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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第五話 扇探偵と長崎の騎士
75/611

五の十三

 次の日の朝、トサ商館で朝餉を掻き込みながら、副総長暗殺事件の調査をできる面子を数えてみた。

 まず、扇。仙十郎。そして、すず。

 いくらトサ商館が後ろ盾になったといえども、殺人現場は封鎖されているので、立ち入ることはできない。

 扇は昨夜手に入れた情報を桔蝶たちの名を伏せた上で全部話した。すずも驚いたが、それ以上に驚いたのは仙十郎だった。長崎で慈善活動で知られる商人と幼い総長を補佐する副総長が阿片密輸の元締めなどという話は荒唐無稽に聞こえたはずだ。しかし、今、仙十郎の頭は以前と比べると柔軟になっている。妹が獄につながれているとあっては、どんな不実な裏切りもあり得ることだと、半ば諦めに近いものがその目に浮いていた。

「これは騎士団の連中に言わないほうがいい」扇が釘を刺す。「ただでさえ、おれたちはやつらにとっての目の上のたんこぶだ。それが騎士団の最高幹部が阿片の密輸に関与したなんて言った日には、トサの後ろ盾も無視して、おれたちを島の外に放り出す。そして、何よりもおれたちは現物を抑えていない。騎士団幹部が阿片密売にかかわっているという証拠が固まるまで、このことは他言無用だ」

 仙十郎はもう何を信じたらいいのか分からないという顔をしている。あの温和な副総長が阿片密輸に関与していたとは――。

「おい」

 扇が呼びかけて、思考の泥炭にはまりかけた仙十郎がハッとする。

「あんたが信じるのは妹の無実だ。それ以外のことは考えないほうがいい」

「ああ……」

 朝、壁一面の世界地図がある部屋でどうしたもんかと三人で頭を寄せて考えているところに来客があった。

「お邪魔する」

 紗枝の教育係の椿だった。

「紗枝はあのようなことをする子ではない」椿が言った。「わたしにできることがあれば、何でもする。遠慮なく言って欲しい」

「ありがとう。助かるよ」仙十郎が言った。「正直、おれは騎士団からは追放状態だから、内部の情報が入りにくくなっている。その申し出はありがたい。でも、お前も気をつけろ。犯人が紗枝をはめて、あんな目に遭わせたのなら、お前の身だって犯人にとって目障りと映れば、危ないかもしれない」

「ああ。油断はしない」

 少しいいか、と断った上で、椿は扇とすずのほうへ歩いてきた。扇は暖炉の上に飾られた瓶のなかの帆船が一体どうやってつくられたのか考えて考えすぎで知恵熱を起こしそうになっていて、一方、すずのほうは昨日と同じで安楽椅子に座って、どこで手に入れたのか〈甘果調進所謹製〉瓶入りの金平糖をそばに置いて、ポリポリやりながら薄い小冊子のような本を読んでいる。海外の出版を日本語に訳したものらしく、題名は〈マリー・ルジェの謎〉。

「この本を書いた人の名前が面白いんです」すずが紙面の文字を目で追いながら扇に言う。「ポーって名前なんです。ポー。信じられますか?」

「それがどうした?」

 扇は瓶に切って、またくっつけた跡が無いか用心深く探している。

「扇さん、名前をポーさんに変える気は――」

「ない」

「そんな即決しなくても、いいじゃないですか」

「じゃあ、あんたが名乗ればいいだろ?」

 失礼する、と呼びかけられ、扇とすずがおしゃべりをやめた。椿が一礼して、

「一昨日、あなたたちの稽古を拝見させていただきました。その技の見事なことにあのとき声をかける機会を逸しましたが、こうして再びまみえたので、挨拶に上がった所存です」

 すずはできるだけ静かに本を閉じると、あのいんちきくさい〈きりりとした女剣士〉風の所作で立ち上がり、お辞儀をし、いえ、自分などまだまだです、と謙遜するようなことを言う。すると、椿がいやそんなことはないともう一度誉める。扇はどこで聞いたか覚えていないが、人が謙遜するのは二度賛辞を受けたいがため、という警句めいた格言を思い出していた。

 椿という女騎士は髪を肩に届く長さに短く切っていて、青の騎士外套に仙十郎と同じ鉄の胸甲をつけた〈きりりとした女剣士〉。こっちはふりではなく、本物の〈きりりとした女剣士〉に違いない。

 時千穂流兵法へ話がいったらしく、すずは双子の妹とこの弟子の扇とともに何とか道場を盛り立てているという苦労話をしていた。

 椿はそれをきいて、騎士になると島を出ることがほとんどなく、こうして優れた武芸者と言葉をかわす機会すら貴重である、と言った。

 すずの時千穂流兵法の極意――ただ食い、道場破りの自演、マヌケた衣装の考案を知れば、この椿という女騎士も時千穂流兵法と一時でも交流を持ったことを後悔するに違いない。

「それにそちらの御仁の棒術もすごかった」

 話が今度は扇のほうに流れてきたが、それは上流にあるすずの鉱山排水で汚れた水が扇の村に流れてくるようなもので至極迷惑だった。

 この話は間違いなく――、

「貴殿はどこで学ばれたのか、もし、よろしければ、伺いたい」

 と、なる。

 まさか暗殺者養成所で学んだとは言えない。

 すると、すずが、

「もちろん、うちの道場で学びました」

 と、素早く答えた。

 そして、虚弱体質な扇を無から鍛え上げるために師弟ともに血を吐くような努力をして、生来の体の細さなどの制約を何とか克服して、今では棒の他に、剣、手裏剣、体術など様々な武芸に長けるようになったという成功物話を立て板に水のごとくすらすらと述べてしまった。

 椿は心から感服しているようだった。

 嘘をつくものは地獄で閻魔大王に舌を抜かれるらしいが、おそらく時千穂流兵法をもってすれば、閻魔大王ですらすずの言葉に納得して、赤く焼けたヤットコを持って待機していた鬼たちを解散させることができるに違いない。

 すずと椿は事件が無事に解決したら、一度立ち合いをすると約し、椿は帰っていった。

「あん騎士ん娘、どっかで見ちゅうことのある気がするぜよ」

 竜馬の声がした。どうやら、少し前から部屋のもう一つの入口に立っていたらしい。

「見たことがあるというのは?」

 扇がたずねると、竜馬は、うむむ、と腕組みをして、首を傾げながら、

「どこで見たかはよう思い出せんが、確かに見た覚えがあるんじゃ」

「あの手の女はよくいると思うが――」

「乙女姉さんや千葉道場のさな子さんか。ううん、そう言われると、気のせいのような気もしゆうのう? でも、もう、ちくとで思い出せそうな気がするんじゃが……ああ、そうじゃ。伝えることがあったんじゃった。昨日の件じゃが、やはり厳しそうじゃ」

「そうか……」

 昨日の件というのは、天原に電報を打って、援軍を派遣させる件だった。だが、すでに扇、すず、仙十郎を引き取っている以上、これ以上騎士修道会との間柄を険悪なものにはできない。そのため、これ以上の人員を白寿楼から呼び出せるのは不可能ということだった。

「すまんのう」

「いや、こっちも無理を言って悪かった」

 竜馬は仕事があるので、そちらへ戻っていく。

 扇はすずと仙十郎を一つのテーブルに集めた。阿片貿易にかかわっている可能性のある騎士団幹部たちについて、情報を整理したいと思ったからだ。

「騎士団総長。軍務長官。海軍長官。商務長官。外務長官。宗務長官。そして監察長官」と扇は役職の名前を並べた。「騎士団の最高幹部たちだ。知っていることを全部教えてくれ」

 仙十郎は知っている限りのことを話した。

 まず、騎士団総長だが、二年前、十一歳で騎士団総長に就任し、天草四郎の名を世襲した。西坂の北にある小さな村の出身で、元の名前は中山太助。そばにある機械部品工場の少年工で歯車研磨の仕事をして貯めたお金で二十六本の蝋燭を買い、秀吉によって処刑された二十六人の聖人のために西坂の教会で蝋燭を灯した。すると、教会のマリア像が涙を流した。それ以来、そのマリア像に二十六本の蝋燭を捧げると病が治ったという例が続き、ローマ教皇の特使が派遣され、慎重に検討した結果、《奇跡》と認定された。それと同じ歳に騎士修道会から総長の地位に推された。

「十三歳の少年が阿片貿易の黒幕って可能性はないと思う」仙十郎が評する。「正直なところ、他の仕事だって務められない。ほとんどは副総長と各長官が表向きは補佐するということにして実務を握っていた」

 だが、おれが初めて人を殺したのは十三だ。すずは十二で人を斬っている――が、もちろん扇はそれを言うつもりはない。

 軍務長官は騎士団幹部のなかで唯一の女性だった。名は菅森時子。現在、三十六歳だが、騎士団幹部としては総長を除いて異例の早さの昇進だった。実戦からの叩き上げでサツマ国に流れ着いた長崎の船が襲われて、キリシタンが殺された際には、二百の手勢とともにサツマに上陸し、薩摩藩士と斬り合った。

「さっきの椿も軍務部の所属だ。軍務部では今の長官を尊敬する声が強い。人柄は高潔で、他の幹部との折り合いもいい。ただ、子どもの頃、芸者置屋に売られる予定だったところを他の少女ら数人とまとめて副総長に救われたって過去がある」

「副総長に近すぎるってことか」

「ああ」

 扇はかつての〈鉛〉を思い出し、考える。人間を道具扱いするかわりに大切な宝物として扱って、一切の思考を封じた忠誠心を作り出すことが可能かどうか。

 あながち不可能でもない気がした。

 海軍長官の吉川作左衛門が最も怪しい。阿片の密輸ともなれば、海軍が当然取り締まる。その取り締まりを自在に操れる海軍長官という立場は阿片密輸にもってこいの職務だ。この海軍長官は騎士団の中ではかなりの武闘派として知られていて、軍務長官の菅森がサツマへ攻め込むと提案した際、真っ先に賛成し、軍務長官以下二百の騎士をサツマに送り込み、それだけでは飽き足らず、サツマ側の小さな海岸砲台を二つ砲撃して潰している。

「とにかく商務長官と仲が悪い」と言う仙十郎の顔にはうんざりした様子が少し見える。おそらく二人の長官の口論を見たのは一度や二度ではないのだろう「予算の問題でいつも海軍が金を食いすぎると言って、もめるんだ。会議だけじゃない。道ですれ違うだけでも皮肉や罵倒の応酬だ。そのせいか、海軍長官と商務長官の部下たちもそれぞれ陰険な対立が持ち込まれている。正直、海軍と商務の下についてなくて良かったと思えたもんだ」

 その商務長官の相沢五郎は丸い縁の眼鏡をかけた小男で騎士というよりは帳簿係だった。何事においても小心で、平の騎士ですら、それを陰で馬鹿にしているが、その小男が激昂するのが、海軍長官の吉川との口論だった。人ががらりと変わり、海軍が関税収入のほとんどを浪費したと責めると誰も止めることができない。

「阿片で騎士団の財政が改善できると知れれば、ためらうことなく阿片を扱うだろうな。それ以外には特に特徴のある人ではない」

 外務長官の高間崎尚之は騎士らしい騎士だった。身ぎれいで挙措動作が洗練されていて、押し出しもよく、まさに外交向きの社交的な性格をしている。ただ、ボタンの糸のほつれだの、外套の裾と長靴の釣り合いだの、剣の腕がさっぱりなくせに細かい服装規定にこだわるため、部下からの評判はあまりよくない。

「完全なインク飲みだ。まあ、書類仕事は一級だよ。この人が諸外国との条約や覚え書きを作るときは本当にスキのないものを作る」

「外交官なら英領インドと話をつけることもできるな」

「そういうことになる」

 英領インドから阿片を買い、日本まで運ぶ全作業をスキのない仕事ぶりで成し遂げる様を想像する。ありえないことではない。

 宗務長官の安永義実は扇も一度会ったし、長崎独立戦争における活躍も桔蝶から聞いた。初代騎士団総長だったが、戦争が終り、ヒゼンと長崎が安定すると、総長職を辞した。そして、現在は事実上の名誉職である宗務長官に就任している。毎日、菜園で土仕事をする日々を過ごしている。引退生活と言ってよい。

「この人が阿片に関わっている可能性は総長と同じくらい低い」

「どうしてそう思う? 確かに老齢だが、体は頑強そうだ」

 扇の質問に、仙十郎が首をふり、

「だが、権限がない。宗務長官とはいうが、ミサは全部司祭が執り行う。仕事がないんだ。だから、使える人員もないし、権限もない」

「だが、時間はある」

「何が言いたいんだ?」

「妹の人生がかかっているんだろ? じゃあ、あらゆる可能性に目を光らせたほうがいい」

 そう言い返されて、仙十郎は返す言葉もなく、く、と悔しげな息を漏らす。

 扇はあの庭いじりに精を出す老人が阿片に関わっている可能性を検討する。戦争以来、安らぎが得られなくなった老人が安らぎを欲して阿片にすがる可能性を。

「そして、最後が梅野監察長官だ」と仙十郎。「まあ、あんたもある程度は知っているだろう? 実際、その通りの人だ。あまり物事を深く考えるほうではないし、帳尻を合わせるために強引な手法を取る。もちろん、監察の立場を悪用して、阿片取り締まりをザルにしていることも考えられる」

「この男が阿片の関係者だとすると一番厄介だな。知恵がまわらない分、暴力で訴えるかもしれない。何よりもあんたの妹の運命はこの男の手中にある」

「ああ……」

 こうして見ると、全員が怪しい。それぞれ阿片密輸に手を染める理由が存在する。

 だが、騎士団幹部を相手に真っ向から阿片との関係を問うわけにもいかないし、こうして調査することだって知られれば厄介なことになる。

 そもそも今度の犯人が阿片貿易を憎む動機から副総長を殺したという考え方は桔蝶からの受け売りであり、逆に他の阿片関係者が阿片の利潤を独占するために仲間割れを起こした可能性もある。

 ともあれ追うべきものは二つ。阿片と偽手紙だ。

 仙十郎の名を騙って紗枝に渡った偽手紙は間違いなく真犯人か共犯者の仕業だ。手紙の現物がない以上、余り多くのことを調べることはできないが、何とか紗枝に会って話をすることはできないものか。手紙のことで情報を持っているのは紗枝だけなのだ。

「あんたの妹との面談を、あの監察長官が許可すると思うか?」

「絶対にないな」

「そうだろうな」

 いっそ忍び込むか。もしものために持ってきた黒装束のことを扇が考えている横ではすずが安楽椅子に戻って、深々と腰かけていた。そして、扇のほうをちらりと見ると――、

 にこっ、

 と、笑いかけてきた。

 ああ、くそっ。扇はその微笑にまたすずがろくでもないことを考えた予兆を見ている。そして、すずは仙十郎には見えないように扇においでおいでをしていた。

 扇が安楽椅子のそばのオットマン式腰掛に腰を下ろすと、

「安楽椅子探偵ってどう思います?」

 と、すずがたずねてきた。

「なんだ、それは?」

「さっきのポーっていう人が書いた本を読んだんですけど、主人公がとても頭がよくて、一度も殺人現場に行ったこともないのに、巷で売られている新聞記事を読んだだけで殺人事件を解決しちゃうんです。家にいながらですよ」

「それが?」

「これこそ、今のわたしたちに求められる探偵のあり方なんですよ。安楽椅子に座って、事件を解決する」

「三人そろって安楽椅子に座っているだけで事件が解決するなら、奉行も警察もいらないな」

「三人そろって座るんじゃないですよ。座るのは一人でいいんです。後の二人は足で捜査をしてもらって、証拠や謎を引っぱり出してくる。それを元に安楽椅子探偵が事件を解決するわけです」

 面倒な作業は人に押しつけ、座り心地のいい椅子に座りながら、いいところだけを取る。なるほど、すずにぴったりの役目だ。

 問題はすずにそんな明晰な頭脳があるかどうかだ。

 だが、待てよ、と扇は思い、そっけない言葉で言い返すのをギリギリで思いとどまる。

 もし、すずが椅子に座っているだけなら、外で調査をする扇や仙十郎の邪魔をしないということだ。

 これはむしろ望ましいといえる。

「いいんじゃないか、安楽椅子探偵」

「そう思いますか?」

「ああ」

「やっぱり弟子は持つもんですね。きっと賛成してくれると思ってました」

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