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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第五話 扇探偵と長崎の騎士
63/611

五の一

晩夏も終わり、秋がやってくるころ、扇は無縁仏相手に手を合わせているすずを見つける。

すずの口から語られる意外な過去の出来事に思いを馳せていると、白寿楼で前代未聞の大事件が発生し……

 九月も二十日を過ぎた。

 物がゆらいでみえる猛烈な残暑や建物の瓦をかっさらっていく台風を器用に避けながら、天原は今日も九州の空を飛ぶ。天原遊廓は他の遊廓と違って、昼見世は開かないので、午前はやることがなく、暇をもてあますことが多い。料理屋などはその日の朝に飛行船でやってきた魚や地鶏の仕込みで忙しいが、遊郭は掃除を終えてしまえば、時間が余る。

 ましてや、掃除その他雑用をしなくてもいい用心番ともなると、本当にやることがない。たいていの用心番は剣なり銃なりの稽古をする。扇は時千穂道場に入門してから、天原にいる日は必ず道場へ通って、流術の稽古に励んでいる。

 師匠のりんは初めて会ったときよりも、〈流れ〉がほぐれてきていると言っていた。セッツでの大夜救出の任務の途中で、扇は何人かの侍を殺めた。しばらく人を殺めていなかったのに、彼の殺人術は少しも鈍っていない。その一件が扇にある種の覚悟を与えた――自分が業を背負って誰かを救えるのであれば、ためらい無く命を奪おう。

 扇の〈流れ〉がほぐれてきたのは、そう覚悟してからだった。

 さて、九月の下旬。扇は寿にせがまれ、天原白神神社の造営現場を一緒に見に行っていた。

「本当は道場で稽古していたいんだがな」

「まあまあ。稽古は後でもできるさ」

「すずが来ると、強制的に二刀流の稽古をさせられるんだよ。あいつはそれ以外でおれに勝てないもんだから、二刀流を強いるんだ」

「かわいいところがあるじゃないか」

「そうだな。お前の言うとおり、かわいい。道に迷った弱みにつけこんで食事を奢らせたり、わけの分からない立て札を勝手に立てておれの仕業にしてみせたり、火薬中毒者と一緒になってつくったトンマな服を持ってきて決闘を強制してきたりと、かわいいところだらけだ……お前、なにをニヤニヤ笑ってるんだ?」

「キミも皮肉の一つも言えるようになったんだなあって感慨に浸ってるのさ。だって、昔のキミときたら話しかけても、ああ、とか、いや、とか、そのくらいのことしか言わなかったもんね」

「おれはそんなだったか?」

「そんなだったよ」

「ふん、おれの話はいい。それより、そっちは?」

「ん?」

「神社はあとどのくらいで完成する?」

「今月の終わりか、来月の初め。なに? 神社が完成したら、おれがキミの部屋から出て行くのが寂しいの?」

「やっと一人で静かに過ごせる」

 寿がそろえた両手の指先を目に重ねて、べそべそと泣く真似をする。

「うう。冷たい。冷たいよ、扇。キミはここに来て、もっと心のポカポカした人間になったと思っていたけど」

「生業は変えたが、性格まで変えた覚えはない」

「寂しくなったら、いつでもおれを呼んでくれていいからね」

 扇は肩をすくめると、稽古があるからと寿をその場に残して、そのまま天原堤へ通じる小道へ歩いていった。少し草の深い小道で雑草は腰丈まで伸びているので、天原堤と屋台堤からは見えない道だった。道とは言っても、人の足が踏んでいくうちに雑草が生えることをあきらめただけの道であり、横切るのはせいぜい鈴虫くらい。人家はもちろんなく、草の向こうにちょっとした岩場が見える。

 その日、扇がその道を抜けようとすると、岩場に人がしゃがんでいるのが見えた。頭が見える。黒い髪を後ろで一つに結っている少女だ。

 りんがこんなところで何を?

 扇は草を掻き分けながら、岩場へ近づいた。近づいてみると、二つの見間違いをしていたことが分かった。

 りんだと思った人影は、姉のすずのものだった。

 そして、今まで岩場だと思っていたものは小さな墓地だった。

 すずは扇が近づいても、振り向かず、磨り減って角が丸まった墓石を相手に手を合わせて、目を閉じている。シャツにズボンに長靴、それにいつもの陣羽織だが、その折り返しの絵柄はここからでは分からない。

 扇はすぐ後ろに立っていたが、すずが微動だにしないので、奇妙なこともあるものだと思い、気がつくまで後ろで立ったままにしてみることにした。だが、そう決めてから、すぐに――、

「ぐー、ぐー」

 と、鼾がきこえてきた。

 そんなことだろう、と思った。扇はすずの肩をつかんで、ゆさぶった。

「おい、起きろ。こんなところで寝てると虫に喰われるぞ」

「むにゃ……」

 すずは寝言の出来損ないをつぶやきながら、寝ぼけた顔で振り向き、扇の顔を見上げた。

「ああ、扇さん。おはようございます」

「おはようなんて時間じゃない。もう昼だ。こんなところで何をしている?」

「何って――」すずは目の前の墓石のほうへ首を少し動かして、「お墓参りですよ」

「じいさんの墓か?」

「え? いやですね。違いますよ。おじいさまの墓はきちんと時千穂道場の裏手にあります。ここの墓石はみんな無縁仏のものです」

「無縁仏?」

「まあ、いろいろ理由があって遺体の引き取り手がなかったら、ここに埋葬するんです」

「あんたと無縁仏の墓と一体どんな関係があるんだ?」

「そこのお墓」

 と、すずは丸っこくなった墓石をしゃくった。

「わたしが斬った人の墓なんです」

 すずは、ふにゃっと緩んだ笑顔で言った。

「斬った?」扇は意外なことをきいて、たずねる。「あんたが?」

「そうですよ。これでも師範代ですからね。人の一人や二人斬ります。馬鹿にしちゃいけません」

 すずはそう言うと、自分が斬ったという人の墓へ向き直り、頭を下げつつ手を合わせた。

「お化けになって出てこられたら怖いから、ときどきこうしてお墓参りするんです。なんまんだぶ。なんまんだぶ」

 扇はすずの丸まった背中を見た。とてもではないが、信じられない。確かに暗殺者というのは無害な装いで近づき、相手の油断を誘って、対象の命を奪う。だが、すずを見ていると、業物二刀をいつも腰に差しているのに、それを使って人を斬るすずの姿はとてもではないが、思いつかないのだ。

「いつ斬った?」

 自分でも驚くほど枯れた声が出た。すずも驚いたらしく、くるりと顔だけ振り返って、

「おじいさまが亡くなってすぐだから、わたしが十二のときですね」

 と、答えて、また墓石と向かい合った。

「おじいさまが亡くなったとき――」すずは手を合わせて拝みながら言う。その声に深刻さは感じられない。「この人がうちの道場にやってきて、道場破りをしようとしたんですよ。わざわざ飛行船に乗って、ここまで来るくらいだから、よっぽどうちの看板が欲しかったんでしょうね。でも、おじいさまはもう死んじゃったわけで、道場破りさんの願いは叶えられないわけです。でも、どうしても納得してくれなくて、じゃあ、跡継ぎが相手をしろと言い出して、困ってしまって。跡継ぎはりんですけど、でも、わたしは師範代ですからね。まず、わたしに勝たないとお話にならない、というわけで、真剣で立ち合って――斬っちゃいました」

 すずはまた、くるっとふり向いた。その表情にも深刻さの影は見られない。

「まあ、斬ったものは仕方がありません。斬らないに越したことはありませんが、あのときはわたしかあっちかどっちかが死ぬこと間違いなしでしたから。自分が斬られるよりは斬ったほうがまだマシです。でも、結局、武芸者って勝つたびに相手が生きていようが死んでいようが、恨みは買うもんですからね。生きた相手なら、まだ話し合いで何とかなりますけど、幽霊になられたら大変です。そんなわけで、こうしてお参りしているわけです、なんまんだぶ」

 すずはまた墓と向かい合って、なんまんだぶ、なんまんだぶ、と唱えた。

 扇はその場を後にした。

 歩きながら考える。

 十二歳のすずが人を殺める、その場を。

 二筋の深い傷に胸と首をえぐられた武芸者の骸が転がり、折り返しの花模様が返り血を浴びている。そして――。

 駄目だった。何度考えても、そのときのすずの顔が頭のなかで結びつかない。

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