六の十三
水から顔を出し、大きく息を吸った。
ここはどこだ?
左右を見渡す。
岸辺に松が生えた池だ。
続いて火薬中毒者が、そして寿が顔を出した。
「ふーっ、死ぬかと思った!」
扇は春王をつかんでいた手を水の上に出した。
つかんでいたのは羅宇に螺鈿を散りばめた煙管が一本。
春王――虎兵衛はいなかった。
「お前ら、何やってんだ?」
聞きなれた声に振り向くと、紺の直垂に薄桜の衣を肩に引っかけた九十九屋虎兵衛がいた。突然の扇たちの出現に驚き、目をぱちくりさせている。
そこは経師ヶ池。籬堂の寄り合いの間だった。扇たちは籬堂の池に突き出した広間から三間と離れない水面にいたのだ。
総籬株会議の最中だったらしく、他の総籬株たちもいったい何が起きたのだろうと座を立って、水辺へ見にやってくる。
「おれたちは――」
言いかけて、扇は説明をやめた。言っても信じてはもらえまい。
「とにかく水から上がれよ。風邪ひいちまうぞ」
虎兵衛が言って、使いに三人の替えの服を取りにひとっ走りさせにいった。
「おや?」
虎兵衛がつぶやく。
「なあ、扇。その煙管。どこで見つけた?」
「これは――」
「大昔になくしたやつとよく似てるんだよ。青い羅宇に螺鈿の牡丹を刻んだところなんて、そっくりだ」
「――」
「おい、どうした? 大丈夫か?」
「ああ」
扇は手にした煙管を見た。
あの不思議な廓が夢や幻ではないという唯一の証拠だ。
「この煙管、もらってもいいか?」
「ん? ああ、構わんぞ。でも、お前さん、煙草を呑んだっけ?」
「いや。でも、持っていたいんだ」
翌日、扇は風邪を引いた。高熱が出て、熱が引くのに三日間もかかった。
体調が少しよくなると、すぐに時千穂道場に行ったが、病み上がりの体ではだめです、ちゃんと風邪を治してください、とりんに稽古を止められて、来た道を戻っていた。
帰りに天原白神神社に寄ってみた。寿は外出しているらしくて、境内には誰もいない。
あの穴が開いた場所にも足を運んだが、爆薬を垂らされて割れた石以外には何も見つからない。
白寿楼に帰ると、虎兵衛が中庭の池の亭で一人煙草を煙管で呑んでいた。
「あんた、煙草は紙巻のほうが好きなんだってな」
亭にやってきた扇の言葉に虎兵衛は意外そうな顔をした。
「ほう。それは大夜と泰宗しか知らないことなんだがな」
「あの二人に聞いたわけじゃない。それより一つ、訊きたいことがある」
「なんだ?」
「あんた、昔は春王って名乗ってなかったか?」
虎兵衛は煙管から口を離して、ふうっと紫煙をくゆらせた。
「……もし、そうだったら?」
「そうだったら――いや、なんでもない」
扇は首をふった。
「あんたも言っていたな。楽しく生きるのに、物知りになる必要はないって。すまなかった」
飛び石の上を歩いて廊下へ引き返す扇に虎兵衛が声をかけた。
「なあ、扇。おれにも不思議な話なんだがな――お前さんを見ていると、大昔のことを思い出すんだ。どんなことが起こるか分からない世界へ飛び出そうとしたあのわくわくした日のことを。そのせいで泣かしちまった一人の女のことを――」
虎兵衛は頬を人差し指で掻きながら苦笑いしつつたずねた。
「どうしてなんだろうなあ?」
「さあな。何でだろう」
虎兵衛の質問に、扇はまるで寿のようにずるっぽく笑った。
第六話〈了〉




