五の十四
椿が軍務長官の菅森に休暇届願書を提出したのは午後の祈りの後、大聖堂の側廊でのことだった。
「監察長官の捜査に疑問があるということか?」
「はい」
椿は直立不動の姿勢で答える。
「重谷紗枝はお前が教育を担当していたな」
「そのとおりです」
「監察庁のやることに私情を挟むことは好ましいとは言えない」
「いえ、閣下。私情ではありません。もし、紗枝が望月氏を殺害した暗殺団の徒党であるとしたら、なぜあのように無防備に現場に残ったのでしょう? 少なくとも望月氏を殺害した部隊は空を滑空して逃げる工夫をしていたにしては、今度の殺人はずさんさが目立ちます」
「天原からやってきたトサの賓客の話か?」
皮肉を挟まない純粋な質問に椿が力強くうなづく。
「たとえ、お前が彼らと重谷仙十郎の活動に手を貸すとしても、軍務庁が監察に干渉することはできない」
「わたしの一身上の都合で行動します。軍務庁にご迷惑はおかけしません」
菅森は椿を見る。固い信念があると察すると、蝋燭が捧げられた聖母マリア像をちらりと見やって、
「分かった。休暇届を受け取ろう。自分の信じるままに行動するといい。ほとんど貢献はできないが、わたしにも何かできないか、考えてみる」
椿が一礼する。
「ありがとうございます。閣下」
予想通りの対応だった。
門前払い。扇と仙十郎、そして椿さえも監察庁の建物に入ることすらできなかった。
もちろん、紗枝との面会なぞ論外である。
そんなことは百も承知だ。
扇の狙いは別にある。
門番相手にしぶとく粘るうちに監察長官が出てくるのを狙う。さっきから二階の窓からこちらの様子を窺っているのが見える。
扇はわざと聞こえるように、監察長官の性急さや短気、挙句の果ては自分たちを女郎屋呼ばわりしたこともつけ加え、覗いている窓のほうを指差して、次に人差し指で自分のこめかみを指差して、指先をくるくるまわした。
扇の狙い通り、監察長官が自分で降りてやってきた。茹だこのように真っ赤な顔をして、扇のことをわざとらしいうやうやしさでトサの賓客と呼び、このまままっすぐ帰るよう自分を抑えながら、警告するように言った。
「あんたじゃ話にならないな」扇はその言葉に火薬樽へ松明をねじ込むような効果を期待しつつ言った。「あんたが面会の許可をくれないなら、総長本人にかけ合うつもりだ」
「調子に乗るなよ、女郎屋の用心棒」
案外はやく本音が出たなと思い、わざと微笑しつつ返す。
「別に調子に乗ってなんかいないさ、監察長官さん。ただ、こっちには容疑者の兄がいるんだから、面会の手はずの一つや二つ整えられるはずじゃないか」
「このまま、まっすぐトサの屋敷に帰れ。さもないと、お前もぶち込むぞ」
「へえ。何の罪で?」
監察長官はだいぶかっかしてきたのか、襟に指を突っ込んで、襟元を強引に開いて、涼しい空気を服のなかに入れようとしていた。
「公務執行妨害なり、官憲に対する事実無根の噂を流布した煽動罪なり、好きなものを選ばせてやる。それとも異端審問にかけられるのがお好みか?」
「ちゃんと安全なんだろうな?」
「なに?」
「つまり、真犯人の気が変わって、紗枝を殺す気になったとき、ちゃんと安全な場所に収監されているんだろうなときいているんだ?」
監察長官の堪忍袋の緒が切れた。
「いいか! あの小娘は〈崖の牢〉に閉じ込めてある! 誰もあそこには近づけん! お前も、お前の想像のなかの真犯人とやらもだ! これ以上、わたしの忍耐を試すつもりなら、覚悟しておけ。貴様ら、全員――」
扇は何も言わずにくるりと背を向け、その場を立ち去った。
「大丈夫なのか?」仙十郎が扇にたずねる。「これで紗枝に面会できる可能性はなくなった」
「元々、そんな可能性はない。それにこっちが知りたいことは知った」
「だが〈崖の牢〉だ」椿が言う。「監察庁舎の向こうの崖の横穴に作られた牢屋で入るには監察庁舎の地下階からしか入れない」
「窓はあるのか?」
「確か、西側に一つ。もちろん鉄格子がはまっている」
扇は立ち止まって考えた。しばらくして、まあ、何とかなる、と自分に言い聞かせるようにつぶやき、仙十郎へ、
「妹に何か伝言はあるか?」
と、たずねる。
「話すことができるのか?」
「ああ。そのくらいならできる」
仙十郎は自分の首の後ろに手をまわして、留め金を外すと、首飾りのようなものを引っぱり出して、扇の手に握らせた。
「これを渡してくれ。絶対助けるから諦めるなと伝えてくれ。頼む」
そう言って、頭を深く下げた。




