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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第五話 扇探偵と長崎の騎士
72/611

五の十

 トサ国の商館一階の大広間は円形で石で羅針盤の模様を描いている。かかっている絵は英国人が清で買いつけた茶をいち早くロンドンにもたらすために作られた快速帆船が描かれている。

「てぃー・くりっぱーっちゅう船じゃ」坂本が言った。「蒸気が使われる前はこの帆かけ船で世界の海を舞台にお茶の葉を欧州に運ぶ競走をしたっちゅう話じゃ。風の力だけで動く船は、やっぱりろまんがあるのお」

 坂本が説明しながら、たまらないといった様子で首をふる。

「助かった。礼を言う」

 扇が頭を下げると、男は笑いながら、いんげの、なんちゃじゃない、と答えた。

「まだ名前を伺っていませんでした」と仙十郎が言った。

「そっちの騎士さんもそう固くならんでいいき。わしは坂本、名は竜馬じゃ。トサで船をつこうて商いをしちょる」

 扇たちも自己紹介を終え、次の間に入ると、

「どうして、おれたちを助けてくれたんだ?」

「それがろまんというものじゃからじゃ」

「ろまん?」

「こう、かっこよかったり、なんかせんといかんと思わされることじゃ」

「興みたいなものか?」

「おお、それじゃ。興じゃ、興。なんやら、おまんら二人が外で言い合っちょるのを聞いちょると、なるほど、騎士修道会は女子一人にぜんぶかぶせて、こん事件に蓋をせんとしとるように見えたき。このまま捨てては海の男とはいえんのじゃ」

 まっはっは。竜馬はそう言って笑った。

「で、どうやって事件に立ち向かうんじゃ?」

「それはまだ決めていない。分からないことが多い」

「ふーん。ま、ここにいるかぎり、島を追い出されることはないき、納得がいくまで調べたらええがぜよ」

 遠くから、商館事務員が坂本さん、と呼ぶ声が聞こえると、竜馬は、ちくと失礼するぜよ、と部屋を出た。

 細長い部屋に洋風の家具がしつらえてあり、片側の壁は目いっぱいの大きさにした世界地図がかかり、もう片方は窓が並んでいた。

 仙十郎は起こった出来事に思考がついていかず、戸惑っていた。

 扇とすずを送り出し、待命騎士として何もできないまま、妹が副総長殺害の罪で裁かれるのを待つだけだった身が、ギリギリのところで踏みとどまったのだ。

 だが、分からない。

 どうして、この女郎屋の用心棒は真犯人を見つけようとしているのだろう?

 こいつ自身が、天原の殺人と副総長の殺人は別人によるものだと言っていたではないか?

「なぜ……」

 仙十郎は扇にたずねた。扇は窓辺に置かれた地球儀を手持ち無沙汰にまわしている。

「なぜ、紗枝を助けようとする?」

「助けちゃ悪いのか?」

「あんたには関係ないはずだ」

「さっきも説明しただろ。お前の妹は真犯人じゃない」

「だが、天原のやつらの仕業でもない。だったら、この島での殺人はあんたには関係ない。真犯人を見つける義務はないはずだ」

 くるくるまわる地球儀を指で止めた。扇の人差し指はブハラ汗国を指差している。

「確かに義務はない。だが、それで帰れば、興ざめだ」

「興?」

「あの坂本って男の言葉を借りれば、ろまんがないってことになるのかもしれない。少女が一人、身に覚えのない罪で破滅させられようとしている。今のおれには、それだけで物事に関わる動機になるんだ」

「おれは……」

 仙十郎は言葉を継げなかった。

 弱きを助け、悪しきをくじく。騎士の基本を見失いかけていたことに気づく。しかも、弱者の立場に立たされたのは、他でもない自分の妹なのだ。

 悔しい。

 おれは女郎屋以下だ。

 紗枝が一番助けを必要としていたときに絶望し、全ての出来事に無感覚になっていた。

 最後の思念は言葉になって、迸り出たらしい。

「まだ、できることはある」

 窓を開けながら、扇が言った。

「少なくとも、お前の妹はまだ死んでいないし、こうして独力で調べる時間、それに後ろ盾も得られた」

「……どうやって犯人を探す?」

「お前の妹は手紙で呼び出されたといった。そして、そこで気を失って、目が覚めたら、副総長が死んでいた。つまり、その手紙でお前の名前を騙ったやつが真犯人だ。だが、分からないこともある。なぜ副総長は殺されたのか? それと、今度の殺人は本当に望月殺しと無関係なのか?」

「手を下した犯人は別人だと言っていたはずだ」

「だが、二つの事件に全く関係性がないと判断するのも、まだ早い。で――」

 扇はたずねる。

「おれたちと真犯人を探すか?」

「ああ」

 それだけ言うと、仙十郎は顔をそむけた。蔑みではなく、己の恥ずかしさに耐えられなかったのだ。

 顔をそむけた先ではすずが本棚から適当に本を、五、六冊持ち出して、安楽椅子に座って、読み始めている。仙十郎の視線を感じると、すずはにこっと笑いかけ、

「もちろん、わたしも協力しますよ」

「ありがとう――」

「いいってことです」

 仙十郎とすずが言葉を交わしているあいだ、窓辺の扇はいつの間にか手にしていた小さな紙切れを折り畳んで、懐に入れた。

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