお新香を机の上に置きながら、幸せそうに食事をするコルトの姿を優しい顔で見つめてた。

 二人は食事を済ませると、少し話をしながら外を散策していた。

「それで、訓練っていうけど、具体的には僕は何をすればいいんだ」

「そうだな。まずは魔法使いとしての基本としては、魔道具である私の扱いに慣れて貰う必要がある」

「ああ、なるほど。それで魔道具って?」

 つむぐはそもそも基本的なことがわからないといった様子で、コルトに聞き返した。

「魔道具というのは、魔法使いが使う道具のことだ。分かり易く例えると、君達がよく想像する魔法使いの持っている杖もそれにあたる。まあ、他にも薬品などがあるが、それらを総称してそう呼ぶんだ」

「へえ、そうなのか。なあ、もしかして空も飛べたりするのか」

 つむぐはコルトの話の意味よりも、何ができるのかに興味があるようで、瞳を子供のように爛々と輝かせている。

「ああ、可能だ」

「マジで。うわっ、すごい飛びたい」

「飛ぶのは後だ。いきなりそんなことをすれば、それこそ真っ逆さまになって生卵のように潰れるぞ」

 コルトは呆れ気味に言葉を返すと、話を続けた。

「とりあえずだ、つむぐ。どこか人気のない場所に案内をしてくれ」

「ああ、それだったら風の森がいいよ。祭りにも使われるぐらい馬鹿でかい公園でさ、奥に行けば人目にもつきにくい。でも人目につかないって言うんなら、家でもいいんじゃないのか」

「可能性は低いが、力が暴走すれば大変なことになる」

 つむぐはその言葉に冗談と返そうともしたが、そのコルトの顔には冗談の二文字はなく「ああ……」と数回小刻みに頷くと、つむぐはコルトを連れて風の森へと足を向けた。

公園に着くと二人は、つむぐは以前に鍵祭りの時に使われていた会場よりも、更に奥へと足を進めていた。水車小屋と呼ばれる小屋の脇道へと入り、鬱蒼とする木々に囲まれた小さな広場へとコルトを案内する。辺りには人影もなく、鬱蒼とした木々の先には民家もなく、多少の音では決して聞こえることはない。

「こんな場所でいいか?」

 つむぐは振り返りながら辺りを見回して、コルトに話しかけた。

「ああ、そうだな。うむ、これならば問題ない」

 コルトも辺りを一度見回して確認すると、頷いて見せた。

「それで、どうするんだ」

「そうだな。まずは私と正式に契約を結んでもらう」

「それをすると、僕はどうなるんだ」

「魔法使いになる」

 つむぐは頭のなかで魔法少女のように、煌びやかに変身する自身の姿を思い浮かべると、思わす苦笑いをした。

「何か勘違いをしているようだが、煌びやかに踊りながら、くるくると回る必要はないぞ」

 コルトは少し呆れた顔をしながら、右手を差し出した。

「ほれ、とりあえず掴め。実際にやった方が早い」

「うん、ああ……」

 つむぐは差し出された右手を少し緊張気味に見つめながら、やがてゆっくりと差し出された手を握った。

 するとコルトの体が光の粒子に変わると、収束して一丁の拳銃としてつむぐの右手に収まった。鈍色の銃身に木漏れ日の光が反射しながら、宝石のように輝いている。つむぐは手にコルトの質感を確かめながら、その銃口を前へと向けた。

 そしてしばらくの間その姿勢のままでいると、つむぐはふと呟いた。

「なあ、特に変わったようには見えないんだけど」

『まあ、そうだろうな。傍から見れば、ただの馬鹿だな』

 つむぐはその言葉に、顔を赤くする。

「じゃあ、早く言えよ」

『いや、すまん。君があんまりにも私を構えた姿に浸っていたものだから、ついな』

 つむぐはコルトへと言い返そうとしたが、それを喉元で飲み込むと軽く息を吐いた。

「それで、ここからどうすればいいんだ」

『ああ、まずは私とのリンクを作る』

「リンク?」

 つむぐは姿勢を崩すと、コルトを目の前に持ってくる。

『リンクというのは、簡単に言えば私との繋がりを作って、力の分配をできるようにすることだ。よくあるだろ、血の契約だとか魂の絆とか、そんな感じだ』

「それって、だいたい僕に害があるとか多大な副作用的な何かがあるとか。それもよくある話なんだが、それはあるのか?」

 コルトはつむぐのその問いにしばらく間を置くと『ない』とだけ一言で答えた。

「おい、何だ、今の間は。言っとくけど僕は魂を引き換えになんていうのは御免だぞ」

『安心しろ、そこまでのものを差し出す必要はない。そうだな、私を使うたびに甚大な生命力や命そのものを少し削る可能性があるだけだ』

「それは何とも。つまりコルトを使って死ぬ可能性があると」

 つむぐは冷や汗をかいて、顔を引きつらせる。

『安心しろ。魔法使いになる道を選んだ時点で、人間らしい死に方などできん。さっさと覚悟を決めろ、もうつむぐは充分にこっち側に首を突っ込んでいるぞ』

 つむぐは少し考えた末に、心のなかでにやり笑っているコルトの顔を思い浮かべながら、溜息交じりに肩を落とした。

「もう、何でもいいよ」

『まったく、手間がかかるな君は。さて、早速だがリンクを作るのは簡単だ。君の血を私に注げばそれでいい、あとは私との相性が合えばそれで契約は完了だ』

「それだけでいいのか」

『うむ』

 つむぐはしばらくして覚悟を決めると、指先を持ってきたカッターナイフで切ると、少し緊張した面持ちでコルトに血を垂らし始めた。

 銃身へと落ちた血は、まるで唐草模様に沿うように流れると、それが全体に広がっていく。やがてそれが拳銃全体に広がりきると、唐草模様に沿って光の線が走り、それと同時につむぐは自身の心臓の鼓動とコルトの鼓動が頭のなかで響き始める。その鼓動は次第に大きくなると、つむぐは片手で頭を押さえながらよろけた。

 そしてやがて頭痛がする程に鳴り響く鼓動の音を聞きながら、つむぐはその音が徐々に重なり合っていくことに気が付いた。それはゆっくりとリズムを合わせると、それと同調するように手に持った拳銃全体に走る唐草模様の光が増していく。やがそてれは目を開けていられない程のものとなり、最後に一度合わさったことを知らせるかのように心臓の鼓動が大きく高鳴った。つむぐは激しい胸の痛みを感じながら膝をついてそのまま前のめりに倒れ込む。

「ぐっ、かは」

 つむぐは胸を押さえながら、何度か咳き込み、乱れた呼吸を整えながらゆっくりと息をした。辺りは静かなもので、少し霞んで見えるものの、頭には先程まで鳴り響いていた鼓動の音も胸の激しい痛みもない。

『気分はどうだ』

 しばらくして先に声をかけたのは、コルトだった。つむぐが落ち着くのを待って、心配した声で言葉を掛ける。

「あっ、ああ。大丈夫だ、問題ない。それよりこんなふうになるのなら、先に言ってくれよ」

 つむぐはまだ少し息を乱しながら、体を仰向け寝転んだ。澄んだ青空を見上げながら、自分の心臓の鼓動の音を聞きながら自身が生きていることを確認する。

「死ぬかと思った……」

『そうだな。つむぐがもし私とのリンクに失敗して命を落とすようなことが起こっていたのなら、ここら一帯は跡形もなく消し飛んでいただろうな』

 コルトさらりととんでもないことを告げると『いや、よかったよかった』と呟く。

「おい、今のってそんなに危険なことだったのか」

『しかしいつかはしなければならないのだから、結果は変わらないだろうに』

「先に言ってくれ。間違って辺り一帯を吹き飛ばしちゃいましたなんて、洒落にもならない」

 つむぐは大きく息を吐き出すと、体の力を抜いた。

『まあ、何はともあれ私とリンクすることには成功した。これでもう君も魔法使いの仲間入りだ。さて、ここからはもう時間がないぞ』

「時間がないって?」

『魔法使いにはそれなりの危険も伴う。その危険を回避するためにも、つむぐには少しでも早く魔法使いとして一人前になってもらう必要がある』

「危険ね。まあ、いいよ」

 つむぐは疲れた顔をしながら、心のなかでどうにでもなれと思いながら、先のことを後回しにした。

『さて、いつまでも寝転んでいないで、回復したのなら起き上がれ』

「ああ、了解」

 つむぐは片膝をついて立ち上がった。

「それで、お次は何があるんだ」

『その前に、少し自分のことを確認してみろ』

「うん?」

 つむぐは小首を傾げると、自分の体を触り始めた。

「おおっ、何か服装がそれっぽい感じになってる」

 つむぐは自身の服装を改めて確認した。基本的なジーパンにシャツといったところには変化がないものの、その上に真黒な厚地のトレンチコートのようなものを羽織、脇には拳銃を収める為の革製のホルスターに、頭にはトレンチコートと同様に真黒なハンチング帽を被っている。

「でも、これってどう見ても……。何かかっこいいと思うような妄想を、とりあえずやってみました、みたいな」

 つむぐは顔を赤らめると、辺りに人がいないことを改めて確認した。

『安心しろ。例えどんなに恥ずかしい格好だろうが、全裸になろうが、そのコートと帽子を被っている限りは人には見えん』

 コルトは溜息をつくと、呆れた声でそう話した。

「えっ、そうなの。うわっ、それはすごいな、さすが魔法使い。これって僕がコルトとリンクってやつをしたからなのか」

 つむぐは少し興奮気味に動くと、コートや帽子を触りだす。

『そうだよ。私が君とリンクしたからこそ得られた力だ。まあ、魔道具によって姿形はそれぞれ違ってくるが、基本的にはコートやマントに帽子を被っているのが一般的だ。君の場合は私の形態もあるのでホルスターがあるだろう』

「ああ、なるほど。僕はてっきりマントに三角コーンみたいな帽子を想像してたよ」

『まあ、そういう奴もいるが。君はあれが好きなのか』

「いいや、僕は断然こっちの方だよ」

 つむぐは内心では中二病と思いつつも、格好を気に入った様子で楽しんでいる。

『つむぐ、子供のようにはしゃぐのはいいが、そろそろ次の話に移ってもいいか』

 コルトは呆れた口調でつむぐを諫めると、溜息をついた。

「ああ、悪い。つい、何だか不思議でさ」

『君はもう魔法使いだぞ、そのうち慣れる』

「そういうもんかな」

 つむぐは落ち着きを取り戻すと、頷いて見せる。

『それでは、次に。そうだな、つむぐちょっとそこで飛んでみてくれないか』

「ジャンプすればいいのか」

『ああ、とにかく力一杯飛んでみろ』

 つむぐはそう言われると、コルトを懐のホルスターへと仕舞い両膝を曲げて屈む。そして不思議に思いながらも、力一杯飛び上がった。するとつむぐの体は、ちょうど木々を少し見下ろせるぐらい高さまで飛び上がると、そのまま重力に任せて落下する。

 つむぐは悲鳴を上げるのも忘れて眼下に迫る地面をただ見つめながら、心のなかで覚悟を決めたが、次の瞬間には何の問題もなく地面へと着地した。それは文字通りただ飛んだ時のような感覚で、高い位置から落ちたというのに不思議と足に痛みはない。

「おい僕、今あの木の上ぐらいまで飛んだぞ」

『身体能力の向上、それも魔道具の力の一つだ。脚力はもちろん腕力なんかも人並み以上の力が出るはずだ』

「へえ、便利だな。これで自転車でも漕いだらバイク並みだ」

『残念ながら、知力に影響がないことだけが、これの唯一の欠点でもある』

 コルトは疲れたように声を出すと、わざとらしく溜息をついた。

「言っておくけど、僕は馬鹿じゃないぞ」

『期末試験とやらの結果を見てからでも、その台詞が言えるのか』

 割と冷静なコルトの言葉に、つむぐは一瞬固まるが、次の瞬間には何事もなかったかのように「さてと、訓練を続けるかな」と言うと笑いながら誤魔化した。

『先行きが不安になってきたよ』

 コルトは魔法使いとしての一歩をようやく踏み出したつむぐに安堵するも「これからだ、ここから……」とそう静かに呟くが、その声はかすかな風へと消えていった。


 つむぐとコルトが帰路ついたのは夕暮れ時だった。

雲や空はもちろん、普段見慣れたはずの街並みも紅く染まり、どこか時間が曖昧でゆっくりと流れているかのような錯覚を起こす。

「何をするかと思えば、ただの筋トレをするとは思わなかったよ」

 つむぐは体中のあちこちに痛みを感じながら、ひどく疲れた様子でよろけながらゆっくりと歩いている。

「当たり前だ。つむぐは魔法使い以前に、基礎体力といった能力そのものが足りていない。いくら私が上乗せしたとしても、元が悪くてはまるで意味がない」

 コルトはつむぐの横を歩きながら淡々と言葉を返した。

「面目ない」

 つむぐは自身の体力不足は前から充分に自覚はしていたが、体の軋みと痛みを感じながら改めて自覚をしていた。

「明日は絶対に筋肉痛だ。間違いない」

「我慢しろ。その分力はつく」

 情けないといった顔をすると、コルトは肩を落とした。

「なあ、これ明日もするのか?」

「しない理由があるのか」

 コルトはつむぐへと冷ややかな視線を送ると、じっと見つめる。

「わかった、やるよ。だからそんな目で人を見るな」

 つむぐはその視線に耐えかねて観念すると、溜息交じりに言葉を返した。

 そんなつむぐにコルトはふと笑みをつくる。

「そんな顔をするな、私だって鬼ではない。明日は軽く体を動かす程度にしてやる。しかし真面目な話、つむぐは今以上に体を鍛えなければ、魔法使いとしては致命的になるぞ」

「以外に、魔法使いって体育会系なんだな。てっきりもっと呪文とか精神力とかそういったものが必要だと思ってたよ」

「もちろんだ。それもいずれはやってもらう」

 その疑問にコルトは、間髪入れずに答える。

「ああ、なるほど……」

 つむぐはその言葉に頬をひきつらせると、肩を落とす。

 そしてしばらく二人で並んで歩くと、二人は川沿いの土手へと差し掛かった。

「そういえば、ここらへんだったよな」

 つむぐは辺りを見ると、夕日に紅く染まった流れる川を見つめた。

「何がだ?」

「いやさ、ここらへんで変なものを見たことがあってさ」

「変なもの。それはいったどんなものだ」

 川沿いの景色を眺めていたコルトが、興味ありげに言葉を返した。

「まずこれは一瞬だったんだけど、頭に角みたいものが生えた奴に、腕に鱗がついてた女の子に会った」

「ああ、それはただの影だ」

「影……。それって日陰にできるやつだろ」

「それとは、また別だ。私の言った影とは、人間にわかりやすく言えば妖怪や幽霊といった怪奇の類だ」

 つむぐは納得して「ああ、まあ言いたことはわかる」と、頷いて言葉を返した。

「影は、向こう側の住人だ。こちら側の世界に良い意味でも、そして悪い意味でも影響を与える。ちなみにつむぐがそれらを認識できるようになったのは、おそらく私との接触が原因だろう。契約した以上は、これからも影を見ることになるだろう」

「影か。何でだろうな、妙に驚きもしなくなってるよ」

 つむぐはどこか顔を曇らせると、寂しげに呟いた。

「それがいい。いちいち狩る獲物を前にして恐怖をしていては、仕事ができん」

 つむぐは歩く足を止めて立ち止まると、驚いた様子でコルトへと顔を向けた。

「ちょっと待った。狩るって、それって殺すってことか」

「違う、向こう側に戻すだけだ。まあ、消すという意味では同じかもしれんが」

 つむぐはそれを聞くと溜息をついて、またゆっくりと歩き始める。

「聞いてなかったよ。そんなことは最初に話してくれ」

「それは悪かったが、言っただろ魔法使いには危険もある。魔法使いになる以上は、果たさなければならない義務もある」

「そりゃ、多少は覚悟はしてだけど。あまり気はすすまない」

 つむぐはどうにも納得のいかない顔をしながら、足元を見る。

「一方的っていうのは、僕はあまり好きじゃない。それじゃ、まるで悪者だ」

「魔法使いは善人である必要はない。正義の味方になりたければ、役者にでもなればいい」

「善人や正義の味方はともかくとして、正しくあろうとすることはいいことだろう」

 コルトは、つむぐの言葉に顔を曇らせると、顔を俯かせた。

「何を正しくに置くかで善悪は二転三転もする。本当に正しくあろうと思うのなら、自分が何をできるのか、何をしたいのかをよく考えるべきだな」

 コルトはそこに少し間を置くと、徐に口を開いた。

「でなければ、取り返しのつかないことになるか。結果は……」

 つむぐはコルトのその言葉に何も返すことはしなかった。しかしやはりよく理解ができないのか、それとも納得ができないのか。夕暮れの紅く染まった道を歩きながら、ただ黙ってその先を遠目に見つめていた。


 翌日は悲惨なものだった。全身筋肉痛の痛みに苦しみながら、つむぐはリビングのソファーに寝転びながら、テレビの画面を呆けた顔で眺めていた。

「情けない奴だな。まさか、ここまで動けない程になるとは」

 コルトは呆れた顔をして横目でつむぐを見ながら、溜息をついた。

「うるさい。僕は自慢じゃないが、運動が苦手なんだ」

 コルトは返事の代わりに肩を落とすと、リモコンを手に取った。

「まあ、昼のうちは勘弁してやる。だが食事をとったら、その後は付き合ってもらうぞ」

「ああ、了解」

 つむぐは寝転んだまま、片手を上げて返事をする。しかし何気なくコルトがかけた報道番組の音が耳に入ると、つむぐはテレビの画面を見つめた。テレビの画面には殺人の二文字があり、ニュースキャスターが事件のあらましを話している。

「相変わらず物騒な世の中だな。おまけに、最近は意味もなく人を殺す事件が多いし、町中を歩いていたら背中から刺されてもおかしくない」

「命を奪うのに意味がないなんてことはないだろ。少なからずその原因はある」

「いやいや、やりたかったからとか、何となくなんて理由は最近じゃ珍しくもないぞ」

 コルトはテレビを見る視線をふいにつむぐに移すと「それでも、意味はある」と言うと、視線をテレビに戻した。

 そして、しばらくテレビの番組を見続けていると、つむぐは顔をしかめた。

「家族が襲われて、子供だけが助かったのか。嫌な話だ」

「そういえば、君の家族はどこにいるんだ。いつもこのだだっ広い家に一人だが」

 コルトは何気なく、いつもの口調で言うと家のなかを見渡した。

「仏間の仏壇を見ただろ、僕の両親はとっくの昔に事故で死んでるよ。僕を育ててくれたのは爺さんだったけど、爺さんも三年前に死んだ。その後はずっと、爺さんの親友だったって人が何かと面倒を見てくれている」

 つむぐは特に気にする様子もなく答えると、欠伸をした。

 コルトも特にそれに以上は追及することもなく「そうか」とだけ言うと、テレビにまた視線を移す。

 しかし次の瞬間、つむぐは驚きの声を上げた。

「おい、これってすぐ近所のことじゃないか」

 つむぐは思わずソファーから起き上がると、リモコンでテレビの音量を上げた。現場として映し出された場所には鬱蒼とした木々と、記憶に新しい風景が映し出される。

「あの、公園か」

 コルトは目を細めると、テレビに映し出された風景を見つめた。

「ああ、でもまさかそんなことが起きるなんて思いもしなかった」

「先程テレビを見ながら物騒な世の中だと言ってただろう。現実に危険なことが有り触れているにもかかわらず、身の回りでは決して起きないなんてことはありえないよ」

「それは、そうだけど。気持ちのいい話じゃない、それよりも」

「君は、まさか首を突っ込むつもりか。言っておくが、君にはそんな義務はないんだぞ」

 コルトは呆れた顔をすると、他人事のように話した。

 つむぐはその態度に怪訝そうにするも、その瞳はまっすぐにコルトを睨み返すように見つめる。

「僕は少なくとも、そうしたいと思ってる」

 コルトもまたまっすぐにつむぐの瞳を見つめ返すと、ふと嬉しそうに笑みを浮かべた。

「なるほど、君はそういう男か。わかった手を貸そう、しかし君はそんな体で動けるのか」

 つむぐはコルトの笑みにたじろぎながら、耳を赤して背中を向けると「もう少しだけ、待ってくれ」とだけ言葉を返した。

 昼の食事を終えると、つむぐはある程度動くようになった体でコルトと共に公園へと足を向けていた。

 つむぐはさすがに警察官がうろついているなか、コルトを元のままで持ち歩くわけにはいかず、つむぐは前々から考えていたことをコルトへと話した。それはコルトが人間の姿をしている時の着衣が、どう見てもコスプレをしているとしか見えないのだ。これから行く場所ではあまり目立つわけにはいかない。つむぐはそのことをコルトへと告げると、彼女は特に何を言うわけでもなく、快く承諾した。

「しかしまた、何で浴衣なんかを選ぶかな」

 つむぐは横に歩くコルトを見ながら、目頭を押さえた。

「君の持っていた雑誌だったか、こんな感じの物が載っていたんだ。あとは、それを元にして私の服を構成すればいい」

 コルトは白地に桔梗の花が淡く描かれた浴衣を着ながら、細部を確かめている。元が整った顔立ちに腰まである長い銀の髪のためか、これでは余計に人目を引く。

 つむぐは咳払いをすると、話を続けた。

「魔法って便利なんだな。しかしそれは、かなり目立つぞ」

「かまわんさ。べつに魔法使いがここにいると看板を背負っているわけでもない、それに君も悪い気はしないだろう」

 コルトは流し目でつむぐを見ると、からかうように笑みをつくる。

「うるさい。それよりも、早く行くぞ」

 つむぐは足早に歩くと、道の先の角を曲がった。そして角を曲がって道の先へと行くと、そこから公園の入口が見える。

「やっぱりいるよな」

 つむぐは壁に隠れると、辺りを窺いながら公園の入り口を確認した。その視線の先には数人の警察官の姿があり、人が入れないように注意を払っている。

「どうやら誰もいれないようしているようだな」

 その後ろからコルトが顔を出すと、同じように公園の入り口を見る。

「公園を閉鎖か。まあ、当然だよな」

「だが、入る方法はある」

 つむぐとコルトは目を合わせると、人の目から死角となる場所へ移動した。

 コルトは拳銃の姿になると、つむぐの手の中に納まり、それと同時につむぐの姿は魔法使いのそれになる。

「それじゃ、行くか」

 つむぐの言葉にコルトが「おお」と声を返すと、つむぐは公園の入り口へと向けて、ゆっくりと足を進めた。入り口付近の警察官の前まで近づくが、誰もがつむぐの姿には気が付いてはいない。

『手なんか振ってないで、さっと先に行け』

 面白そうに警察官の顔の前で手を振るつむぐをコルトが急かす。

「ああ、悪い」

 つむぐはすぐさまにその場から離れると、公園の奥へと足早に歩いた。しかし入り口から少しいった先でつむぐは立ち止まった。

「なあ、コルト。現場ってどこだ」

『知らん。がっ、血の匂いがするな。それに,これは……』

「どうしたんだ。何か、問題でもあるのか」

『いや、何でもない。血の匂いを辿ってみろ、おそらくそこが目的地だ』

「血の匂いって、どうやって」

 つむぐのその言葉にコルトは『集中してみろ』とだけ話した。それにつむぐは目を瞑り、意識を集中してゆっくりと呼吸を繰り返してみた。すると、かすかだが木々や草といった緑の匂いと水の匂いに混じって、何か別のこもった鉄の匂いをつむぐは感じた。

「これか」

 つむぐはそう呟くと、そのままその匂いの方向へと大きく飛び上がると、木々の枝から枝へと飛び移っていく。

 やがてちらほらと見えていた警察官の姿が、その匂いの場所へと近づくにつれて多くなることに気が付くと、つむぐは下へと降りて徒歩で歩き出した。

「ここらへんのはずなんだけど」

 つむぐは辺りを見回しながら、スーツ姿の男達を発見すると「あれって、刑事か」と言うと後へと続いた。

 スーツ姿の男達はしばらく歩くと道を外れ、鬱蒼とする木々のなかへと進んで行く。しばらく歩くと、やがて黄色いテープが辺り一帯に張られた場所が見えてくる。

「あそこか」

 つむぐは場所を確認すると、一旦離れて木の後ろに隠れながら様子を見ていた。

 そして刑事達が離れていくのを確認すると、現場へと向かった。しかしテープを潜り抜けた所で、つむぐはその光景に唖然として立ち止まった。

「何だよ、これ……」

 つむぐの目の前には赤一色の世界が広がっていた。そこにあるはずの木々も草も、まるで赤いペンキを塗りたくったかのように全てが染められている。まるでそこら一帯の時間だけが止められているかのような錯覚をつむぐは感じていた。別空間に迷い込んだともでもいうのか、意識を集中することもなく鼻腔をくすぐる充満した血の匂いは湿気を含んだように重く肺に入っては気分を悪くさせる。

『つむぐ、落ち着け。おい!』

 耳元ではコルトの声が必至つむぐを落ちかつかせようとするが、その声はつむぐには届いてはいない。

 次の瞬間、つむぐは口元を押さえると、その場から逃げるように走り出していた。

 吐き気を抑え、喉元まできたそれをなんとか飲み込むと、つむぐは現場から距離を置いたベンチに腰掛けた。呼吸は荒く、何かで頭を殴られたかのように思考をうまくすることができない。揺れるような景色を眺めながら自分を落ち着かせようと必死になっていた。

そしてしばらくすると、コルトが心配した様子で声を掛けた。。

『つむぐ、少しは落ち着いたか』

「ああ、本当に少しだけな。でも当分忘れられそうにない、あんな」

 つむぐは、そこで口を閉じると顔を俯かせた。

「どうやったらあんなことになる。いったい誰が……」

『とにかく一旦ここを離れた方がいい、話はその後にしよう』

 コルトは優しく言うと、つむぐは「ああ」とだけ答えた。そしてつむぐは重い体を動かすと、公園を後にした。


 二人は公園から離れると、川沿いの土手へと足を向けていた。

 つむぐは口を閉じて、ただ黙って流れる川を見つめていた。

「初めてだったのか。ああいった、人間の死を見るのは」

 コルトもそんなつむぐをあえて見ようとはせず、川の向こう側を眺めながら静かに声を掛けた。

 つむぐはしばらく無言でいたが、徐に口を開いた。

「ちょっと前までは普通の高校生だったんだぞ、僕は。普通の日常だったし、普通の生活と平和な世界で呑気に過ごしていたんだ。人がどこかで死んでいるかもしれないなんて、まるで考えもしなかった」

 つむぐは、そこで悔しそうに歯を食い縛った。

「だが、現実には起きている。否定をしても、例えどんなに目を背けたとしても、それだけはどうやっても変わりはしない。そして、気が付くと、いつも目の前にやってくる」

「そうかもな。ただ僕はそういったことに感心を持っているようで、実は無感心だったんだよ。いつもテレビに映ったことを見て聞いているだけで、僕は考えることをしなかったんだ。あんなに濃い血の匂いを嗅いだのは初めてだ、最悪だった。本当に胸糞悪い光景だった」

 つむぐは苦々しい顔をすると、拳を握りしめた。

「あんなことが起きているなんて、僕は考えもしなかった」

「後悔しているのか」

 つむぐの言葉にコルトは静かにそれだけを返すと、ただ黙って口を閉じた。

「わからない。魔法使いになって、馬鹿みたいに浮かれて。自分には何かができるって、そうやって首を突っ込んだ」

 つむぐはその場から立ち上がると、空を見上げた。

「知らなければ、きっとそれでよかっただと思う。見なければ知ることもなかったし、自分から動かなければわからないで済んだ。そうすれば、何も考えずにそのまま生きていたんだと思う。でも僕は、そうでない道を選択したんだ」

 つむぐはコルトを背中越しに振り返った。

「選択して知ったことなら、その責任は僕にある。今更知らないなんて嘘はつかないし、言い訳もしない。僕はこのまま、自分の信じて選んだ道を進んで行くだけだ」

 つむぐはコルトに向き合うと、意思の宿った力強い瞳を見せる。

「それに、どんな理由だろうと、あんなことをしていい権利なんて誰にもない」

 コルトはただ黙ったまま、つむぐにゆっくり視線を移すとその瞳を見つめた。そしてコルトもその場から立ち上がると、つむぐに向きう。

「私が思った通り、君には魔法使いの素質がある」

 つむぐは、コルトの言葉に力強く頷いた。

「ああ、僕は魔法使いだ」

 そう言ったつむぐの顔には、もう何の迷いもなかった。

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