五の九
九月二十五日の朝。
仙十郎は二人の来客、扇とすずを見送るために高鉾島の町の道を降りていた。監察長官が緘口令を布いたにもかかわらず、副総長の死は衆人の知るところとなり、どうやら本土長崎の絵入り新聞も朝刊でこの事件のことを掲載するらしい。
だが、仙十郎の心は別のことに囚われている。
紗枝が副総長暗殺の現行犯で逮捕された。
そんなはずがない。
どうして、紗枝が?
梅野監察長官が事件は単純明快だといい、紗枝を天原で望月久米次を殺害した暗殺団の一味だと断じた。
嘘だ。そんなことがあるはずがない。
紗枝の供述は取られた。剣術場で他ならぬ仙十郎からの手紙を見つけた。手紙は折り畳んで糊をつけてあり、それを開くと、一人で副総長宅に三時半に来てくれ、このことは他言してはいけないし、この手紙も読み終えたら焼き捨てなければいけない、と書いてあった。それで副総長宅に時間どおりにやってくると、後ろから誰かに組みつかれ、刺激臭のする布で口を塞がれて……
――そこからの記憶が、ないんです。
監察長官は、ずいぶんと都合のいい話だ、と評した。
そして、仙十郎にそんな手紙を出したか? と、たずねた。
――いえ。出していません。しかし……。
――これで決まりだな。
――真犯人が別にいて、わたしの名を騙って手紙を出したのかもしれません! 閣下、お願いです。もう一度、吟味してください!
監察長官は首を横にふった。
そして、仙十郎は容疑者と関係が近すぎるために公平な見方をすることができない、ということで監察部の役を外され、待命騎士となった。簡単に言えば、お払い箱にされた。
扇とすずを送るのは監察騎士としての最後の仕事だった。先導役の二人の騎士が前を歩き、仙十郎は扇とすずの後ろを歩く。
からりと晴れた青空。森からは今年最後になるであろう蝉の鳴く声がする。町の住人の仙十郎を見る目は好奇に満ちている。副総長を殺した犯人の兄として、惨たらしい視線に晒されていた。だが、仙十郎の心は獄舎につながれた妹のか細く、今にも消えてしまいそうな姿に占められている。
「お前はこれでいいのか?」
「え?」
扇がふりむいて、仙十郎に話しかけた。そこは桟橋の上で扇たちが乗る予定の汽艇がそばにもやってある。すずはもう船に乗っていたが、扇はまた桟橋に立っていた。
「この決着で満足か、きいているんだ」
再びたずねられる。扇の冷めた声と責めるような視線が仙十郎をいらつかせる。
「黙れ……」
「満足してはいないのか。それでよく耐えられるな」
仙十郎の両手が扇の胸倉をつかみ、引き寄せる。
「うるさい! お前に何が分かる!」
睨む仙十郎の目をまっすぐ見返しながら、扇は、
「副総長を殺ったのはお前の妹じゃない。それが分かる」
と、言った。
「なんだと?」
「加えて言うなら、白寿楼で望月とかいう商人を殺った連中の仕業でもない。無関係の少女に自分たちの罪を着せるのはやつらのやり口から外れる」
仙十郎の手が自然と扇から離れていた。
扇は胸元の服の乱れを直しながら、
「お前の任務については知らないし、おれの知ったことでもない。だが、おれの任務は、白寿楼で望月を殺った連中を探して、事件にケリをつけることだ。そして、任務はまだ完了していない。お前の上司の、あの監察長官の言うことを鵜呑みにするほど、おれは馬鹿じゃない。おれには楼主が納得のいく説明ができるだけのことを知る義務がある。それを果たせないうちはこの島を出て行くつもりはない」
最後の言葉を聞いて、移送役の年嵩の騎士二人が顔を見合わせた。彼らが受け取った命令は扇とすずを長崎港へ帰す――言い換えるならば、部外者として島から追い出すことなのだ。
力ずくで事を進めようと決めるのにさほど時間はかからない。二人の騎士は扇を汽艇に押し込もうと、その肩をつかむ。
つかんだはずの手が真上に捻り上げられ、騎士が苦悶の表情に顔を歪ませる。もう一人は海に投げ飛ばされ、重い剣や鎖帷子で沈みそうになりながら、必死になって桟橋の柱にしがみついていた。
「さっきも言ったとおりだ。納得のいく説明。それが得られない限り島を出ない」
扇はきめていた腕を放して、騎士を突き飛ばした。桟橋に尻餅をついた騎士は海から何とか這い上がった騎士と一緒に逃げるように大聖堂のほうへ走っていった。
おれは何をしているんだ?
血のつながりのない女郎屋の用心棒が紗枝の無罪を信じているのに、おれは何をしているんだ?
すずが、カステイラをもぐもぐやりながら黙って様子を見守っていた。二人の騎士が監察長官に事態を報告すれば、倍以上の人数で扇たちを追い出そうとするだろう。
「不肖の弟子を持つっていうのは大変ですね」
すずは桟橋に上った。
「これからどうする気だ?」
仙十郎は、扇に、すずに、そして自分自身にたずねる。
「分からない」と扇。「それぞれ自分で考えて正しいと思ったことをするしかない」
四半刻後、首まで真っ赤にした監察長官が五十人近い騎士を連れて戻ってきた。監察部以外の騎士もかき集めたらしく、連発式のライフルを手にしている騎士もいた。
「お前とお前!」監察長官は扇とすずを指差した。「痛い目に遭いたくなかったら、船に乗れ! それと、仙十郎! お前は何をしている? どうして、こいつらを船に放り込むために剣を抜かないんだ?」
仙十郎はうつむいた。返す言葉がなかった。
「何とか答えたらどうだ?」
「おれは……待命騎士です。もう、監察部ではない」
小枝を折ったような舌打ちの音がして、監察長官は首をふった。怒りの余り言葉が詰まったらしく、ぞんざいな手ぶりで三人まとめて船に乗せるよう、部下に命じた。
五十人の騎士が動こうとすると、扇が左足を引いて、身を落とし、刀の柄に手を添えた。
騎士たちの動きが止まる。
すずも二刀の鯉口を切っている。
退くも進むもいかなくなったとき――。
「おうい、待った、待った!」
声がかかった。
扇、すず、仙十郎、そして監察長官と騎士たちが声のしたほう――トサ国商館の二階の窓を見る。
ひどく癖のある髪を伸ばすにまかせた男がいる。
「そん二人、行かせたらせられん。ちくと待ってくれ。今、降りるき」
フロックコートに日本刀を帯で差したその男が騎士の人垣を掻き分けて、桟橋のほうへやってくると、扇とすずに、
「あちこち探したのに、どこにもおりゃあせんき、こりゃどっかで間違うた宿に泊まっちゅうなと思うとったが、ほうか、ほうか、騎士さんくにおったがか。さ、行くぜよ」
と、一気にまくし立てて、扇とすずをトサ国の商館に連れて行こうとする。
監察長官が慌てて、待った、をかける。
「待ってください。坂本さん」
「ん? 何がか?」
「その二人は部外者です」
「そん言うても――」
そういいながら、坂本と呼ばれた男は懐から手帳のようなものを取り出し、
「こん二人はトサの賓客じゃき、商館に連れて帰るのは合法ぜよ?」
「しかし、いつから、二人を客人に……」
「今の今からじゃ。ああ、そいと、何でも島で人殺しがあったちゅう話じゃき、おとろしいから、護衛の騎士をば増やしてほしいんじゃが、あの待命の騎士を連れていってもええかのう? ええか。ほうか、ほうか。監察長官どのは話の分かるよか男じゃのう、まっはっは!」
返答の機会を与えず、言いたいことを言ってしまうと、監察長官の肩をばんばんと叩いて、そのまま扇とすずと仙十郎を商館のなかに引っぱり込んでしまった。




