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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第五話 扇探偵と長崎の騎士
68/611

五の六

 港には造船所や船渠、帆布工場や汽罐工場、石炭を運ぶための軽便鉄道があり、それに倉庫――緑色の扉を持つ煉瓦の倉庫、屋根に白ペンキで英語の会社名を印した倉庫、穀物袋が山と積まれた倉庫、茶の倉庫、生糸の倉庫で出稼ぎの百姓か清国人の苦力が働いていた。西洋風の木造倉庫が蒸気巻き上げ機でピアノや等身大の象の蝋人形を引きあげて、印半纏の人夫たちが倉庫の二階の天井に取り付けた滑車で巨大な荷物を苦もなく動かしている。

 騎士団の十字旗を船尾に掲揚した汽艇が見つかり、ようやく大聖堂のある高鉾島へ出発した。なぜだか、すずがついてくるが、もう構うのも面倒になったので、自分に迷惑が跳ね返らない限りは好きにさせることにした。

 鈍い緑の山に縁取られた湾内は船でいっぱいで迷路のようだった。蒸気船、軍艦、清国のジャンク船が長崎湾のあちこちに錨を下ろし、そのあいだを網代で胴の間をこしらえた汽艇が走り、船乗り相手に酒や焼き肉、土産物の漆器はいらんかと客の船尾にかかった国旗の言葉で声をかけている。

 入り江には村がいくつもあり、漁船や釣り舟が浜に上がっている。どの村にも教会があり、村人はそこで字を学び、道徳を学び、世界がどのようにして出来上がったかを学ぶのだ。

 そのうち、見える船はみな煙突から黒い煤をうっすら流しながら移動するようになり、長崎湾の出口にある高鉾島が見えてきた。

 長崎騎士修道会の本拠地であり、ヒゼンの政府があるその島は大きな尖り気味の大聖堂をてっぺんに据え、そのまわりに石造りの建物と松の木立がまとわりつき、島の裾には瓦屋根の店や家が集まっている。島のすぐそばには騎士修道会海軍の白い最新鋭の軍艦が二隻、舳先の大砲を湾外に向けて停泊していた。その桁には巻き上げた帆が結ばれていて、カモメが羽根を休めている。

 これと同じ軍艦を買うために民百姓にめちゃくちゃな重税を課す国はいくらでもあるが、長崎の繁栄ぶりを見たところ、長崎騎士修道会はその購入資金を関税から捻出したようだ。

 汽艇が船着き場につくと、扇とすずは庶民町の坂ではなく、港のそばにある洋館に案内された。

「騎士修道会の幹部とここで顔を合わせることになっている」仙十郎は不本意ながら、仕方なくやっている様子で扇のために扉を開けた。「くれぐれも失礼のないようにしてくれ」

「だとさ」

 扇はすずに言った。

「わたしは外で待っています」

 洋館は質素な石造りでいくつかの宗教画の他に飾りらしいものはなく、明かりすらガスではなく、灯油洋灯を使っているようだった。

 矛を手にした二人の大柄な騎士が赤く磨いた樫に鋲を打った両開き扉の左右に立っていた。

 仙十郎が扇を連れてきた旨を伝えると、番人は扉を開けた。

 その先には四方に花壇がある石敷きの中庭があり、その中央のテーブルに騎士修道会の幹部たちがついていた。このうち、副総長と監察長官には天原で顔を合わせている。その他の幹部――軍務長官、海軍長官、商務長官、宗務長官、外務長官、そして騎士修道会総長とは初対面だった。

 最年長は安永という宗務長官で六十を越えているようだった。

 最年少は総長でまだ十三歳だという。天草四郎と名乗った。騎士修道会では総長は代々天草四郎の名を襲名することになっている。この少年を支える形で副総長がいて、各長官がいる。

 改めての紹介が行われたが、扇の頭にはあまり印象に残らなかった。ただ、高齢の宗務長官の安永と幹部連で唯一の女性だった軍務長官の管森の名前をかろうじて覚えたくらいで、他の幹部は名前と姿の一致すらしなかった。ここへは結局連絡役で来ているだけなので、今にも自分を食い殺しそうな顔をしている監察長官の梅野と自分を敵視しているこの仙十郎と顔をつないでおけばいいのだ。

 総長が立って、犯人の捕縛のために天原の総籬株会議との協力を密にしていくことを一同を代表して表明した。

 幹部との顔合わせが終わると、仙十郎の案内で騎士団の来客宿舎に泊められることとなった。狭い街路を上り、大聖堂へ通じる階段の横にある通路を進んで、来客用の宿舎へ案内された。宿舎は男女別れて宿泊できるように二棟に分かれていて、大聖堂に近いほうが男子宿舎、海へ近いほうが女子宿舎となっていた。

 寝台の上にキリストの磔刑像がかけられた室へ通されると、仙十郎は会釈も別れの挨拶もないまま、去っていった。

「まったく。ガキみたいなやつだ」

 荷物を長持ちの上に放り、寝台に横になった。シミ一つない白漆喰の天井に黒く陰った梁材が十字に走っている。

 扇は総長と呼ばれていた少年の言葉を思い出していた。

 どこかうつろに聞こえる言葉だった。言葉というよりは単純な音が並んでいるような印象――おそらく他の大人の幹部たちがこの少年にどんなことをしゃべればいいのかあらかじめ決めているのだろう。

 それがどうもキナ臭い。

 とにかく天原へ上げるべき情報を隠されたりしないよう注意をしなければいけないが、協力的な騎士が一人もいない。虎兵衛の言うとおり、骨の折れる仕事になりそうだった。荷物のなかに忍び込むときに使う黒装束と道具一式を入れてきたのは正解だったかもしれない。

 仮眠でも取ろうかと思って、髪を縛っていた紐をほどき、寝台に横になって目をつむった途端、ドアを乱打する音に起こされた。

「扇さん! 扇さん!」

 すずが張り切った声を上げている。

 扇は髪を結びなおしながら、ドアを開けた。

「何のようだ? だいたい女は男子宿舎に入れないって決まりだろ?」

「そんなことより立ち合いをしましょう」

「は?」

「二刀使って、稽古しましょう。だって、本場のカステイラですからね。目いっぱい運動してお腹を空かせてからのほうがおいしいに決まっています」

「一人で棒を振れば、そのうち腹が空く。おれを巻き込むな」

「あ、あっ。師範代をそんなふうに粗末に扱っていいんですか? 仙十郎さんに言いつけちゃいますよ」

「あんなやつがなんだっていうんだ。馬鹿らしい」

 有無を言わさずにピシャリと扉を閉め、錠を下ろした。

 すると、ドアの乱打がさっきよりも激しくなる。

「一回だけ、今日一回だけでいいんです。そうしたら、もう後は放っておいてあげます。ね、だから、一回だけ、二刀で稽古しましょう」

 扇は寝台にうつ伏せになり、枕をかぶって両耳を塞いだ。だが、雹でも降ってきたような音が途切れることはなかった。

「わかった! わかったから、もうドアを叩くのをやめろ!」

 扇は舌打ちしながら、錠を解いて、ドアを開けた。

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