四の十五
大夜をあそこで暴れさせたのは正解だった。
あんな状態で大阪に戻せば、武神党蜂起よりもひどい騒ぎが起こることは必定。せっかく沈静化した情勢をまた混乱の坩堝にする必要はない。
二十人の侍たちはみな谷底へ放り投げられた。扇も少女もその凄まじさには言葉を失ったくらいだ。
「これくらいで驚いてちゃ、まだまだよ」
大夜は岩窟寺院から地上へと出て、二日ぶりに拝んだ太陽に目を細めた。
「これでも本気になった泰宗よりはだいぶ優しいほうなんだからね。いや、でも、扇。今回は助かったよ。大将があんたを大阪に行かせてなかったら、たぶんあたしもあのヒョーロク玉もお陀仏してたところだ。そっちのねえちゃんも礼を言うよ」
「それにはおよばぬ。こちらもその扇には借りのある身だ」
「そうかい。縁があったら、またよろしくな――と、言いたいところだけど、まあ、そっちも難しい稼業らしいから、会わないほうがいいのかな?」
少女は肩をすくめ、さらば、と一言残すと、身をひるがえし、すいっと森へ吸い込まれるように消えていった。
気配が消えた直後、
「名は桔蝶だ。恩は忘れぬ」
と、声が響き、それを待っていたように強い風が吹き、最後の余韻にも似た名乗りを運び去っていった。
大阪へゆっくり歩いて帰る。途中の民家で浴衣を買い、それに着替えた大夜はしきりに侍たちに取られた脇差のことを悔しがっていた。俊重作の銘刀で虎兵衛からもらったものだとだったらしい。
大阪へ戻ったのは夜半も過ぎたころのことだった。
臨時庁舎の商工会議所の門から建物を眺めると、部屋の一つにまだ灯が点っていた。
「あそこは実篤の部屋だ」
「へえ。あいつ、怪我とかした?」
「安心しろ。無傷だ」
「そりゃ結構だ」
「会っていくか?」
「いや。こっぱずかしいから帰る。あいつもやらなきゃいけないことがあるわけだし。それに、正直、疲れたよ。ほんと、いろいろあった」
天原に食材を運ぶ輸送飛行船に何とか相乗りさせてもらって、翌朝四ツ半には白寿楼に戻ることができた。案の定、半次郎と泰宗は大阪の急報を聞くと、すぐに現地へ向ったらしく、大夜と扇はすれ違いで帰ってきた。
「すまねえ、大将」虎兵衛の室で大夜が謝る。「せっかく大将からもらった脇差を取られちまったよ」
「取られたのが脇差一本で済んでよかったくらいだ。今回はいろいろと辛抱してくれたな。もう、セッツの若旦那への義理は十分立てた」
「そのことなんだけどさ、大将」
「ん?」
「もし、あのヒョーロク玉をあたしの身揚げってことでここによこしてくれないかい?」
「おれは構わんが、いいのか?」
「あいつにもいろいろ言っておきたいことがあるし、あいつも言いたいことがあると思う。それを放っておくのは、こう、もやもやして嫌な感じなんだ」
翌日、大阪から実篤が大夜に呼び出される形でやってきた。
「本当ならぼくはあなたの前に出る資格がありません」
大夜の部屋に通された実篤がうなだれて言う。
「ですが、やはり、もう一度だけ会いたくてきました」
「どうして、あたしに会う資格がないと思うんだい?」
「あなたを助けに行く。そう約束しました。でも、ぼくは行けませんでした」
「そのことなら扇にきいた」横になっていた大夜は起き上がり、あぐらをかいた。「大阪の町の戦後の片づけがあったんだってな」
「はい」
大夜は目を細めた。
「あんた、あたしのことを大阪の町みたいだから好きなんだって言ってたよね?」
「ええ」
「今でもそう思ってる?」
「はい」
「それで十分気持ちは伝わった」
「はい。ぼくはあなたよりも大阪を選びました」
「そうじゃない、とんちんかん」
「と、とんちんかん?」
大夜はあぐらを正座に座り変えて、咳払いをした。
「あんたは大阪の町の混乱を収めるために大阪にとどまった。惚れた女を思い出す町をほったらかしにしておくなんざ、興のないことこの上ないさね。だいたい、あたし一人助けるために大阪からあんたを取り上げちまったら、大阪の住人を不安の真っ只中に残すことになる。あたしはいやだね。自分一人のためにン十万人の暮らしがぐらつくなんざ。寝覚めが悪りィや。残党はどうしたのか、食いもんはきちんと買えるのか、銀行はきちんと店を開けるのか、損害を受けた建物の復興はどうするのか――そして、大阪はもう安全なのか。こうしたことに答えられるのはあんただけなんだから、あんたはあんたのしなくちゃいけないことをしなきゃいけないんだよ。そして、あんたはそれをやった。それだけで花丸よ。もし、あんたが自分であたしを助けに牢屋に来たら、てめー、あんとき、それは匹夫の勇だっつって教えただろ! っと、往復びんたをかましてるところさ」
「往復、びんた?」
「おう、往復びんだだ」
ぽかん、としている実篤を前に、大夜はカラカラと笑った。




