一の七
大夜と泰宗は食べ終わったどんぶりと膳を廊下に出した。
それから泰宗は両切りを呑み、大夜はごろりと横になり、
「まあ、あたしも覚えがあるもんねえ」
と、いい、苦笑した。
「今の彼はあのときのあなたよりも素直ですよ」
「うそだぁ。あたしはもっと可愛げがあったよ」
二人で笑った。大夜は、
「大将の酔狂は、まあ、今に始まったことじゃないけど、今度のはなかなか骨が折れそうだ」
「そうですね。扇を送り込んだのは一体どこの国でしょう?」
「察するにヤマト。カワチとヤマシロとの同盟が成って、天原にその同盟に加われって誘いがあったっしょ?」
「誘いというよりは属国宣告だったときいています」
「それが三ヶ月前。天原は大将を代表に送って、それを蹴った。それで上方は危ないってことで東国へ飛んだけど、ヤマトの連中があきらめてない可能性がある。うちの大将は総籬株の筆頭だから、殺せば、こっちがビビッてイモをひくと思ってるんじゃねえかな?」
「それについて、楼主の意向は?」
「なんにも。ただ黙って、様子を見るとしか。じれったい気もするけど、まあ、しょうがない」
「ヤマトがカワチとヤマシロとのあいだで同盟を結んでいる以上、戦争は避ける必要があります」
「でもさ」大夜は身を起こした。「総籬株筆頭といえば、地上の国で言うところの関白太政大臣みたいなもんだろ? それを襲っといて、お咎めなしじゃ、天原が舐められる。他の総籬株を襲う可能性だって出てくる」
「それは楼主も存じているでしょう」
泰宗は半分に縮んだ煙草を灰皿に描かれた龍の絵に押しつけた。
大夜が言う。「もちろん。ただ戦争には訴えられない。警告を発するにしても、どこまでキツい灸を据えてやるか、対立の落としどころを探ってるってとこだ」
「困りましたね――ああ、もう一つ、困ったことがあった」
「なに?」
「決まりが変わったのです。それを扇どのに伝えるのを忘れていました」
「決まりが変わった? どうなったの?」
「これまでは扇どのは楼主以外のものを傷つけることができないことになっていますが、我々は例外になりました。つまり、扇どのが楼主を襲えば、当然、わたしたちは楼主を守るべく応戦しますな」
「そーだね」
「それは死命を賭けたものになるでしょう」
「まあ、あいつ、腕は立つ。こっちも手加減はできないね」
「そこで、今度の決まりでは、楼主を襲った際、応戦したわたしか、あなた、あるいは半次郎どのを傷つける、あるいは死なせることが許されます」
「えーっ。それ、あたしらは死んでもいいってこと?」
「わたしたちが負けることは絶対にないという楼主の信頼ですよ」
「わかってるって。ちょっくら言ってみただけ」
泰宗はふふと笑って、新しいのを一本くわえた。それを呑んで、紫煙をふーっと吐き出す。煙がゆらめくのを眺めながら、泰宗はぽつりとこぼした。
「彼は楼主のいうとおり、興を理解するのでしょうか?」
「そのこころは?」
「楼主暗殺をあきらめるかということです」
「それはわかんないな。あたしの見立て、昨日今日と見たところ、あいつの心はかなり脆い。自分では心なんてものはないと思ってるらしいけど、あいつにもきちんと心はある。そして、それに気づいたら、うまくいけば、いい方向に転がるが、間違えばあっという間に悪いほうへ転がる。それに、たとえ、あきらめたとしても今までの生き方との帳尻が付けられなくなって、自害することもありうる」
「そうですか」
「自害するなら廓の外でしてもらいたいもんだ。血で穢れた畳変えるのも馬鹿馬鹿しい」
「そうですね……」
「あいつを見てると、嫌なことを思い出す。あたしが――」
大夜の目の前に琥珀色の酒をたたえた青い切り子のグラスがひょいと差し出された。泰宗秘蔵の舶来酒で、その香りは飲む前から喉にまろやかな風味を想起させる。
「嫌なことは忘れましょう。廓というのは、そういう場所です」
「そうだね……馳走になる」
大夜はグラスを取り、泰宗と二人で舶来酒をくいっと一息に飲む。喉がかっかし、抜けるような焼きがすうっと体に馴染む。
「できることなら、大団円」大夜が言った。「それこそ大将好みの興の湧く終わり方ってもんだ」
「そうなることを祈りましょう」