五の二十四
総籬株会議が開かれて、天原の時間を洋式にするかどうかの議論が始まった。陸の国のほとんどが西洋式に変更している現状を鑑みて、天原もそれに対応すべきだという議題が扇たちが長崎にいるあいだ話し合われていたらしい。
そして、採用が決まったのが、扇たちが帰ってきた日のことだった。
つまり、天原から帰って二日目の午前十時半。
その朝、扇が持ってきた壁かけ時計が時千穂道場の柱にかかっていた。一時間ごとに鳩が飛び出すその時計をりんは気に入ったらしく。十時や十一時の節目には必ず時計のかけてある柱まで見に行った。
りんは鳩に〈きゅう太郎〉と名前をつけていた。
〈流れ〉の稽古が終わり、りんと扇は縁側に座っていた。
きゅう太郎が時計から飛び出すのにまだ四半刻――三十分ある。
シギの群れが南へ飛んでいく。空には雲一つなく、地平線は光の照りの妙で紫がかっていた。
すずは相変わらず万膳町に入り浸っている。
道場は相変わらず流行らず、弟子は扇一人である。
冷たい水で喉を潤しながら、いつかきこうと思っていたことを扇はついにたずねることにした。
「すずのことなんだが――」
「姉さんがまた何かしましたか?」
「いや。そうじゃない。ただ、昔の話を聞いたんだ」
「昔の話?」
「あんたの祖父が死んだときのことだ」
りんは、何か言いかけて、言葉を飲み、やはり言うことにしたらしく、
「お墓を見たんですか?」
「ああ。墓参りしてるのを見た」
「確か、姉さんは長崎でも一人……」
「ああ。斬った」
「そうですか。――姉さんは斬ったんですね」
「斬らないと他の誰かが死ぬところだった」
「あのときもそうでした」
りんは空を見上げた。次々と飛んでくるシギの群れはどうやら一族ごとにまとまって飛んでいるらしく、他の群れに混ざろうとしない。旅鳥は日本にいるのはほんの仮泊まりで南の国へ一目散に飛んでいった。
「おじいさまが亡くなられたとき、わたしは泣いてばかりでした。だから、わたしがあの道場破りさんの相手をすることはできませんでした。それで、姉さんがわたしの代わりに、あの人を斬ったのです。姉さんは、お姉ちゃんなんだから妹を守って当然、とあのとき言ってくれました。でも、その日の夜、姉さんはわたしに隠れて泣いていました。姉さんが泣いたのを見たのは後にも先にもあの一度きりです」
「……余計なことをきいてすまなかった」
「いえ。いいんです。いずれは知れることですし、そういうところも含めて、姉さんのことを扇さんには知って欲しいんです」
「そうか――」
南から吹く風が天原白神神社を建てる音を運んでくる。藪と道といくつかの畑越しに聞こえる木を打つ音は雑味を吸い取られて、神の住処を作るらしい純粋な木の音だけになって二人の耳に届いた。その音は心の深いところへ落ちていくようで、耳を澄ませていると心が落ち着――
「りん! 扇さん! 大変です!」
すずの上気した声が全ての音を木っ端微塵にした。
すずは畑のそばの畝を飛び越えて、道場の敷地に入るなり、
「カステイラですよ、カステイラ! 万膳町に蒸気仕掛けのカステイラ屋さんができたんです! これでいつでもカステイラを食べられますよ!」
と、手を胸の前で組んで夢見る心地でうっとりとしていた。
やはり、これがすずらしい。
不思議と落ち着く。カステイラの魅力を熱心に説くすずを見て、扇は何だか体のなかにこずんでいた重いものが消えたような気がした。
第五話〈了〉




