六の二
三人はまだ落ちていた。頭上を仰ぐと、小さなピンの頭のようなものが光っているが、あれが三人が落ちた穴である。それからずっと落ちているのだが、逆に浮いているような気もする。
実際、扇たちが落ちている速度はひどく緩慢で、見えない落下傘で引っぱられているかのようだった。
縦穴はよく磨かれた板材を縦に何百枚とつなげたものらしく、ところどころに真四角の壁龕が開き、三つ巴紋を染め抜いた提灯が据えた匂いのする灯を点していたので、彼らが落ちた穴がはるか上でもうじき見えなくなりそうになっても、明かりの心配はせずに済むようだった。壁龕や板壁にはいろいろなものが置いてあったり貼りつけてあったりした。今、扇の目の前を下から上へ亀のようにゆっくり過ぎていく壁龕には和紙で作った立版古があった。路辺の虫売り屋台の立版古で青と白の市松屋根の屋台の真ん中の担ぎのところに手ぬぐいを首にかけた虫屋が座って、三盛亀甲の赤い団扇を手にして左を見上げているのだが、そこには浴衣姿で島田に結った女がいて、鈴虫の入った椎の実の形をした虫籠を見ているのだが、これも灰色のすやり雲が走った赤い団扇を手にしていた。だが、この立版古は虫籠と屋台が一枚の紙に描かれている。それに対して、屋台の照明を司る二つの行灯は赤い花を結んだ枝が描かれていて、虫売りの行灯にしては趣味がよすぎる気がした。その行灯は箱型になって見るものに対して立体的に飛び出していたので、浴衣姿の女が虫籠を見ているのか行灯を見ているのか分からなくなった。もっと恐ろしいのは市松屋根の左上にこの屋台とまったく同じ形の虫籠が置いてあって、そこでも虫屋が座り、浴衣の女が籠だか行灯だかを見ていて、その屋根の左上にはまた屋台とまったく同じ虫籠が……。
永遠の繰り返しを想起させるものは、いつまで経っても下の見えない穴を落ちながら見るものとしてはぞっとさせられる。
かといって反対側に目をやれば、春画とも風刺画ともつかない浮世絵がかかっていた。まだ浮世絵師のあいだでプルシアンブルーが流行る前の作らしく、女を買うつもりで陰間茶屋にうっかり足を踏み入れた小太りの男が紫の衣をくつろがせた遊女だと思っていた美少年の股ぐらに生えているものに仰天して尻餅をつき、それに驚いたぶち猫が隣の部屋へ飛びのくと、そこには黒鉄の取っ手がついた引き出しが五段ある漆塗りの道具箱を傍らに少年が遊女へと変貌する途上が描かれている。壁には二棹の三味線がかかっていて、それが逃げ込んだぶち猫の不安な未来を暗示し、またそれを通して、小太りの男にも訪れうる不安な出来事を垣間見せるような気がする。
他の連中は何を見ているんだろうと思って見渡すと、火薬主義者が清の薬屋の看板を見ていた。丸薬に見立てた黒い粘土製の玉が縁起を担いだ末広がりの八つ連なってものが三本ぶら下がっていて、それぞれの一番下には真鍮の魚が二匹、腹を向け合う形でぶらさがっていた。そのすぐ下には印刷所を出たばかりでまだ温かく、インクの匂いがする外国の絵入り新聞が一枚ぺたりと貼りつけてあったが、そこに描かれている風刺画(つばが大きくリボンの立派な当世紳士風の麦藁帽子のなかから外国語で書かれ赤と青の判子を押された有価証券らしき紙切れが何十枚と落ちてきて、その下を頭でっかちの小さな人間たち――シルクハットの紳士、片眼鏡と皇帝鬚の軍人、腰を竹串くらいの細さにまで絞った上流婦人、赤い帽子をかぶった枢機卿らが頭上に舞う紙切れを手に入れようと必死になって手を伸ばし、カエルかバッタのようにぴょんぴょん飛び跳ねている)から判断すると、何かの経済に関する記事が一番の内容となっているらしい。
寿は狩衣の袖で空気抵抗が増しているせいか、扇と火薬中毒者よりも少し上にいて、四隅に真鍮の打ち金を梅の花模様に打ちつけた本棚から久保田米僊の『漫遊画乗』を取り出して、ぺらぺらと頁をめくっていた。紙面のなかで阿片を吸った一人の清国人がたっぷり二人は寝られそうな中国式の固い寝椅子に横になり、辮髪を前に垂らしたまま、うっとりとしていて、左足の沓を履いたままにしていることも何もかもどうでもいい様子だった。これは阿片窟には違いないが、掛け軸だの竹の手すりがある八角形に切った窓だの、椅子の隣の小机に花を生けた瓶があるところからすると、それなりに格式の高い阿片窟のようだった。それは上海の一景だったらしく、しばらくめくると、香港が出てきた。丘の上に綬と金モールの肩章をつけた海軍軍人の銅像が立っているが、それは大英帝国海軍が銅像の立てられる場所には必ず立てる、あの片腕と片目の提督のものではなかった。件の像はおそらくは敵艦から放たれた砲弾が彼の真横に立っている副官の頭をもぎとっていっても、なお冷然と立っていられる英国人の勇者をかたどった像なのだが、像のまわりには元気のない針葉樹の他に何もなく、遠くの空で海鳥が数羽飛んでいる。彼の睨みをきかせるはずの海は針葉樹に阻まれてほとんど見ることができず、二隻のジャンク船をかろうじて見分けることができたくらいであった。寿は本に退屈したらしく、漫遊画乗を本棚のもとの位置に戻した。寿はそのくらいの速度で落ちていたのだ。
縦穴は横二間、縦二間、深さは知れないもので、落ちても落ちても底が見える気配はなかった。そのあいだを三人は誰かの記憶を具現化させたような穴のなかをゆっくり落ちていく。そうだ。誰かの頭のなか、記憶のなか。子どものころ、虫屋の立版古で遊び、うっかり陰間茶屋の浮世絵を見て、恥ずかしがり、清や西洋の国に行ったことがあり、言葉も分かり、漫遊画乗を購入した人物の印象と思考のなかを落ちているのだ。あまりにも滞空時間が長すぎて、自分たちは天原にいるのだという自覚は捨てていた。半分神さまの寿と全部まるまる火薬でできた火薬中毒者がいれば、たいていのことには驚かないものだ。
「まあ、いずれ終わりは来るだろう」
扇は自分に言い聞かせるように言った。穴の底はぼんやりとした光で穴が続いているのか底が見えているのか分からない。そうしているあいだにもいろいろなものが過ぎていく。
そのとき、竹製の柱隠しがぶらさがっているのが見えた。行書で、おこしやす、逆原、と書き殴ってある。
「逆原?」
三人の声がそろって疑問を投げかけた途端、重力がきちんと仕事をし始めて、三人は真っ逆さま、声を上げる間もなく穴の底に落ちていった。




