六の十
まず、三つの酒樽が、つづいてずんぐりとした老人が斧と十字架を携えて、
「ハレルヤ!」
と、わめきながら坂を通り過ぎていった。
「なんだったんだ、今の?」
道の脇に避けていた寿がたずねる。
もちろん知りたがり屋の夜叉丸は正体を知っていた。
「あれは斧男だよ」
「斧男?」
「酒を入れた容器ならひょうたんから銅製のタンクまで何でもぶち割るんだ」
「そいつは何だって、そんなことするの?」
「神の御意思なんだって」
「へー」
それで寿の、斧男に対する興味は失われた。本当は神さまの考えていることなど、これっぽっちも分かっていないくせに分かった気になって、いろいろやらかすやつは大勢いる。だが、あの白神さまだって、腹のなかで何を考えているのか、お使い役の寿ですら分からないのだ。神さまと話すことすらできない普通の人間がどうして神さまの意向なんて分かるのだろう?
なるべくはやく巫女を探さなければいけないことを思い出して、ああ、どうしたものかと考える。これから天原白神神社にはいろいろな人が参拝に来るのだが、時おり狂信者がやってくることは間違いない。神さまの声が自分にだけ聞こえると思い込んでいる連中だ。その手の連中と論議を交わすのは穴を掘ってはまた埋めるのを一日中繰り返すようなもので益のなく、うんざりさせられる。そこで自分の代わりに面倒なやつの応対をしてくれる巫女を置く。もう、この際、婆さんでもいいからと思ったが、肝心の巫女が口うるさいやつだと元の木阿弥だ。巫女の人選は困難を極めるだろう。神事というのは至極やっかいで、最初をとちると、軽く百年は尾を引くであろう面倒事がいとも簡単に発生するのだ。
「神さまの使い走りも楽じゃあないね」
寿はこぼした。
でも、こうして扇とまた同じ世界で暮らすことができるようになったのも、白神さまのおかげだ。
自分がこの世に戻ってきたときの扇は少し落ち込んでいたが、それも少しずつだが、持ち直している。
友が困難にぶつかっているとき、その傍で励まし、助けてやれるというのはいいものだ。感情を何かを覆い隠すために使わずに、ただ自分の思ったままを素直に表情にできるのもいい。
〈鉛〉として生きていたら絶対になかったであろう幸福だ。
その対価として考えるなら巫女探しがもたらす面倒事も対価として納得できるし、今、こうして扱っている面倒事も納得できる。
爆音がして、寿の狩衣がぶわりと煽られて、前のめった。
あちこちの見世や料理屋から人が顔を出して、何があったのだと口々にたずねあっている。夜叉丸もめくれた長羽織の裾が腕にからまって罠にかかった野生動物のようにもがいていた。
「大丈夫です!」と火薬中毒者が両手を上げて、まわりの人々に大声で告げてまわっていた。「ちょっと手が滑って火薬が爆発しただけです。何の問題もありません。みなさん、お店に戻ってください」
何の問題もないことはないだろう。ちょっと手が滑った代償として道のど真ん中に直径二間の穴が開いていたのだ。だが、怪我の功名か、穴は隠されていた地下の螺旋階段に続いていた。湿って黒く光る石壁にところどころ灯明皿を置いた壁龕があって、木の階段がずっと下まで続いている。
「キミ、自分のこと知りたがり屋だって言ったよね?」
寿が穴の底を覗き込むようにしながら、すぐ横にいる夜叉丸に話しかけた。
「この奥に何があるのかも知ってみたい?」
「もちろん」
夜叉丸は傘を畳んで小脇に抱えた。火薬中毒者はゆっくり燃える火薬の入った試験管をカンテラ代わりにしている。
どう見ても怪しい穴だ。底に何があるのかさっぱり見当がつかない。ただ、どうせ自分たちはこの逆原の底を目指して――それもそこに出口があるだろうといういいかげんな楽観だけを頼りに歩いてきたのだ。今さら理性に訴えるような考え方をしても遅い。
寿は腐って今にも折れてしまいそうな木の階段を踏んだ。




