五の二十
長崎独立戦争はまず長崎市街でキリシタンが蜂起し、長崎奉行を襲撃、火を放ったことで始まった。初めは西洋列強がキリスト教国家の誕生を好意的に見ていたし、武器を供与してくれる国もあったが、まもなく幕府との貿易のほうが大切だと主張する各国外務省の命令で西洋人たちは独立戦争に一切の手出しができなくなった。
長崎騎士修道会が成立したのは陸のキリシタンは殲滅され、高鉾島へと集まったときだった。当時の高鉾島は何もない松が茂った島だった。幕府と各藩の軍勢が島へ上陸する前、騎士たちは島に坑道をつくり、隠れるための穴を掘り、島に上陸した幕府兵を殺害し、武器を奪い、また隠れる繰り返しを行った。
初代総長の安永がこの戦いを指揮し、ついに幕府軍を島から追いやると九州中のキリシタンが集合して、多大な犠牲を出しながら、徹底的に幕府軍に追い討ちをかけた。
扇たちが手に提げた洋灯を頼りに歩いているのは、そのときに作られた坑道だった。どうやら当時のキリシタン軍には鉱夫として働いたことのあるものがいたらしく、坑道は狭いながらも、しっかりと無駄なく支柱で押さえられていて、三十数年経った今でも崩落の兆候は見られない。
扇、すず、仙十郎、椿に加えて、トサ商館の坂本竜馬が散弾を発射できる大型の回転式拳銃を手に同行して、さらにウィンチェスター・ライフルを使える三人の商館員も連れてきた。セッツ商館からも銃を使える人間が五人付いてきている。
阿片貿易は海で商うものにとって許せないことであり、他人事ではない、と言い、助力をしてくれたのだ。
おそらく監察にも手紙は入っていて、もう捕り物は始まっているかもしれない。
匿名で放り込まれた手紙は高鉾島の主要施設をつなぐ気送菅でやってきた。独立戦争時代の地下の陣地に港があり、そこから最後の幹部が阿片を積み出そうとしている。その幹部の名は――
軍務長官、菅森時子。
おそらく他の軍務庁の騎士同様、椿もその目で見るまでは信じられないらしい様子だった。この事件は多くの人間を「なぜ?」という短くも残酷な言葉で苛んでいる。
監察は外務長官の死体が上がっても、紗枝は暗殺団の一味という見解を捨てていない。
あの馬鹿たち。
その頑なな考え方に扇はイラつきを覚える。
緩やかに曲がっていく坑道の奥から重いものを動かす摺り音が聞こえてきた。うっすら灯が滲んでいて、人の話声もする。
扇が洋灯を後ろにいる仙十郎に預け、一人、様子を見に行く。
大きく弧を描いた船着き場がある。粗末な木の桟橋に中型汽艇が横付けされていて、甲板にいる数人の騎士が木箱を船倉に運び込んでいる。
それを指揮している軍務長官の姿が見える。騎士外套に剣を下げていて、回転式拳銃の入る銃嚢を腰につけていた。
扇の後ろで息を呑む音。見ると、椿が怒りと哀しさと空しさの混じった目を、甲板の軍務長官に向けている。
扇は手振りで抑えるように合図し、どうにか近づけないか遮蔽物を探す。
船を挟んだ向こう側に大きな入口が開いている。一味と見られる二人の騎士がスペンサー騎銃を手にその入口を見張っている。
だが、その穴と反対側の壁に小さな入口があることに騎士たちは気づいていない。
そして、その穴から監察騎士が一人、顔を出した。
あの監察長官だった。
それから起きた出来事は――まあ、勇気は認めるとしても――全く信じられない馬鹿げたものだった。
「動くな!」と大声で叫んで隠れ場所から飛び出したのだ。「貴様ら、全員を騎士修道会より与えられた権限において――」
大穴を見張っていた騎士の一人がスペンサー騎銃を撃った。監察長官は顔の左半分を吹き飛ばされて、ずんぐりした体は独楽のようにまわりながら岩の上に斃れた。
刹那、三十以上の銃が一斉に火を吹き、穴を見張っていた騎士二人を薙ぎ倒した。
十三歳の騎士総長に指揮された監察騎士の部隊がどこに隠れていたのか、あちこちから湧き出して発砲し、阿片を運んでいた騎士が一人、甲板ごと銃弾にズタズタに切り裂かれた。
仙十郎と椿が隠れていた場所から飛び出し、すぐそばで弾丸を装填しようとしていた騎士を一太刀に斬って捨てる。扇がそれを援護しようと左手で棒手裏剣をつかもうとするが、手に激痛が走って、手裏剣を取り落とした。
舌打ちしつつ、右手の刀を脇に置き、落とした手裏剣を右手で放つ。棒手裏剣は仙十郎をライフルの銃剣で突こうとした騎士の眉間を貫いた。
「操舵室を撃て!」
竜馬が叫ぶ。たちまち五丁のウィンチェスター・ライフルから発射された弾丸が真鍮の煙突や舵輪、海図台、阿片を入れた箱、そして操舵役の騎士の体に埋まる。
船倉に隠れた騎士と岩に隠れた監察騎士たちが撃ち合いをする横で軍務長官は船と岩場のあいだに渡された板を走って逃げようとしている。
「待て!」
仙十郎が声をかける。軍務長官のほうは回転式拳銃を手に振り向き、いきなり発砲した。
竜馬が仙十郎を押し倒し、自分の銃を発砲する。
軍務長官が腹を殴られたように体をくの字に折り曲げた。散弾が体の中心を捉えたのだ。何発かが外套の下に付けていた鉄の胸当てを貫いたらしい。軍務長官はよろめきながら、板を渡ると、渡し板を蹴り飛ばして海に落とし、奥の上り階段へ消えていく。
「いちち……」
竜馬の肩を弾がかすめて、肉がそがれていた。
「なんちゃあない。かすり傷じゃ」
扇は走って、軍務長官を追って、舷側から岩場へ跳躍した。三間離れた距離をまるで豹のように軽々と跳び、軍務長官が上って逃げた階段へ走る。
壁龕に蝋燭が一本入っただけの踊り場を五つ上って過ぎていき、出口から様子を窺う。
鈍い痛みに呻き、よろめきながら軍務長官が鋳鉄製の柵の門へ歩いていく。銃はぶらりと下げた手に握られている。
鋳鉄の柵門が開いて、宗務長官の安永と騎士三人が姿を現わした。安永は修道着を上に着ているが、剣の柄はうまい具合にポケットから突き出るようになっていたので、すぐに剣を抜けたが、そこまでだった。
軍務長官が撃った弾が宗務長官の右肩の骨を砕いた。三人の騎士に支えられるようにした倒れた老騎士にもう一発撃ち込もうとしたところで――
すずが風をまくように走りこんで、手裏剣に手を伸ばしていた扇の横を一呼吸で跳び過ぎた。そして、海心子秀清作の片手打ち二尺一寸を一本だけ抜き、左片手打ちを軍務長官の右のこめかみに放つ。
すずの刀は軍務長官の頭蓋をこめかみから耳と目を上下に両断し、鼻の筋まで斬り割った。骸が刃から外れて、血煙を噴きながら、軍務長官がすずの足元に崩れる。
一体、いつから?
扇は自分の後に誰か付いてこられるとは思っていなかったし、すずの気配すら感じていなかった。突然、風が渦巻いて、そのなかからひょいと現われたかと思うと、次の瞬間には軍務長官が物言わぬ屍に成り果てていたのだ。
すずはというと、骸の手から銃を蹴り飛ばすと、懐紙で血を拭い、ゆっくりと納刀した。
すずは扇を振り返ると、
「斬ってしまいました」
と、いい、ふにゃっと柔らかく、哀しげに目を細めて微笑んだ。




