六の一
十月、ついに天原白神神社が完成する。
そのまわりを扇と寿、そして火薬中毒者の三人が散歩をすると、そこに奇妙な穴を見つける。
火薬中毒者は穴の深さを確かめるといって、火薬の入った試験官を投ずるが……
十月の半ば、ついに天原白神神社が完成した。
その造営完了の式典が吉日の快晴の日を選んで開かれ、九十九屋虎兵衛ら総籬株から俥宿の飯盛り女までが、天原を依り代とする神体の住まいが出来上がったことに晴れ晴れとした気持ちでいた。
神さまと天原のつなぎ役である寿は立烏帽子に白の狩衣姿で「かしこみ、かしこみ~」と知らぬ造営の文句を玉串を振ってごまかしごまかし唱えていた。
こうして完成した天原白神神社だが、扇が寿から聞いた話では、ここには初めて来たという気がしないらしい。たとえるならば、蛮族の侵攻のために放棄した都に十年後戻ってみたら、宮殿の宝物庫から炭小屋の刃の欠けたノコギリまで、何一つ損なわれることなくきちんと残っていて、一善飯屋の店先にかけられていたしじみ汁の鍋でさえ、十年前のときのまま、ぐつぐつと食べごろに煮立っているのを見たような感じだ。まるで誰かがいつ帰ってきても何一つ損なわれていないという事実を残すためにあらかじめしじみ鍋を用意し続けたかのごとく。だから、これが造営完了からまだ三時間と経っていない神社の赤ちゃんなのだとはどうしても思えず、もうずっと前からここにいるような気までするというのだ。
もっとも、寿も神さまに言われて、神社が完成と同時に馴染むように、ちょっとした意匠を凝らしてはいた。石灯籠に苔を乗せたり、絵馬を自分で書いて吊るしたり、千社札を鳥居や社殿に貼りつけて、それを剥がして、また貼りつけたりして、神社に歴史を根づかせようとしていたらしい。神社にとって歴史というのは学究の対象でもないし、詰め込むだけ詰め込む暗記科目でもない。いかに上品に古びて見えるかだった。こまめに手入れはしていないため、石畳のあいだから小さな緑の芽が見えることはあるが、けっしてなおざりにされているわけではなく、専門の植木職人ではなく、近所の住人が自発的にやってきて、掃除したり、枝を切ったりしてくれるので、木の枝が社殿の屋根を引っかくようなことにはならない、というのが理想の神社像であるらしい。
そんな話をしているあいだ、扇は黒の上衣に指先まで覆う長手甲をつけ、まだ狩衣姿の寿の後ろをついて神社のまわりをぐるぐる歩いていた。寿は神は万能であるというキリシタン風の考え方で神さまにお願いをしにくる連中がこれから押しかけるであろうことを嘆いていた。彼に言わせれば、神は万能などではなく、むしろできないことだらけなのだ。なるほど仲町の桜を常春のごとく咲き乱れさせることはできるが、自分たちを苦しめたヤマトの暗殺機関に天罰を食らわせることはできないし、それどころか今この場でひったくりに巾着袋を取られても、何もできないのだ。ひったくりがすっ転ぶよう地面を動かしたり、固い植物の根を土のなかから引っぱり出して、ひったくりの爪先にひっかけるようにもできない。
「ないない尽くしなんだよ。神さまってのは」
何せ神さまのなかでも一等偉い、日本を作った神さまにいたっては、いじけて洞窟に蓋をして閉じこもり、他の神さまの説得も聞かず、引きこもり生活を続けようとしたもんだから、神さまたちは一計を案じ、外で宴を楽しそうにやっているところをつい覗き見しようと蓋を開けた建国の神さまを全員でとっつかまえて、外に引きずり出すという恐ろしく人間くさいことをするのだ。
「だいたい何でもできるなんておかしいじゃないか?」寿はイスパニアの異端審問に引っかかりそうな話題を弄ぶ。「何でもできるなんて、そんなのあるわけないよ。たとえば、誰にも持ち上げられない岩を神さまが作る。誰にも持ち上げられないわけだから、もちろん神さまもその岩を持ち上げることはできない。じゃあ、誰にも持ち上げられない岩を作らなければいいかといえば、そうすると神さまは誰にも持ち上げられない岩を作ることができないってことになる。たぶん、このことに気づいたのはおれが最初なんかじゃなくて、たぶん何千年も前から論じられていることだと思うんだ、おれは」
扇は、ふああ、とあくびをした。神さまなんて言われても、ピンと来ない。厄除けのお守りも、すず、久助、火薬中毒者相手には効かないという。
事実、既に火薬中毒者が二人の後ろ三歩の距離をついてきている。
何をしているかとたずねると、天原白神神社を発破解体する際の爆薬の仕掛け場所を考えているという。
「何でそんなことを考えるんだ?」
扇がたずねると、火薬中毒者は言葉を失い、え、逆にどうしてあなたは考えないのですか?といったふうな顔をした。建物を見たら、まず発破することを考えないほうが常識から外れているという顔だ。
実は火薬中毒者はいつ発破解体の注文が来てもいいように天原にある建物は白寿楼から屋台堤の汁粉屋まで、頭のなかで試しに爆薬を仕掛け木っ端微塵に吹き飛ばしているらしい。
「なあ、寿。こいつ――」
「無理。さっきも言ったとおり、神さまはできないことのほうが多いんだ」
「さっきからお二方何の話をしているんです?」
「火薬以外の会話だ」
「神さまは何でもできるわけじゃないって話さ」
「ああ、なるほど」
火薬中毒者はあっという間に二人の話題への興味を失い、また神社の発破解体に思考を預けた。火薬中毒者は書生風の服に二重回しを身につけているが、その内側に何十本という試験管を入れるための筒状のカクシがあり、そのなかには彼の火薬研究に必要な薬品や食用としての火薬、調味料としての火薬、飲み物としての火薬がつまっている。試験管に入った火薬のなかには衝撃を与えると爆発するものもある。一つ救いがあるとすれば、扇はそれをまったく知らないでいる。知ったところで心配事が一つ増えるだけのことだ。
「おや?」
火薬中毒者が神社の境内から外れた黒ずんだ草むらに目を凝らした。
「扇さん。寿さん。あの穴は何です?」
扇が振り向いた。すでに草むらに分け入った火薬中毒者のオイデオイデをしている。嫌な予感しかしなかったが、寿が、なになに? と興味津々で行ってしまったので、仕方なくついていく。
毒にも薬にも染料にもならないくせにやたらと分厚い葉を茂らせる藪のなかに穴が開いていた。その穴は撞球台の四隅に開いているくらいの大きさの穴で、見事としか言いようがないほどまんまるであった。三人で囲むようにして、穴を覗いてみる。
「もぐらが掘ったんじゃないのか?」
と、言いつつも、これはもぐらじゃないな、と扇は思う。もぐらならば穴のまわりに掘った土がこんもり山をつくるし、そもそも穴の形が何か専門技術を持った人間が高度な機械を使って開けたように見えるくらい完璧な円なのだ。
「工事の関係で開いたのかも。地質調査とか」
寿が言う。
経験主義をモットーにする火薬中毒者は衝撃で爆発する火薬の入った試験管をマントの内側から抜き取ると、それを穴に落とした。落ちてから爆音が聞こえてくるまでの時間で穴の深さを測ろうとしたのだが、いつまで経っても、爆音は聞こえなかった。
「おかしいな。よし、じゃあ、今度は三本一気に落としてみよう」
扇が止める間もなく、三本の試験管が穴のなかへ投ぜられた。天原の飛行機械が地中にあれば、間違いなく墜落するだろう。この危険な実験を顔色一つ行える狂気の火薬中毒者の前では自分たちなどまだ平常だと、扇と寿はつくづく思う。
たっぷり五分待ったが、音は聞こえなかった。
「爆発してないんじゃないか?」
扇はそうたずねながら、後悔した。火薬中毒者が傷つけられた誇りを取り戻すべく、扇の目の前で先ほどと同じ火薬を一滴、穴の横においてあるかなり大きな石に落としたからだ。
大男がやっとのことで持ち上げられそうな石は雷に打たれたような音を鳴らして八つに裂けた。
ず、ずん。
足元からそんな震動が伝わったのは、石が破裂してからほんの数秒のことだった。それから突然、地面が上に迫り上がり、自分の体は肉にめり込む弾丸のごとく地中へとめり込んでいた。と思ったら、寿も火薬中毒者もやたらと服をバタつかせながらめり込んでいた。
いや、落ちていた。
あの穴が衝撃で壊れて、縦穴がつくる長い空洞へと三人は落ちていたのだ。




