五の二十二
独立戦争当時、安永が阿片貿易に手を染めたのは戦うための武器弾薬、生きるための食料を買うためであった。敵から奪った食料と武器だけで戦争を戦い抜いたことになっているが、実際はまったくの物資不足であったのだ。西欧列強は政府として表立っての介入は避けたが、騎士修道会のための阿片貿易のために船を貸してくれる海外宣教団や個人貿易会社はあった。そして、望月商会のような国内の廻船問屋も。
安永は阿片貿易を行い、肥前以外の土地に住む非キリスト教徒に対して売り払い、その金で戦争を戦った。聖戦のために異教徒たちを阿片禍に放り込むことに、まったく罪悪感がなかった。あのとき、あったのはこの長崎のキリシタンの灯火を消してはならないという狂信的な使命感だけだった。
独立し、長崎騎士修道会がヒゼン国の政府となると、安永はただちに阿片貿易を取りやめた。あれは軍資金を得るための非常手段であって、恒常的なものにするつもりはなかった。
そのうち、長崎騎士修道会は慈善事業の一環で清の阿片難民を引き受けるようになった。
そこで安永は己が犯した罪の重さを初めて知った。
聖戦を勝利した充実感が、己の邪悪さに対する絶望へと変わるのに時間はかからなかった。
安永は全ての官職から退き、宗務長官の閑職についた。事実上の引退であり、阿片貿易に手を染めた自分に騎士修道会を導く資格はないと思ってのことだった。
だが、過去の阿片貿易を発表して騎士修道会を粛清する覚悟もなかった。それで騎士修道会の支配基盤が揺らげば、九州のキリシタンはまた踏み絵の時代へ戻るのだ。
罪の意識を抱えながら過ごす日々が十数年続いた。
そして、望月が天原で殺される。
かつての阿片貿易の協力者の死に安永は、まさか、と思い始める。
騎士団がまた阿片を扱い始めているのでは、と。
そして、その予感は的中した。
副総長が阿片の密貿易をまた再開したと安永に伝えてきたのだ。
極秘事項であると、前置きした上で副総長は騎士修道会に諜報を受け持つ部門がないこととその危険性、諜報部門を表立って持てないゆえ、阿片を秘密の資金源として非公式な諜報組織を作るという計画を明かした。
副総長がその計画を安永に明かしたのは、安永がかつて阿片貿易で独立を勝ち取った経緯を知っていて、騎士修道会のためであれば阿片貿易に協力してくれるはずだと思ってのことだった。
だが、安永はかつての安永ではなかった。阿片の密貿易に心から悔い、そして、阿片に手を出すものがいるのであれば、自分が責任を取ってそれを阻止しなければいけないと覚悟を決めていたのだ。
副総長は自分で自分の死刑執行命令書に署名をしたことになる。ただ、副総長は他の幹部の名は伏せた。拷問する手もあったが、そんなことはしたくもない。
紗枝に罪をなすりつけたのは、別に紗枝を狙ったわけではない。椿でもよかったし、他の誰でもよかった。
騎士団で他に阿片に関わった幹部をあぶりだすために、望月を殺したものたちの手先が島のなかにもいると思わせて、正体を出すか、阿片を動かすかするのを待つための一時的な手段に過ぎなかった。
もちろん、第二、第三の殺人が起きれば、紗枝は釈放されるだろう。そう思っていたが、監察長官の梅野が余りにも愚かだったが故に、そうはいかなかった。
紗枝は獄につながれたままであった。
そのうち、外務長官の高間崎が変装して逃げようとしたので、これを殺し、それに焦った軍務長官の菅森が阿片を全て積んで逃げようとしていることを島の全機関に密告した。
馬鹿馬鹿しい話だが、阿片密貿易に絡んだ幹部たちはかつて安永が幕府軍と戦うために掘った地下の陣地に阿片を隠していたのだ。
どうあがいても独立は阿片によって穢される運命にあったらしい。
「後はきみが言ったとおりだ。副総長を殺害した直後、返り血を隠すために修道着をかぶり、手紙を糊でつけて落ちるようにした。たまたまあの二人があの時刻に毎日稽古をつけていることを知ったからだ」
菜園の脇に屈んで名もなき花を指先で優しく撫でてから、老騎士は立ち上がった。
「監察庁へ行こう。総長も立会いのもとで全てを話す。あの少女にも謝りたい。可能であればだが」




