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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第五話 扇探偵と長崎の騎士
80/611

五の十八

「しばらくは無理じゃな」

 世界地図の部屋。竜馬が扇とすず、仙十郎に告げる。

「騎士たちがどうあっても現場を見せてくれんき」

「だが、殺されたのは外務長官で阿片が現場にあった?」

「それは違ぁない。外務長官は逃げゆうつもりだったのかもしれんのお。それより思い出したことがあるんじゃ」

「思い出したこと?」

「ほれ、あの気の強そうな騎士ん娘。やっぱり昔に見ちょったのよ」

そう言って、竜馬は一束の書類を取り出した。

「これは?」

「トサが扱った難民の移送記録じゃ。正確には清からの阿片難民じゃ」

「阿片難民?」

「清がイギリスと戦うた阿片戦争を知っちゅうじゃろ? あの後、阿片が原因で親を失い、行く先ものうなった子が清にはこじゃんちおったんじゃ。えずいことでの。それで阿片の孤児を日本に引き取って育てようちゅう運動が十年前くらいにか、流行ってのう。わしもそのとき、長崎におって、それに参加したんじゃ。そのときにあん娘を日本につんでいったんじゃ」

「間違いないのか?」動揺を隠せない仙十郎がたずねる。「もう何年も前のことだ」

 竜馬が哀しげに首をふった。

「間違うようがない。広東の港を出るとき、イギリス艦の船尾にかかったイギリスの旗を見て、目に涙をためて、歯を食いしばって、手を血が出るまで握り締めちゅうた。あんときの顔は忘れようにも忘れられんぜよ。これを見てみい」

 難民記録書の一覧がある。名前や出身地、年齢など判明しなかったところが空欄になっている虫食いだらけの記録には広東郊外出身で阿片禍で両親を失った名も無き少女が肥前のある村で庄屋をしているキリシタン夫婦のもとに引き取られたことが書いてあった。そして、新しくもらった名前も。

 ――川路椿。

 椅子に座っていた仙十郎が立ち上がり、難民記録を鷲づかみにすると部屋から走り出る。

「わし、なんぞ悪いこと言っちゅうたかの?」

「いや」

 扇はそう言うが、顔色が優れない。仙十郎が椿を詰問しにいったのは間違いない。

 偽手紙に動機が加わった。

 椿は今、限りなく黒に近い灰色だ。

 とんとんとん。

 音がする。

 見てみると、安楽椅子探偵は安楽椅子に座り、仙十郎の苦悩や扇の焦りをよそに金平糖を相手に一対一の戦いを挑んでいた。どうやら、最後の一粒、青い金平糖が溶けかけて、瓶の底にくっついたのを逆さにして口を開け、瓶の底をとんとんとんと叩いて、自分の口のなかに落とそうとしているらしい。

〈マリー・ルジェの謎〉という小説を読んでいないので分からないが、安楽椅子探偵が犯罪者の代わりに瓶底の金平糖相手に戦うものでないことくらいは分かる。

 ときどき、扇はすずに呆れを通り越して、感服したくなることがある。いついかなるときでも、自分を失わずにいるには意志の強さが必要だ。

 とんとんとん。

 すずは真剣な顔で瓶の底を叩く。金平糖一つにそこまで真剣になれるのなら、その真剣さをほんの一さじでいいから、何か世の中の役に立たせるために使ってほしいものだ。

 と、思いつつ、扇は仙十郎の後を追うべく立ち上がった。

 そのときだった。

「あっ」

 金平糖が重力と絶え間ない打撃に負けて、すずの喉へ真っ逆さまに落下したらしい。すずは瓶を取り落とし、ゲホゲホ咳き込んでいた。

 本当にしょうがないやつだ。扇はそばにあった水差しに水を注いで渡してやる。

 すずがそれをごくごく飲む。

「ふーっ、死ぬかと思いました」

 一粒の金平糖相手に窒息死寸前に追い込まれた師範代なぞ世界を探しても、すずくらいのものだろう。

 皮肉の一つも言おうと思った瞬間だった。

 扇の頭に一つの閃きが生まれた。

「驚いた……」

 扇がこぼす。

「何がですか?」

「あんたでも役に立つことがあるんだな」

「むっ。褒めているようで、なんか失礼なことを言われている気がしますね」

「いや。本当に褒めてるんだ。あんたのおかげで一つはっきりした」

立ち上がり刀を差しながら、扇が言う。

「偽の手紙を置いたのは椿じゃない」

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