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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第六話 不思議の廓の扇と寿と火薬中毒者
89/611

六の三

 落ちた部屋はかなり広い部屋だった。扇たちは木で作った真四角の鳥籠が天井まで重なって壁のようになった場所に落ちた(マントの下に爆薬を隠し持っている火薬中毒者は羽毛の山に落ちて無事だった)。籠のなかでは鶏や雉、家鴨、鶴が羽ばたいたり、籠の結び目を嘴でつついたりしていた。籠は文鳥を飼ったりするのに使うような上等な仕上げはほどこされず、へし折った枝を山刀で軽く葉を払って、細い荒縄で二度とほどけないようめちゃくちゃな結び方でつなぎとめた、いかにも食用の鳥を一時的に入れておくだけの粗末な籠だった。荒縄には何度か水をかけて乾かし縮ませているのでこぶ状の結び目は石のように固くなり、鳥の嘴では到底破壊は望めないものになっていた。

 縦穴を見上げると、意外なことに地上につながる穴が何万光年と離れた場所の恒星のように弱々しく光っていた。しかし、上る手段がないのでどうしようもない。

 鳥籠のあいだにはけたたましい鳴き声と羽毛の飛び交う道が一本切ってあり、とりあえずそれを辿っていくしかないようだった。

 道はおがくずと羽毛、鳥の糞がくっついた古新聞、ぼろきれで埋め尽くされていて、左右の鳥籠でできた壁からは突然の闖入者に眠りを邪魔された鳥たちの抗議の声が上がっていた。どう転んでも一週間以内には串刺しにされて炭火の上でじゅうじゅう音を立てて焼かれる運命にある鳥たちは、首を刎ねられるその瞬間まで瞑想することは鳥に認められた正当な権利であるかのように声高に鳴き声を上げている。

「うん、ごめんね、鳥くんたち。すぐに退散するよ、うん」

 まともに取り合っているのは鶴に立烏帽子をグサリとやられて取られてしまった寿だけで、扇はこのやかましい鳥の倉庫から脱け出そうとずんずん歩を進めている。火薬中毒者は自分が落とした四本の爆薬試験管がどうなったのか、ぶつぶつ独り言を繰りながら考えていた。あれが正常に作用していれば、この部屋の鳥は一匹残らず焼き鳥になっているはずだ。だが、鳥たちはここに何十年も前からいるかのごとく平然としている。そこから導き出された結論は火薬がきちんと爆発しなかったという可能性を示唆していた。火薬中毒者にとって、これは一大事だった。仮にも火薬を愛するものが爆発しない火薬を使用したなどということは恥であり、また爆発しない火薬を摂取したことは火薬中毒者の体にとって害なのだ。それに彼の主人である扇が被った精神的な恥辱も忘れてはいけない。自分の奴隷が爆発しない火薬もどきに欺かれたことで奴隷主である扇が心に負ったであろう傷に対しては、きちんと火薬をもってして償われるべきだ――。

 火薬中毒者はそんなことをぶつぶつ唱えていた。

 扇が、道の角の向こうに人の気配を感じて、立ち止まり、後ろの二人も動きを止めた。鳥籠の陰から、覗いてみると、緑色のペンキで塗られた出口らしい板扉があり、そのまわりは鳥籠がおかれておらず、ちょっとした広間になっていた。壁には外套がかかったえもん掛け、鉱山用のランプが置かれた西洋風の書き物机ではシャツに袴の女性が一人計算をしているらしく、万年筆の先を青インクで湿らせては藁半紙の束の一番上の一枚をカリカリとこすっていた。反対側では大きいが浅い桶が置かれていて、女の子どもか弟か知れぬ小さな男の子が行水をしていた。水は壁をつらぬいたブリキの管から、ちょろちょろと桶に流れ落ちていて、男の子はときどきその流れに頭を突っ込んで、耳のそばで水を弾けさせては、きゃっきゃっと笑っていた。女は男の子のほうをちらりとも見なかったが、男の子が水の流れに頭を突っ込んで喜び声をあげると、必ず「新太はごきげん。ごォきげん。みつ子はお仕事。おォ仕事」と妙な節をつけて唄うようにつぶやくのだが、その声は部屋で鳴いている鳥に勝る高い声で、女の仕事が計算なのか、それとも鳥の声真似芸でおひねりを稼いでいるのか、どちらだろうと思ってしまうくらいだった。

「ちょっとたずねるが」と扇が声をかけると、女は驚いて、ぴょんと椅子の上で飛び跳ね、万年筆の先が藁半紙に突き刺さり、計算したばかりの式の上へインクを際限なく放出していった。

「ああっ、びっくりした!」

 女――おそらく、みつ子という名の女は振り向いて、胸を押さえながら、

「まったく! 人を脅かすもんじゃないよ!」

「すまない。何度も声をかけたが、鳥の声に邪魔されて――」

「ははーん」と、みつ子は言って、扇、寿、火薬中毒者の三人を値踏みするように見た。「見てみれば、三人とも男前じゃないかい。あんたたち、見世をサボって、ここで油売ってるんだね。まったく! ここで油を売ってるのがばれると、あたしが楼主たちに怒られるんだよ。あんたたち、どこの見世のもんだい?」

「白寿楼だ」

「聞いたことない見世だねえ」

「うそだろう? 天原一の大見世だ」

「天原? そりゃ、一体どこのことだい?」

 みつ子は目を丸くした。

「ここだ。ここのことだよ」

 それを聞くと、みつ子はしばらくポカンとしていた。だが、桶の男の子――おそらく新太という名前であろう男の子がまた流れに頭を突っ込んで、きゃっきゃと笑い声を上げると、それをきっかけにみつ子が大笑いした。

「新太はごきげん。ごォきげん! みつ子はお仕事。おォ仕事!」

 と、唱えながらみつ子は腹を抱えて体を前後に揺らし、机をバンバン叩くものだから、寸胴なインクの壜の空きっぱなしの口から青いインクが二滴ほど鉱山用のランプに飛び散った。

 みつ子は笑いすぎて出た涙をインクの染みついた指でぬぐい、

「ここは逆原だよ。まったく、どこの見世の子だか知らないけど、本当に面白いこと言うねえ。ひょっとして、幇間かい? でも、男の幇間なんて聞いたことがないねえ」

「男の幇間を聞いたことがない?」扇は訝しげに言った。「普通、幇間は男がやるもんだろう?」

「なに言ってんだか。幇間といえば、女の仕事。男の仕事は芸者だよ」この、扇たちよりも一つか二つ歳が上らしいみつ子が先達めいた風を利かせて教えた。「まさか、あんたたち、女が花魁をやるだなんて言う気じゃないだろうね?」

「違うのか?」

「違う? あははは。花魁といえば、男に決まってる。廓に来る客は男が目当てで来るんだよ? 張見世に女が座っていたら、逆原はお客にそっぽを向かれちまうよ。まったく。何度、まったくと言ったか知れないよ。さあ、もう行っておくれ。あたしには仕事があるんだ」

 みつ子は緑に塗られた木の扉へと三人を追い立てた。

 扉の先には逆原があった。

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