五の七
石造りの広間に木剣を打つ音が響く。
「攻撃線から外れろ! 相手の手に剣を打ち込むときは腕を交差させて裏刃でかぶせ打ちにしろ! もう一度、屋根の構えからだ!」
「はいっ!」
鋭い叱責が飛び、少女の声がそれに機敏に答える。
紗枝は木剣を切っ先を上に向けた状態で顔の高さに構えなおし、相手を務める椿と向き合う。
「剣を打つ機会を見極めろ。かぶせ打ちが早すぎれば、相手の剣に押さえ込まれ、遅すぎれば鍔迫り合いになる。手を打つ動きを呼吸と足に覚えさせろ」
「はいっ!」
椿が真っ向から剣を振り下ろす。それを右へかわしながら、腕を交差させて、椿の籠手を狙うが、次の瞬間、剣術場の空間に硬質な音が響いて、紗枝の剣は叩き伏せられている。
「まだ早すぎる」
「もう一度、お願いします」
「よし、構えろ」
また剣が振り下ろされる。紗枝はそれを右へかわしつつ、剣をふった。ふりながら、腕を交差させ、相手の攻撃線から外れつつ、剣を打った。
手ごたえがあった。紗枝の剣は重心から三寸ほどの位置で椿の籠手を打っていた。
「その動きだ」
椿は落とした剣を拾いながら、
「返し斬り、それも命を取らずに手を狙う技は受勲試験の剣術で最も重視される技だ。胴を狙うよりも難しいが、これを十やって十打てるようにしなければいけない。それと打った直後は左足を引け。打つにしろ守るにしろ次の斬撃にはそれで備えられる」
「はい、ありがとうございます」
紗枝は肩で息をしながら答える。
「少し休んでおけ。適度に体をいたわるのも、騎士の修養の一つだ」
紗枝は防護面を外して、剣術場の壁のでっぱりに剣と一緒に引っかけると、質素な腰掛に座り、ついいましがたものにしかけた呼吸と足の動きを意識する。
その隣に防護面を外した椿が腰掛けた。
「今朝、お前の兄に会った」
「兄さまにですか?」
「ああ。お前の試験の出来を心配していた。まだ受けてもいないうちから、ああでは受けた後の結果発表まではどうなることか」
「兄さまは心配性で――」
「心配してくれる身内がいることはいいことだ」
「椿さまのご両親は?」
「うん。時おり文をよこすぞ」
「どのようなことをお書きになるのですか?」
「生まれた町のことだ。何でも今度、近所の道を路面電車が通るとか」
「いえ、その、椿さまがどんなお返事を出すのかと――」
「ああ、そうか。まあ、元気でやっていると返している。わたしは筆不精だから、ついこちらから文を書くのを絶やしてしまう。だから、せめて、故郷の父母が手紙を送ってきたら、それにはきちんと返すことにしている」
「素敵ですね。ご両親は椿さまのことを気にかけていらして」
「……すまない。少し配慮が足りなかった」
紗枝が首をふる。
「いえ。今は修道会の方たち、みなさまが家族です。本当だったら、落としていたはずの命を拾い、素晴らしい家族にめぐまれました。これ以上の幸せを望むのは、欲が過ぎるというものです」
「そうか。強いな、紗枝は」
「いえ。わたしの腕はまだまだ――」
「そうではない。そうではない強さだ」
椿が、ふ、と笑う。
そうではない強さ、それは一体なんなのか、紗枝がたずねようとしたときだった。
「あ、あった。あった。ほら、扇さん、ここですよ、ここ。ここなら目いっぱい剣をふっても怒られませんよ」
開きっぱなしの通路のほうから少女の声がした。まもなく二本の木刀を腰に差した洋装姿の少女と、いやいや付き合っているらしいむすっとした表情の少年が剣術場に現われた。
見ない人たち――紗枝は、兄さまが迎えに行った方たちかしら、と二人を見る。
少女のほうはもう剣術場の真ん中で二刀を抜いて、右手を伸ばし、左手を手前に引く形の構えを取っている。
少年のほうは壁の武器棚にかけられた六尺棒を手に取り、片手で重心をつかみ、何度か螺旋打ちをしてはまた別のものに取り換え、同じことをする。やがて、納得のいく棒に出会えたのか、それを手にとって、二刀の少女の前に立った。
少年は棒を前で垂直に立てる構えで相対する。だが、少年の柳の葉のようにすっと切れた目が紗枝のほうを少し見て、
「すまないが、こいつのわがままで場所と棒を借りる」
「すいませんね。カステイラをよりおいしく食べるにはどうしても必要なことなんです」
カステイラ? 意味をつかみかねていると、横にいる椿がぽつりとつぶやいた。
「よく見ておけ。参考になる」
紗枝は椿がそうつぶやくのをきいて、また中央で向かい合う二人に目を戻した。
勝負は何の前触れもなく、始まった。だが、おそらく十二か三は打ち合ったはずだが、紗枝は最初の三合しか見切ることができなかった。
気づいたときには少年の棒が狂った時計の針のようにぐるぐるまわって、はるか後ろの壁にぶつかった。
少女のほうはというと、二刀を一度に左右へ振り切った姿勢のまま静止している。
「は、はやい……」
紗枝はあっけにとられて、つぶやいた。
棒を飛ばされた少年のほうは驚く様子も悔しがる様子もなく棒を取りに戻り、また少女と向かい合った。
「扇さん。もっと長持ちさせてくださいよ。これじゃ、お腹が空かないじゃないですか」
「じゃあ、一人で素振りでもしていろ」
そして、棒で突きかかる。だが、次の瞬間には木刀の一本が少年の脚にからまって、少女の手に残った木刀が前のめる少年の首筋にピタリとあてられていた。
それから合計で十回ほど少年と少女は打ち合った。少女が七本取り、少年のほうが二本、そして一本は引き分けた。
「やっとお腹がぺこぺこになりました」
「じゃあ、帰るぞ」
少年はちらりと紗枝たちのほうへ視線を流し、軽く頭を下げて、剣術場を出て行った。少女の華やかな声が、カステイラ、カステイラ、と遠ざかっていく。
「島で暮らしていると――」
椿は自分を諌めるように言う。
「世界がせまくなっていけないな」
今日はこれまでにしよう、と椿は立ち上がり、更衣室へと消えた。
紗枝は一人、あの二人の打ち合う音の余韻を探すように耳を澄ませていた。それに椿の言葉を重ねる
椿の言葉は、騎士になることを第一として生きてきた自分を戒めるような気がした。立派な騎士となることも大切だが、外の世界へもっと目を向けることも大切なのかもしれない。騎士はほとんどこの島を出ることはない。出たとしても、長崎や島原、天草くらいであり、国の外へ出ることはない。
剣術場の細い窓から遠くの空を飛ぶ天原遊廓が見える。遊女は廓に縛られ、そこで一生を終えるという。だが、天原遊廓は日本じゅうを飛び回る。そして、様々な人との出会いがある。
廓の遊女と島の騎士。
どちらがせまい世界を生きているのだろうか?
「なんだ、まだいたのか?」
かけられた椿の言葉でハッとする。もう騎士外套に着替えた椿が少し首を傾げて、紗枝を見ている。
「考え事か?」
「いえ、大したことではないんです」
「そうか。鍵を渡しておく。最後に出るとき、きちんとかけておけ」
「はい」
紗枝は立ち上がり、鍵を受け取ると、更衣室へ入った。
女子更衣室は棚が並んでいて、籐で編んだ脱衣籠が棚のなかに置いてある。使う場所は決められていて、小さな名札が貼りつけてあった。
紗枝は自分の服を入れた棚の前に立った。
「あれ?」
きちんと畳んだシャツと上衣の上に手紙が置かれていた。
誰からだろう?
折り畳まれた手紙の裏を見ると、
《紗枝へ。仙十郎》
と、あった。




